ドント・リメンバー

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俺の目の前には今、見知らぬ女性が座っている。 場所は俺の部屋。つまりは1Kの狭いアパートの一室だ。小さなテーブルを挟んで向こう側にいる彼女は、こちらをチラチラと見ている。俺はとりあえずお茶でも出そうかと、立ち上がるため右手をテーブルについた。 「あ、あの…おかまいなく。ほんとに…。」 彼女は弱々しい声で言った。彼女の余りに申し訳なさそうな表情を見て、俺は立ち上がるのを止めて再び床に座った。 「えーと、質問いいですか?」 俺の質問に彼女はコクンと頷いた。 ー5分前ー 「ちきしょー!こいつ強すぎだよ、無理ゲーだよ、これ。」 俺はクリア出来ないゲーム機に苛ついて、乱暴にテーブルにゲーム機を置くと、ピンポーンとインターホンが鳴った。最近は宅配便すら来ず、この音を聞くのは久しぶりすぎて、最初は何の音かすらピンとこなかったくらいだ。 俺は苛立つ気持ちのまま立ち上がり、声を掛けることなく玄関の扉を開けた。 そこには宅配業者でもなければ、隣人でもない、女性が一人立っていた。急に開いた扉に少し驚いた表情のその女性は、俺と同じくらい20代半ばくらいに見えて、一言で言えば可愛らしい女性だった。 「…え、は、はい?」 俺は一瞬でゲームのことなど忘れていた。彼女は俺の顔を見てニコリと笑った。 「…約束の日なんで。」 「…約束?」 「うん、約束。」 …おいおい、約束って何だ?ていうか、この女性は誰なんだ?俺の顔見ても話し続けてるってことは人違いってわけじゃないよな。職場にもいないし…この前の合コンの子…でもないよな。 「あれ?忘れちゃったの?」 悲しそうな表情を浮かべる彼女。通路の奥から誰かが歩いてくる足音が聞こえたため、とりあえず彼女を中に招き入れることにした。 そして、現在に至る。 「…あの、何て言ったらいいか、あれなんですけど…その…。」 「…私のこと忘れてる?」 俺は苦笑いを浮かべながら頭を掻いた。 「そうかぁ、じゃあ経緯も話さないとね。」 「あれですよね、合コン…じゃないですよね?」 「合コン?…アハハハ、違う違う。」 大きな口を開けて笑う彼女を見て俺も微笑んだ。すると、彼女は急に真顔になり、俺の顔をじっと見つめてきた。 「…えっ!?」 「私との出会いは、一年前よ。」 「一年前?そんな前…ですか。」 「ほんとに覚えてない?」 「…え、よ、酔ってて記憶がないのかな。ほんとすみません。」 とりあえず有り得そうな言い訳をした。全くと言っていいほど記憶になかった。 「酔ってなかったわ。」 「そ、そうですか。えと、確か約束がどうのって。」 「一年後に迎えに行くって話。」 「迎えに行く?って、それはつまり…。」 「一緒になるって。」 …おいおい、どういうことだ。俺は見に覚えのない女性と結婚の約束を素面(しらふ)でしたっていうのか。 彼女はいない、そして目の前にいるのは可愛い女性、結婚願望自体ないわけじゃない。総じて有り難い展開なのかもしれないが、この展開を素直に受け入れるほど俺にはキャパが無かった。 「ちょ、ちょっと待って。えーと、でもこの一年間俺たち会ってないんじゃ?」 彼女はコクンと頷いた。 「…なんかおかしくないっすか?だって一年前に会ってその次が今日ってこと?」 彼女はまたコクンと頷いた。 …なんなんだこれは。詐欺か?詐欺なのか?だが、俺は一銭も彼女に払ってはいないはず、こんなわけのわからん展開でこれから金を取ろうってのか?…いや、あり得ないだろ。彼女の目的は一体何なんだ? 「ほんとに覚えてない?一年前よ。」 …一年前。一年前の夏…? 「あ、あの、場所…一体どこで会いました?」 俺の質問に彼女はフフフと笑った。そして、壁に掛けてある時計をちらりと見た。 「あと5分しかないわ。」 「…5分?」 「あなたに会ったのは、この世界のどこにもない場所。」 …なぞなぞ? 「えーと、俺頭悪いんでそういうの苦手で…。」 苦笑いを浮かべる俺に彼女は再びフフフと笑った。そして、俺の目をじっと見ながら言った。 「生き返った一年間は楽しかった?」 …生き返った…? 俺は思い出した。一年前に自分が死にかけたことを。 あれは、海に当時の彼女と遊びに行った時だった。浮き輪で波間に揺られていたら、彼女が沖に流されてしまって、俺は必死に彼女を助けようと沖に向かったんだ。恥ずかしいことに俺は泳ぎが得意じゃなかったのだが、そんなこと気にする余裕もなく、がむしゃらに泳いだ。当然、思うように前に進めず、今度は俺があっという間に溺れてしまったんだ。 …ん?待てよ。あの時…。 俺は記憶の片隅に眠っていた何かに気付いた。 「フフッ。」 俺の表情で何かに勘付いたのか、目の前の彼女は笑った。そして、さっきまでとは違う声色で言った。 「まだ生きたい?」 ハッ!俺は彼女の言葉を聞いて、記憶を取り戻した。 そう、あの時、俺はいわゆる臨死体験をしたんだ。
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