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あれは悪い夢だったのか、良い夢だったのか。リアルな夢だった。
だが、夢のとおりカスミはもうこの世にいないことを知ったのはそれから数分後だった。
涙が溢れて止まらなかった。もうその時には夢の内容など薄れてしまっていた。
それから、半年以上はカスミのことを引きずりながら生きていた。何をしてもやる気が起きずに、仕事もしばらく休職をしていた。俺は人生を楽しいと思うことなど無くなってしまっていた。
何度か自殺を考えたこともあった。けれど、その瞬間を迎えると思いとどまる自分がいた。俺はそんな中途半端な自分が大嫌いだったんだ。
いつからだろう。俺の頭の中からカスミの存在が薄れていた。周りは当然俺に気を遣ってか、カスミの話題などは出さなかった。だから、薄れていったカスミの存在が元に戻るきっかけなど無いまま、今日まで生きてきた。
だが、俺は今、はっきりとカスミという存在を思い出した。そして、自然と涙が溢れてきた。
「そうか、今日はカスミの命日か。」
俺の呟きに、目の前に座る彼女は悲しい表情を浮かべた。
「…まだカスミさんのこと忘れられないのね。」
「…どういう意味ですか?」
「ううん、私のことは?」
「思い出しましたよ。夢…じゃなかったんだ。」
その言葉は彼女にとっては残酷な言葉だったのだろう。大粒の涙を静かに流した。
「またか。」
彼女は呟いた。そして、涙を拭いながら続けた。
「いつもそう。私なんてやっぱり居場所なんてないのよ。すぐに忘れられてしまう存在、それが私なの。…時間だわ。あなたの記憶に留まることが出来なかった私はまたあの世界に戻るわ。人の記憶を操作することって難しいのね。」
「操作って?」
「カスミさん…お墓参りにでも行ってあげてね。」
彼女はそう行って立ち上がると玄関に向かった。
「あ、あの!…あなたは…。」
「気にしないで、慣れてるから。それにあの世界では私は一人じゃないから。でも、いつか誰かの記憶に留まってこの世での居場所を見つけたい。…また明日ね。」
「え?明日?それはどういう意味…」
バタン!彼女は俺の質問の途中で玄関から出ていった。慌てて追い掛けて扉を開けたが、彼女の姿はもう無かった。
「…明日って何だよ。」
俺は彼女に悪いことをしてしまったと思いながら、カスミの墓参りに行く準備をした。
急にカスミの記憶が蘇ったように、いくつものカスミとの思い出が頭の中になだれ込んでくる感覚だった。まるで、誰かに記憶を封じられていたようだ。
そして、その日の真夜中。
俺はふと目を覚ました。トイレに起きたわけじゃない。
俺は布団から出ると、徐ろに紙とボールペンが欲しくなった。頭には無性に紙に書きたい文章が浮かんでいたのだ。書かずにはいられない。こんな感情初めてだった。
「…遺書…先立つ不孝をお許しください。…僕は…」
それからもう一つ。
目が覚めてから、あの名前も知らない彼女の満面の笑みが脳裏に焼き付き離れないでいた。
ー もうじき、また彼女に会える。
俺は遺書を書きながら笑った。
ー 完 ー
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