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葛湯が効いたのか、部屋を暖めたのが効いたのか、いや、一番は、月英の甲斐甲斐しい世話、のお陰だろう、孔明の熱は、幾ばかりか、下がった。
新妻は、これでもかと、孔明の看病をしている。
「黄夫人、お疲れになります。どうぞ、私のことは、気になさらずに」
「何をおっしゃっております?!まあ、こんなに汗をおかきになって、早く着替えませんと!」
あれ、奥様ったら。と、童子は、月英の様子に呆れていた。
葛湯作りの為に、鍋を釜にかけ、ヘラで混ぜながら、均へ言う。
御屋敷にいた頃は、食事の時に箸を取るぐらいで、何もなさったことがない奥様なのに、あの、変わりよう……、と。
「まあ、それが、夫婦というものなんだろう。しかし、兄上の熱がいくらか下がってよかった。まだ、まだ、油断はできんが、そろそろ粥を試してみるか?いや、まだ、早いか?」
「ですねー、生姜湯でも作りましょうか?」
「しかし、童子よ、お前、まだ、子供なのに、しっかりしているなあ。黄家で、相当仕込まれたか」
いえいえ、奥様の、命に従っていたら、なんだか、色々、身に付きました。
と、笑いながら、童子は、出来上がった葛湯を椀に注いだ。
均は、それも、あながちあり得る話と納得する。
「あっ、そうだ、兄上も、わりと、しっかりなされたから、街の医者で診てもらった方が……」
「あー、そうでした!これを、持って行ったついでに、奥様に伺ってきます」
盆に椀と、匙を手際よく乗せ、童子は孔明の元へ行こうとするが、均は、ふと、思う。
「童子、うちに、荷馬車は無いだろう?」
月英が、里へ孔明を連れて行くと、引かなかった時に、荷馬車の用意をと、言っていた。
動けない孔明を運ぶ為、と、分かっているが、あの時は、均も、兄の調子の悪さに動揺し、何とも思わなかった。しかし、諸葛家は、月英のお陰で、やっと、馬が居る、状態なのだ。
そもそも、それまで、街へ行く事など殆んどなく、何か用向きがあれば、近くの農家へ、出荷ついでと、頼んでいたり、その出荷の手伝い事で、均が相乗りさせてもらったり、という具合だった。
「あ、大丈夫ですよ、楊さんの所で、いつでもお借りできますから」
「楊さん?あの、気難しい?」
もやし、や、韮など、庶民の主食となる葉物野菜を、主に、街へ売りに行っている農家だが、それだけに、自分が、使うと、相乗りすら許さない、少し扱いにくい人物だった。
が、残念ながら、その家が、諸葛家から、一番近い、ご近所さん、になる。
均は、何かあると、一応、楊家に頭を下げるのだが、大方、断られる為、更に、というべきか、延々と、いうべきか、その先方にある、集落まで足を伸ばさなければならなかった。
結局、遠かろうと集落へ、出向いた方が話が早い為、均は、何かあると、しこたま、歩いていたのだ。
が、その、楊家が?
均の疑問を読み取ったのか、童子は、ニタリと笑い、
「ちょっと、街で、色々あったようで、父ちゃんに頼んで収めてもらったんですよ。そしたら……、貸してくれるって」
などと、意味深な事を言った。
つまり、楊さんは、何かに巻き込まれた。それも、取りたてられるような事態に、と、言うことなのだろう。
街の裏を仕切る、童子の、父ちゃんとやらが、出てくるなら、いわゆる、金が、動く話に違いない。
しかし。
いったい、いつの間に。
「あー、均様、そうなれば、お留守番、お願いしますね」
「あ、ああ」
と、童子の勢いに押されて、均は、しどろもどろの返事をした。
「奥様ー!葛湯です!」
童子は、孔明の部屋へ向け、声をかけている。
盆を運ぶ、小さな後ろ姿は、妙に頼もしく見えた。
そして、孔明は、童子が手配した楊家の荷馬車に乗って、街へ出向く事になる。
「いや、馬車など。馬に乗って行けますから……」
孔明は、最後まで拒んでいたが、月英の、一喝で、大人しく荷台に乗り込み横になる。
「じゃあ、楊さん、旦那様の気が変わらない内に、お願いします」
御者台に、楊と共に座る童子が、仕切った。
「はいよ、しかし、下女さんも、大変だねぇ。いったい、奥さんは、何をしてるんだい?」
孔明に、寄り添う月英は、荷台から、はははと、軽快に笑いながら、
「本当、困ったものですよ。夜通しの看病は、面倒臭いと、そして、お里へ戻れるのに、田舎道、荷馬車になど、乗れるかと、悪態をついて」
と、楊に言った。
「じゃ、均様、暫く、奥様のお里で、旦那様を養生させます。留守番と、奥様のお相手、お願いしますね」
月英は、しれっと、下女の振りをしている。
「あ、あ、は、はい」
何がなんだか。
それにしても、どうして、いつも、義姉は、妻、ではなく、仕える者に、間違われるのだろう?
均は、不思議に思いつつ、荷馬車を見送った。
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