7. 一緒に行こう

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7. 一緒に行こう

 10時とはいえ、夏の日差しはじりじりと焦げるように暑い。  木陰に薫が立っていると、道の向こうから黒のSUVが来た。コンパクトで品の良さそうなデザイン。何となく、陽太郎らしい感じがした。  ハザードランプを点滅させると、目の前で止まる。助手席側のウィンドウが開き、陽太郎の笑顔が見えた。 「おはよう。薫くん、乗って」 「…おはようございます」  蝉しぐれを背に、助手席に座る。  重そうにソフトに閉まるドア、シンプルで上質そうなシート――やっぱり、すごく陽太郎さんっぽい。   「急に誘ってごめん」 「いえ…。俺の方こそ、ありがとうございます」 「こうやって会うのは、すごく久しぶりだよね」 「…はい」 「早速だけど、行こうか」 「…はい」    陽太郎の車に乗っているという現実がまだ自分の中に落ち切ってなくて、緊張とふわふわと浮いたような落ち着かなさで、何を喋っていいのかわからない。 「暑いね。エアコン、大丈夫? もう少し強くしようか」 「…あ、大丈夫です」 「学校の補講は行った? まだ数学の山ちゃん先生とかいるのかな、山本先生」 「いますよ! 隣のクラスの担任です」 「うわー、懐かしい。俺、担任だったんだよね。ラピュタの地下の炭鉱にいるポムじいさんに似ててさ…」  ひとしきり、高校の話で盛り上がる。同じ高校だから、先生のことや体育祭や文化祭のこと、部活のこと、いくらでも話は広がっていく。  薫の緊張は、いつの間にか消えていた。  小学生の頃から、陽太郎は話上手で聞き上手だった。まるで時が戻っていくような、懐かしい感覚――  見慣れた道を過ぎて、バイパス道路から高速道路へと向かう。   「そういえば、薫くんってうちの大学が第一志望?」 「あ…はい」 「言いたくなければ言わなくていいけど、今の成績はどんな感じ? 射程圏内?」 「今のところは、まあまあかな…って感じで……」 「すごいね、薫くん。がんばってるんだ」  交差点で止まった陽太郎が、こちらを見て笑った。  ふいうちの笑顔は、心臓に悪い。薫は動揺を隠すために俯く。 「っ…でも、夏前の模試なんで、まだまだわからないですけど」 「まあ、確かにこれからみんな追い上げて来るから、油断しないでこつこつやって行けばいいよ」 「…はい」  信号が青に変わる。  車が走り出す。バイパスはお盆のせいでいつもより混んでいる。  最寄りのインターチェンジから高速に乗る。  合流車線から、すうーっと伸びるように加速し本線へ入った。  陽太郎の運転は自分の知る陽太郎のイメージ通りで、穏やかでスマートだった。乗っていて安心する。  高速を運転する横顔は……カッコいい。ハンドルを握る長い指を盗み見てはドキドキするのを、窓の外を見るふりしてごまかす。  お盆期間ということもあり高速道路は交通量が多かったが、幸いひどい渋滞はなく、小一時間ほどで大学のある町へ着いた。  市街地から少し離れた緑多いキャンパスへ。  大学の駐車場に車を停め、濃い緑の葉をつけた背高い並木道を行く。真夏の昼近く。人影はほとんどない。 「こっちが講義棟で向こうが実習棟。病院はあの背の高い白い建物」  高校と大学では規模が全く違う。研究所みたいな建物がいくつもある。  講義棟には入れたが、講義室は施錠されており、ドアの窓から中を見た。  小さな舞台のような教壇、階段状に並んだ机。いかにも大学、という感じ。  講義棟を出ると、森のように木々の繁る中庭の途中にカフェテリアと図書館があった。  ここの学生なのだから当然なのだが、陽太郎は人のいない構内を何の躊躇いもなく行く。薫は戸惑いながら、その後ろを着いて行った。  来年、ここに入れたら、自分もこんな風に歩くようになるんだろうか。  あの講義室で授業を受け、カフェテリアで昼食を食べて、図書館で勉強して。  そして、5年生の陽太郎と、ここで一緒に歩いたり話したり―――  突然、白衣を羽織った陽太郎と並んで歩く自分の姿が見えた気がした。  まるで現実の風景に二重写しの画像のように一瞬挟まれ、驚いてまばたきをした次の瞬間には消えた。  未来が見えるはずなんてないけれど、それはまるでうっかり未来がふわりと降ってきたみたいで。 「薫くん…?」  小道の途中で立ち止まった薫に、陽太郎が怪訝そうに振り向く。 「あ、すみません」  薫は慌てて追いかける。 「疲れた…?」 「大丈夫です」  なんか、もう、絶対にここに入りたいと強く思った。  実習棟に入っても、誰もいない。しんっと静まりかえった廊下から、顕微鏡の並んだ実習室を眺める。 「ここでは、実習で標本を見てスケッチしたり……」   「あれ? 北川…?」  ふいに陽太郎の名を呼ぶ声がした。  廊下の少し先に、リュックを肩にかけた学生風の男が立っていた。 「あ、小島。部活か…?」 「いや。研究室に忘れ物を取りに来たんだ」  小島という男は一旦言葉を切ると、つかつかとこちらへ来た。陽太郎に近づくと、声をひそめて訊く。 「…もしかして一緒にいるのって、例の、彼女?」 「は!?」 「え?」  陽太郎と薫、2人同時に声が出た。  彼女…!?   「いや、違うから!! 地元の後輩だよ」  陽太郎は即座に否定する。 「北川、ごまかすなよー。可愛いじゃん、彼女」 「ごまかしてない! 彼女じゃなくて男の後輩だ!」 「他の奴には絶対ばらさないから安心しろ。俺、こう見えて口は固いから」 「お前、話を聞け!!」  えーーっと。  誤解されている、というのはわかった――自分が陽太郎の彼女だ、と。  そして、陽太郎がちゃんと”男の後輩”と言ってるのに、さっぱり聞いてない。  薫はとんとん、と小島の腕を軽く叩いた。小島が振り向く。 「ん?」 「あの、俺、男なんですけど」 「へ?」 「俺、男です」  小島は、きょとんとした。きょとん、という音が聞こえてきそうなくらいに、目がまん丸になった。  確かに、自分は小柄で女顔だ。中学の頃は私服だとしょっちゅう女子に間違われた。さすがに、高校になって減ったが。今日の服はジェンダーフリー系と言えなくもない。…とはいえ、骨格は角ばっているし、のどぼとけもちゃんとある。  恐らく、陽太郎の彼女という思い込みフィルターのせいで、小島の目には、女に見えたのだろう。 「北川さんの後輩の春崎と言います。この大学を受験するつもりなので、北川さんに案内して頂いてました」  そう言うと、小島はやっと情報を処理できたのか、はっと表情を変えた。 「ごめんっ! 君、男だったんだ!! ごめん、その、可愛いかったから」 「たまに間違われます」  薫は「お気になさらないで下さい」とにこりと笑ってみせた。 「ごめんなさい。勘違いして大変失礼しました」  小島は、薫へと頭を下げた。  悪い人ではなさそうだ。 「北川が、彼女いるって言うくせに、写真とか全然見せてくれないか…」 「小島、もう余計なことを言うなって」  陽太郎が小島の言葉を途中で遮る。  彼女――軽く胸を(えぐ)るワードだ。  陽太郎なら、彼女がいて当然だろう。実際、高校生の陽太郎が綺麗な彼女と歩いているのを見たことがある。  考えただけで、自分の胸は(きり)が突き刺さったように痛む。 「ごめんって。あ、お詫びにパスタ屋の割引券あげるから。春崎くん…だっけ? この近くの店なんだけど、俺バイトしててさ。美味い店だから」  よろしく、と薫に差し出された券を横から取った陽太郎が、 「本当に、まわりの奴らに変なこと言うなよ」 と、釘を刺す。 「えー、でも、北川がずっと大切にしてる彼女って一度見て見たいんだけど。あ、春崎くんは知ってる? こいつの彼女」 「いえ…」 「小島。俺たち、もう行くから」  陽太郎がそう言うと、小島は明るく「じゃ、またな!」と去って行った。  しばし、気まずい空気が流れる。  わかってはいたけれど、実際に陽太郎に彼女がいるという事実を目の前に突き付けられると、自分はこんなにもダメージを受けるんだ――でも、この場では表に出すわけにはいかない。  平気でいないと。今日が終わるまでは。 「なんか、邪魔が入っちゃったけど…行こうか」  歩き出した陽太郎の後ろを、着いて行く。  研究室の表札の並ぶ静かな廊下を行く。   「薫くん。さっきは…ごめん。小島のせいで、変なことに巻き込んで」 「いえ。大丈夫です」 「あいつ、悪い奴じゃないんだけど、思い込むと、全然人の話聞かなくて。ごめん」 「いえ」  困ったように謝る陽太郎に、薫は全然気にしてませんよ、と笑みを浮かべて見せた。    ―――北川がずっと大切にしている彼女  小島の言葉が、頭を回る。  わかってはいたけれども。  こんなカッコいい医学生が一人なわけないよな。絶対に彼女、いるよな。  ずっと大切にしている人がいるんだ。  そっか。  そうだよな。  もしかして、あの、高校の時の綺麗な人かな。  さらさらのまっすぐな髪が肩で揺れていた。  隣に並んで、すごく似合ってた。  そっか。  そうだよな。  わかってはいたけれど。  自分の恋が叶うわけない、なんて、自明の理だったけれども。  失恋、決定―――    心の一部がすうっと冷えて機能を止めるのを、感じた。    
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