(七・一)祐天寺駅前4

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(七・一)祐天寺駅前4

 二十四歳でそれまでの会社員生活に別れを告げ、バルタン協会の布教活動に専念するに至った彩子。しかしその希望は簡単に叶った訳では勿論ない。両親の猛反対に遭うのである。  未信者である両親が「はいそうですか」と簡単に許す筈がない。長男の保夫を失い、今や掛け替えのないひとり娘の彩子であるから尚更のこと。これを許したら彩子は永久にあっちの世界に行ってしまう。ここは監禁してでも阻止するぞと実力行使の構え。しかし娘とはいえ二十歳を過ぎたひとりの人間の意志を否定しその自由を奪うことは、極悪非道の輩でもなければ出来ないことである。 「これがわたしの人生、唯一の望み、生き甲斐なの。もしもそれが叶わぬのなら、生きていたって仕方がない、わたし死にます」  そんな台詞で涙ながらに訴えられたら、どうにも敵わない。事実彩子は食事も摂らず、顔は思い詰めた表情で青ざめ、今にも自殺しかねない悲愴さである。死なれては元も子もない。落胆の溜め息を零しながら、どうにも諦めざるを得ない両親である。あの子は宗教と結婚したのだ、あの教団の神様の許へ嫁いで行ってしまったのだ。そう、自分たちの心に言い聞かせる彼ら。 「おまえの好きなようにしなさい」  遂に両親の反対、即ちバルタン協会的には邪悪による迫害と妨害とに打ち克った彩子に、最早恐れるものは何もない。所謂出家ではないが渋谷の教団施設で合宿しながら、渋谷駅前を中心にひたすら布教に明け暮れる毎日の始まりである。  元々清楚、大和撫子風美人の彩子であるから、街頭で声を掛けられた男の何割かがその魅力に引き寄せられ、ついついバルタン協会まで足を運んでしまうのは勿論のこと、同性の若い女ですら、生き生きと神について語り赤の他人の自分の悩みに真剣に耳を傾けてくれる彩子に好感を抱き、矢張りバルタン協会へと導かれてしまう。お陰で彩子の布教成績は好調、教団幹部も目を見張る程の存在となってゆく。  しかし彩子は驕ることなくひたすら神を求め、信仰の向上に努めるのみ。最早物欲もなければ恋愛して家庭を持つといった女の幸せにも興味がない。布教すればする程、自分はこのまま一生独身を通し神様に全身全霊をお捧げしたいとの決意が湧き上がって来る彩子、二十五歳の春である。そんな矢先、担当幹部の黒岩教師からブライダル布教を勧められる。が流石の彩子もこれには躊躇い、迷いを覚える。  ブライダル布教といえば若い女性信者が対象となるのだが、その中でもよっぽどしっかりした信仰の持ち主でなければ教団としては花嫁候補として選抜しないし、本人にも勧めたりはしない。それは嫁ぐ先が発展途上国である為厳しい生活環境を強いられ、それなりの覚悟がなければとても務まらないからなのだ、と黒岩教師は説明する。また家族にバルタン協会の信者がいる者も対象外であるとのこと。それはなぜかと彩子が問えば、ファミリーで信者だという家庭はバルタン協会にとっては貴重な存在であり、従ってファミリーとして日本の救済に尽力してもらう使命があるからなのだと、黒岩教師の答え。成る程使命などと宣言されては、反論の余地がない。  迷いの中で、彩子は例によって深夜人影のないチャペルにて、ひたすら祈りを捧げる。 「わたくしは如何致しましたら宜しいのでしょうか。どうぞ、御心のままにわたくしをお使い下さいませ」  すると彩子にしか聴こえない『祝福』が彩子の耳に届く。それにより彩子は感涙の中で迷いが吹っ切れ、『祝福』をくださった目には見えない神様にひれ伏すのである。翌朝、彩子は黒岩教師に「是非わたくしをブライダル布教にお使い下さい」と申し出る。  その後布教先詰まり結婚相手が決まったのが彩子二十五歳七月。相手はアフリカの最貧困国の首都に住むバルタン協会信者、名前をザビエル・ミカエル・カルマと言う。半年後の一月元旦アフリカの地に出発し、現地で婚姻を行う。それまでは一度たりとも相手と顔を合わせる機会は得られないが、連絡を取りたければ彼は英語が話せるから直接国際電話を掛け、当事者同士でやりとりしてほしいとのこと。何とも無責任で心許ない限りではあるが、教団としては今迄もそうやってすべてを神様にお任せしてやって来たからと、まったく意に介さない様子。結局教団から渡された物は、電話番号を含めたザビエルの簡単なプロフィール資料と、顔と全身の二枚の写真だけである。  相手のことが殆ど分からないそんな状況の中でも、教団即ち神様が自分に最も相応しい相手としてまた布教地としても最も適した場所として用意して下さったフィアンセなのだからと、すべてを受け入れ、ザビエルを愛するよう努める彩子である。  師走を迎えた祐天寺駅前、いよいよ彩子のアフリカ出発まで残すところ後一ヶ月。コートに身を包み、寒さにも負けず相変わらず熱い宗教論を戦わすふたり、哲雄と彩子である。 「人生とは何ですか」 「神様と共に在り、神様の命ぜられるがままに生きること。それこそが人間の人として本当の理想的で最高の人生だと思います」 「はあ。では人間とは何ですか」 「神様が自らの姿を模して創られた生きものであり、かつ神様の御理想を実現させる為この世にユートピアを建設するという役割と使命を与えられた、神様の忠実なる僕であると思います」 「僕ですか。では僕であるぼくたちは、神様の為に生まれ、神様の為に生き、そして神様の為に死んでゆくという訳ですか。ただ神様の為だけに存在していると」 「まったくその通りです。神様の命により生まれ、神様の命により生き、神様の命により死んでゆく。ですから死ぬことも決して恐れる必要はないのです」 「では、僕たる人間の喜びとは一体何ですか。人間の幸、不幸とは何なのですか。世間の大部分の人は神様の存在など気にせず、ただ毎日をあくせくと生きています。みんな素朴で、日々の暮らしにひた向きで、その時々を一生懸命生きているのです。でもそれでは駄目だと、それだけでは不充分だと」 「そうです。残念ながら、神様の存在を悟らなければ、どんな栄光も喜びも無意味です」 「では人間の苦しみとは何ですか。なぜ人は苦しみ、悩み、もがかねばならないのですか」 「それは罪の贖いの為です。でも神様の存在を知れば、神様によって楽にして下さるのです」 「では苦しみに負け、自らの命を断った人はどうなるのですか」 「自殺は、神様への最大の裏切りであり……」  しかし答えながら彩子は唇を噛み締める、つい保夫のことを思い出してしまい。その時哲雄もまた保夫のことを考える、そしてもしかして保夫さんは自殺したのではないかとふっとそんな想いが過ぎる。 「失礼しました。では先程人は神様の命により死んでゆくのだと言われましたが、死んだらその後人はどうなるのですか。神様にとって用済みとなり、死んだ人はただ灰になるのみですか。死とは」 「肉体は灰と化しますが、魂は……」 「魂は、どうなるのですか。何処かに存在し続けるのですか」 「魂は……。残念ながら殆どの魂は、肉体と共に灰と化します。が、選ばれた魂だけは神様の中に存在し続け、やがて来るユートピアの時代に神様によって復活して頂けるのです」 「復活ですか」 「そうです、復活です」 「生まれ変わり、詰まり輪廻転生ではなくて」 「ええ、復活です」 「元通りにですか」 「元通りにです」 「じゃ、幾つに復活して下さるのですか」 「幾つ」 「年齢です。何歳にですか」 「何歳」 「たとえばあなたが復活されたとして、その時あなたは一体幾つなんだろうなってふと思って」 「あっ、そうですね、確かに……。幾つなんだろう」 「すいません、意地悪な質問して。でも、もしあなたもぼくも復活出来たら、再会することもあるかも知れないという訳ですね」 「あっ、ええ、そうですねえ」  俄かにその瞳を輝かせる彩子である。もし万が一哲雄さんをバルタン協会に導くことが出来たなら、そんなことも可能なのに……。されど哲雄の言葉はつれない。 「ブースカ仏会では、死んだら魂はしばし霊界なる場所で修行を積んだ後、再びこの世界に再生即ち輪廻転生すると説いています」 「存じ上げております」 「そうですか。でもぼくは、やがて来る最後の審判で大部分の人が滅び、この世界が終わってしまうのだとしたら」 「だとしたら」 「自分は輪廻転生など望まず、魂もまた灰になりたい……です」 「えっ」 「灰となって、永遠の無に帰したい」 「でも、それじゃ寂し過ぎませんか」 「寂しくなんか、ちっともありません。永遠の無となって、じっとこの世界を見ているんですよ、だから寂しくなんか……。おっと感傷に浸ってる場合じゃありませんね。では最後にお伺いします」 「はい、何でしょう」 「ズバリ、神様とは何ですか。そして悪魔とは」 「そうですねえ、神様とはこの宇宙を創り給ふた、そして人類を救いユートピアへと導いて下さる、わたしたちのすべての憧れ、愛に満ち溢れた、ですからどんな言葉を以てしても讃えることの出来ない御方であり」 「はい」 「一方悪魔は人類を悪へと堕落させ、この世界を地獄と化す悪しき者」 「そうですか、では神と悪魔とは完全に対立し闘っていると。うーん、ブースカ仏会では、神とはこの宇宙そのものであり、悪魔もまた神様の一部であると説いて……。止めますか、どうもあなたとぼくとの間にはギャップが有り過ぎるようで」 「そうですかねえ……。でもわたしたちたとえ所属する団体は違っても、生活する国は異なっていても……、そう大陸すら違う。でもどんなに遠く離れても、わたしたちの想いはひとつですよね」 「ひとつ」 「そうです、人類救済という想いの中で、わたしたちはひとつ、ですよね。わたしたちやっぱり同志ですよね」 「それは勿論ですよ」  固く手を握り合うふたり、寒さも忘れる互いの手の温もりである。
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