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1
辺り一帯、群青だった。
幼い少女は、解けた角髪がゆらゆらと立ち昇る様を、不思議な心持で見つめていた。
透明な蓑にくるまれたように、潮騒も怒号も、全ての音という音は遠ざかっていた。山鳩色の衣は、波間をかいくぐるわずかな光をも蓄えて、鈍く、重く身体にまとわりつく。まるで闇の懐に抱かれているようだった。そこが死の淵なのだと、浅い眠りの中で、少女の本能は察していた。
海水は重く、冷たい。上下も分かたぬ群青の中、ぼんやりと五色の重なりが浮かび上がり、伸びたり縮んだりを繰り返しながら、広がっていく。それは触手のように闇をまさぐり、たしかに少女を目指して進んでくるように見えた。
ふいに、今度はすぐ近くで、明かりが点った。彼方で光を放つ五色は、もう炎のように燃え盛っていて、周囲の闇に影を落とすほどだった。濃く淡く、その明るさに呼応して、胸元の緑は丸く膨らみ、温度を高めていった。
見たことのない玉だ。けれど、なんとなく思ったのは、これが、あの「開かずの箱」の中身だったのかもしれないということだった。水中で箱からこぼれおちた玉が、輝いているのだろう。
――これが、あの。
何の感情もわかなかった。ただ、期待を裏切られることはなかった。それば、小さな青い翡翠を磨いて作った、親指の先ほどの大きさの曲がった玉だった。
もっと小さな頃から、何度も箱を開けようとしては叱られた。どうして、このようなものを、そんなに見たかったのだろうか。秘められていたから、そうだったのだろうか。そのとき、頬と頬をくっつけて、一緒に冒険をしたのは、どんな子だっただろう。忘れてしまった。抜け駆けはしない、見てはならぬというなら、絶対二人で我慢するのだと、約束をしたというのに。
薄らいでいくものと入れ違いに注ぎ込んでくるのは、輝きを増す明かりのまぶしさだった。今や、五色と青は手を結び、群青の闇を取り払っていく。
その光を背に、長い鬣を揺らめかせる影が見えた。身をくねらせ、泳ぎ近づいてくる姿は、海蛇、いや、竜神かに思えたが、瞬きを繰り返すうちに、それは異形に見えても、少女と同じ人間、女人なのだと分かった。
――竜宮の、乙姫様なの。
身体が動かないのは、水の冷たさのせいばかりではなかった。その女人の、あまりの美しい姿が少女を縛って離さず、凍り付かせた。
少女は、こちらに手を差し伸べる五色の女人に慄きながら、身をよじって後じさった。光から逃れようと、もがけばもがくほど、少女は女人の手に落ちていく。これで死ぬのだ、という直感は、海面を見上げていた先ほどとは比べようのない、たしかな触感を与えた。死にたくない、と思った。少女は、竜宮になど行きたくなかった。それを始めて思った。
身体の中で逆巻く熱いものは、一体何なのだろう。だから、掴んでしまったのだ。少女を招く、その手を。
女人の瞳が、息遣いが間近に迫り、水流に襲われて思わず目を閉じた。
少女は、澄んだ光の中に、意識を手放した。
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