手紙

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 拝啓。  寒さも和らぎ、春の訪れを感じる季節となりました。お久しぶりです。あなたに別れを告げてから一年経ちますが、お元気でしょうか。この時期には、あなたと出会った日のことを思い出します。  僕は変わらず、あなたに向けて曲を作っています。あなたの美しい声を、忘れたことは一度もありません。あなたの声が聴きたくて、あなたに私の作ったメロディを口ずさんでほしくて、胸を焦がしている日々です。  今日の手紙を受け取って、あなたは大層驚いていることと思います。今さら何故――と思っているかもしれません。正直、あなたの中から消えるために、手紙など送らない方が良いと思っていました。しかし、どうしても我慢ができなかった。季節が巡る度思い出すあなたの面影。それが僕にあなたともう一度向き合えと囁くのです。  だから、あなたと別れて一年が経った今、こうして手紙を書いています。せっかくですから、あなたとの思い出を綴らせてください。嫌なら、途中で破り捨ててしまっても構いません。これは所詮、僕の自己満足なのですから。  僕達が出会ったあの日は、春一番が吹き渡っていました。仕事の打ち合わせに行くのに、強い風が鬱陶しかったことを覚えています。僕は歌姫と呼ばれるあなたと会うのに、少し緊張していました。まだ売れ始めたばかりの作曲家である僕にとって、歌姫であるあなたは高嶺の花でしたから。そんなあなたからオファーが来るなんて、誰が想像できるでしょう。僕にとっては青天の霹靂でした。  僕が打ち合わせの部屋に入ると、あなたはもうすでに椅子に座っていました。そして春を思わせる穏やかな笑みを浮かべ、綺麗な声で挨拶をしてくれます。その時、歌姫は歌声以外の声も美しいのだと思いました。透明感のある、風鈴のような声。僕はあなたにぜひ、僕の作った音楽を口ずさんでほしいと思いました。僕の中にあなたを象ったメロディ達が流れてきた衝撃を、今でも覚えています。  僕は挨拶もほどほどにし、無礼を承知でギター片手に曲を作り始めました。あなたはそれを見て目を丸くしていましたが、不機嫌になるわけでもなく、むしろ嬉しそうに僕の作業を眺めていましたね。僕はその様子を見て、より一層あなたにふさわしい曲を作ろうと思ったものです。  その一週間後、あなたを想って作った初めての曲が出来上がりました。僕は実際に会って曲を聴いてもらいたいと思い、あなたを初めて誘いました。あなたは初め、二人きりで会うことに緊張していましたね。しかし、僕が音源を聴かせるとその緊張は一気にほどけ、あなたは子どものように笑いました。そして自然とその口で僕が作ったメロディラインを零れ落とすのです。  僕はその美しさに、コーヒーに手を伸ばしたまま固まりました。すべての意識を奪うほど、僕の求めていた音そのものだったのです。あなたの綺麗な声、あなたの楽しそうに歌う横顔――。すべてが、僕を虜にしました。もっと、あなたのために曲を作りたい。そう強く思ったのです。  それから、僕は頻回にあなたを誘うようになりました。仕事上だけでなく、プライベートでもあなたをもっと知りたいと思ったのです。もっとあなたを知ることができれば、もっとあなたにふさわしい曲を作ることができる。僕はあなたに嫌われない程度に、距離を縮めたいと思いました。  あなたはそんな僕の誘いを、一度も断りませんでしたね。それがとても嬉しかった。だから僕はあなたを秘密のスタジオに招いて、あなたのためにピアノを弾きました。あなたはそれに合わせて歌を口ずさむ。そんな些細な時間が、僕にとって愛しいものになっていました。  しかしーー幸せな時間とは永遠に続かないもの。あなたと距離を縮めようとすればするほど、妻の存在が二人の間で大きくなりましたね。  ここからはあなたの知らない話になるかと思います。あなたを選べなかった理由ーー言い訳とも言えるかもしれませんがーーを伝えさせてください。  僕はあなたと一緒にいるため、妻に別れを告げました。他に愛する人ができたから、別れてほしいと、素直に話しました。しかし、妻はそれを拒んだ。浮気者、と僕を嫌うわけでもなく、裏切り者、と僕を罵るわけでもなく、妻は「他に相手がいてもいいから」と泣いて別れを拒んだのです。  僕はその意思を無下にしてまで、無理矢理別れることはできませんでした。なんせ、妻は売れない時期から僕を支えてくれた恩人です。感謝の気持ちが僕に迷いを生ませ、妻を突き放せなくさせました。そうして結局、僕は別れられないまま、最愛のあなたのために音を作る毎日を過ごすことになったのです。  それだけの日々も、神には許されませんでした。僕達の関係を嗅ぎつけたマスメディアが現れたのです。  彼らは、僕に何度もあなたとの関係を尋ねました。僕は仕事上会っていただけだと頑なに返し、向こうもそれ以上聞ける内容はないと諦めたようで、僕達の関係は記事になることはありませんでした。  しかし、僕の中の不安は一向に消えません。  いつか二人の写真が撮られ、二人の関係が仕事相手以上のものだとばれたら――。そう考えただけで、怖くなりました。  僕はあなたを守るため、もう二度とあなたと会わないことを決めました。あなたの歌声が、僕なんかとの報道で濁ってしまってはいけない。あなたに会えなくなるのは本当に辛いけれど、僕のせいであなたが人魚姫になってしまう方が辛かったのです。だから僕は、あの日、あなたに別れを告げた。あなたの涙を拭ってあげられなかったこと、今でも後悔しています。  なぜ、相談してくれなかったのか、と怒るあなたが目に浮かびます。それは、あなたを傷つけないためでした。あなたを傷つけないため、敢えてあなたに伝えなかったことをどうか許してください。  あなたは、あれから幸せになれたでしょうか。僕はいつでもあなたの幸せを願っています。僕の心は、いつもあなたにありますから。会えなくなっても、互いの距離が遠くなっても、僕はあなたのことを想い、あなたのために曲を作ります。いつか――また、あなたが僕の曲を歌ってくれる日を楽しみにしながら。  こんな身勝手な僕を、どうか許してください。そして、どうか、お幸せに――。  敬具。
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