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4. 春の日に
正月、部活仲間に誘われ、街中の神社の初詣へ行った。
皆でだべりながら長蛇の列に並び、鈴を鳴らして、柏手を打つ。自分が祈るのは、もちろん、陽太郎の合格。
薫は、社務所の棚に並ぶお守りから、濃紺色のものを手に取る。
「春﨑のは、学業?」
「あ、うん」
「お前らしいな。あ、おれ、縁結びの欲しい!」
「オレ、家内安全」
なんだよ、それ、と皆で笑う。
お守りはもちろん自分用ではなく、陽太郎さんのものだ。
神頼みなんていらないかもしれないけれども。
正月明けに田舎町で一番大きな病院――北川総合病院へ行き、陽太郎の母の都子先生へ、託けた。
小さな頃から薫を知っている都子先生は、
「薫くん、ありがとう! 陽太郎、きっと喜ぶわ。昔から薫くんのこと、弟みたいに可愛がってたもんね」
と、にこっと笑った。
自分には祈ることしか、できない。
祈ることは、できる。
どうか、陽太郎さんの努力が報われますように。
どうか、笑顔で春を迎えられますように――
◇
穏やかな3月初旬の夕方。
部活もなく、親は仕事でおらず、学校から帰宅した薫は一人、塾の課題をやっていた。
4月からは中学3年。第一志望は陽太郎の出身高校だ。
今のところ学年上位におり、このまま行けば大丈夫と言われているけれど、受験に絶対はない、と陽太郎が教えてくれたから。
呼び鈴が鳴った。
―――宅配便かな。
インターホンのモニタに映っていたのは、宅配業者ではなく。
「陽太郎さんっ!?」
慌てて玄関へと向かう。
サンダルをつっかけてドアを開けると、陽太郎が立っていた。
「久しぶり。薫くん」
1年ぶりに会う陽太郎は少し固い印象で、表情が読めない。
「…お久しぶりです」
薫は身構えた。
ここ最近、あちこちの大学で、前期試験の合格発表が始まっていた。
陽太郎がどこの大学を受けたのか、自分から聞くわけにもいかない。薫はじりじりと落ち着かない日々を過ごしていた。
陽太郎の目元が、ふと和らいだ。
「薫くん」
「…はい」
「受かったよ、医学部」
陽太郎は晴れやかな笑顔で、告げた。
瞬間、全身がふわりと浮くようで。
うれしくて、鼓動も跳ね出す。
「陽太郎さん! おめでとうございます!!」
「大学は、隣の県だけど」
「…よかった…!! ホントに、よかったです…めちゃくちゃ、ホント、すごく、うれしい……!!」
薫の視界が潤む。
「ありがとう。薫くんのお陰で、1年間、東京でがんばれたよ」
陽太郎が手を伸ばし、薫の髪をくしゃりと撫でた。
懐かしい大きな手の感触に堪えきれず、薫の瞳から涙が零れた。慌てて両手で拭う。
「なんか、すみません。ほっとしたら…涙出ちゃって……」
陽太郎の前で泣くなんてカッコ悪いけど、溢れ出して止められない。
「俺もすごくうれしいよ。ありがとう、薫くん」
目を合わせて、笑った。薫は泣き笑いで。
すごくうれしい。
一生分のうれしさを極限までぎゅっと圧縮して、いきなりパンっと弾けさせたみたいに。
「…っあー、ホント、この瞬間を、1年間ずっと目指してたんだよね」
感慨深げに陽太郎は言う。
「そうなんですか…?」
「東京でかなりしんどい時もあったから。よく、自分を励ましてた。春に笑って薫くんに合格した!って言うぞ、がんばれって」
「なんか…うれしいです」
自分が少しでも役に立てたなら。
「…そう、それで。これ、薫くんにお礼を兼ねた、おみやげ」
差し出された小さな紙袋。
「…?」
開けると、学業成就のお守りが入っていた。
「東京の湯島天満宮のお守り。学問の神様、菅原道真を奉った湯島天神…って聞いたことない?」
「…あります」
「今度は、薫くんが高校受験だよね。志望校はうちの高校…かな? 」
「あ、はい」
「母から、薫くん、中学で成績良いって聞いてたから」
「…いえ」
狭い田舎コミュニティだと、誰ができるとか、誰が落ちこぼれだとか、よくある噂話のネタだ。
「優秀ならお守りなんて、いらないかもしれないけど」
「いります!!」
「そう?」
ちょっと必死すぎたかも。
陽太郎が笑っている。
さっきから、ずっと心臓が跳ねている。
陽太郎さんと久しぶりに会えて、話せて、頭を撫でてもらって。
うれしいけれども。でも、わずかにつらいような。
自分の感情が、よくわからない。
「そうだ。連絡先、交換しない?」
「え…」
「俺、他県に行くし、せっかくだから」
「あ、はい」
憧れの人と繋がれる――なんか、夢みたいだ。
「俺にとって、薫くんは弟みたいなものだから。受験で聞きたいことがあったら、遠慮なく気軽にメッセージ送ってね」
なぜだか、すうっと、心の一部が冷えた。
え。
そうだよ。自分は陽太郎さんにとって、弟だ。
なんで、そんな今さらのことに、胸が痛い……?
前から、そうだったじゃないか。
笑顔の陽太郎と別れ、薫は部屋のベッドへ寝転んだ。
陽太郎さんに弟と言われたのが、なんでこんなにキツいんだろう。
会えて、あんなにうれしかったのに。
―――おれ、縁結びの欲しい!
初詣の神社で、明るく言った友人。
女子の誰がかわいいとか、彼女欲しいとか、彼女できたとか。部室で興味本位でR18動画見て、皆が騒ぐ中。いつも自分は、すりガラス一枚隔てた一歩後ろにいた。
彼女が欲しい、と皆に合わせて言うこともあったけど、正直、女子の誰かと本気で付き合いたいと思ったことはない。
よく話す女子はいるけれど、自分の見た目が女顔で小柄だから、男子扱いされていない。その距離感が、丁度よかった。
生徒会の仲間の、本好きの女子から借りた読みかけのマンガを手に取る。
マンガやアニメは昔から好きで、好きなキャラのイラストや二次創作を見ているうちに、BLに触れた。BLに嫌悪感を示す男子は多いけれど、自分はそういうものは一切なくて。
むしろ。
その子と好きな本の話をしているうちに、面白いマンガがあるよ、BLだけど、割と軽めだから読んでみる?……と貸してくれた。
少し年上の兄的キャラと、弟分のキャラの、淡い想いを綴った話。
心理描写が丁寧で引き込まれた。けれども、途中で怖くなって手が止まっていた。
再度読み始めると、やっぱり面白くて止まらない。
互いに想っているのにすれ違ったり、じれったくて次が気になり、そのまま最終巻の最後まで行って。
全年齢対象だから、描写は軽いけれども。
その場面で―――ゾクリと、肌が粟立った。
気持ちが昂り。
体も、昂り。
マンガを、置いて。
自分の固く勃ったそれに触れた。
だめだろ、それは。
理性が言っても、止められない。
目を閉じて、脳裏で場面を再現して。
「……ン……はっ………」
快感が急激に高まって。
「…あっ……んんっ……」
最後、脳裏に過ったのは。
切れ長の二重の、さらりとした髪の、お日さまの匂いの。
さっき、別れたばかりの。
どくっ…どくっ……と先端から出たものを、手のひらで受けた。
怖くて、ずっとその気持ちを見ないようにしていた。
それを認めてしまえば、自分は否応なく異端側になる――
この狭い田舎町で、自分を押し殺して生きていく覚悟なんて、まだ全然できていないのに。
でも、もうごまかしが、効かない。
俺は、陽太郎さんが、好きなんだ―――
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