6. 一緒に行ってみない…?

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6. 一緒に行ってみない…?

 午前回診を終えた母親が、リビングへ入ってきた。   「あら、陽太郎。おかえり」 「ただいま。お盆でも忙しそうだね」 「まあね。いつものことよ」  昨夜遅く、陽太郎が大学のある隣県から実家へ着いた時には、家中の電灯はすでに消えていた。  疲れていた陽太郎は、辛うじてガレージに車を入れ、部屋に上がるとそのまま寝てしまった。そして、先ほど昼前に起き出してシャワーを浴びたところだった。  パンをトースターに入れ、フライパンにベーコンを並べ、卵を落として蓋をする。一人暮らしで簡単な食事は作れるようになった。昔は母親や家政婦さん任せだったが。 「母さんは、コーヒーいる?」 「欲しい! 淹れておいて。ブラックね」 「はいはい」  簡易ドリップコーヒーを組み立ててカップにセットし、お湯を注ぐ。香ばしい香りが立ち込める。 「東京、どうだった?」 「みんな元気そうだったよ」  久しぶりに、予備校時代の仲間たちが東京へ集まった。  同じ大学へ進んだ西河内(にしこうち)が幹事役を引き受けてくれ、懐かしいメンツが10人ほど集まった。関東が多いが、北海道や関西からも来てくれた。  医学部進学コースだったが、全員が医学部へ行ったわけではない。その辺のわだかまりを心配していたが、酒が入ると、あの頃に戻ってバカ話ばかりしていた。  東京での1年――孤独と焦燥と不安の中で、我ながらよくがんばったと思う。二度とやりたくはないが、あれはあれで得難い経験だった。  人生にはままならないことがある、と学んだ。どんなに準備しても、たった1回の失敗で1年を棒に振ることもあるし、その逆もある。  自分よりずっと成績が悪かった高校の同級生が、さらっと現役で医学部へ合格したと聞いた時は、胸の奥からどす黒い嫉妬が湧き起こり、自分のそんな気持ちにショックを受けたりもした。  今回会った友人の中には、3浪して医学部へ入った者もいた。一方で、1年以上の浪人は許されず、他学部へ進んだ者もいた。来春、彼は一足先に社会へ出る。  諦めたくなることも、諦めなければならないことも、諦めきれないことも全部飲み込んで、その時々に選択した道を、一歩一歩行くしかない――  などと、感慨深く考えたのは帰りの新幹線の中で、皆と会っている最中は、飲んだその勢いでカラオケ、ボーリング、ゲーセン…と、オールで遊び、くたくたになった。  「じゃーな、また会おうな」と言って別れたが、次にいつこのメンツで会えるかなんて、わからない。そんな現実が分かっているから、尚のこと皆、目一杯全力で遊んだ。  チン、とトースターが鳴った。物思いも終了。  こんがり焼けたトーストにはバターを塗り、目玉焼きには軽く塩と黒コショウを振り、ちぎったレタスを添える。  ダイニングテーブルのランチョンマットに並べれば、それなりに美味しそうな朝食が完成。  遅い朝食を食べる自分の向かいで、新聞を読みながらのんびりコーヒーを飲んでいた母が、ふと思い出したように、 「そういえば、春崎さんの薫くん、医学部受けるみたいよ」 と、言った。 「え、それはどこからの情報?」  田舎の噂話は、出どころが怪しいことがよくある。 「薫くんのおばあちゃんからよ」  じゃあ、本当…か。 「結構優秀みたいね、薫くん。昔はあなたの後を、可愛いヒヨコみたいにくっついて歩いてたのに」  確かに可愛かった。ふわふわしたくせっ毛に大きな目。ヒヨコよりは、ラグドールのような長毛種の子ネコのようだった。 「どこの大学を受けるかは、聞いた?」 「さあ、そこまでは……」  今の時期、まだ決まっていないのかもしれない。  食事を終えて自室へ戻ると、陽太郎は昨夜から床に置きっぱなしだった荷物から、小さな紙袋を取り出した。東京で立ち寄った湯島天満宮のお守りが入っている。  今回もこれを薫に渡すつもりだった。高校受験と大学受験とでは、大変さが比較にならないけれども、前回合格した神社のお守りならば縁起が良いだろう。少しでも験を担げるものをあげたかった。  薫とは、SNSでごくたまにメッセージをやり取りすることはあったが、ここしばらく会っていない。自分と同じ高校へ入り、がんばっているとは聞いていたが、自分と同じ医学部を志望しているとは知らなかった。  小学校前の急な坂道で後ろを振り返ると、しんどそうにしながらも、こちらを見てにこりと笑った子ネコのような薫。  宵闇の迫る山道で倒れた薫を見つけた時は、こちらの心臓が止まるかと思った。必死に声を掛け、抱きしめた小さな体。背負った時の温かな重さ。  そして、東京へ一人、背水の陣で臨もうとしていた春の日、励ましてくれた薫を抱きしめた。小柄な細い体を、まだ腕が覚えている。  浪人中は、薫の存在が心の支えだった――大袈裟ではなく、本当に。  闇に飲まれそうな時、郷里で薫が応援していると考えるだけで、冷静に戻れた。  だからこそ。  その後は、少し距離を取るようにしていた。  郷里(ここ)へ戻っても、なるべく会わない。SNSもできるだけ短く、軽く。  大学で様々な人と関わり、自分という人間が少しわかって来た半面、見ないよう、考えないようにしていることは、ある。  その感情は、とてもデリケートな危うさを孕んでいると本能が察知していた。  普段はうまく制御していると思っているのだが、あんなことを聞いてしまうと、途端にざわつき出す。  薫が医学部を受ける……?  自分と同じ進路を……?  陽太郎はふらりと立ち上がると、電話に手を伸ばした。
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