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(八・一)ゼットンフォーラム4
哲雄を通じてまんまとブースカ仏会に入信したゼットンフォーラムの三人組、アーサー青木、チャーリー林川、マリリン森原。その後も積極的にブースカ仏会の行事、勉強会に参加し、哲雄以外の信者とも交流を深めつつ熱心さをアピール、みんなの信用を得てゆく三人。僅かではあるが献金もするし、早朝からの教団施設の清掃奉仕は勿論、布教だって哲雄と共に都内の民家をせっせと回って歩くひた向きさ。
これには三人を導き、三人の世話係を務める哲雄も吃驚。入信当初の人間というのは哲雄もそうであったように、なかなか自発的に参拝したりはしないもので、世話係がせっせとこまめに連絡を取り継続的に誘うことでようやく信仰に目覚めてゆく。しかもそうなる人間というのはほんの一握りだけ。それが三人が三人共となれば、教団のみんなからも良い人を導いたねと祝福されるから、哲雄としては照れ臭くもありまた鼻も高い。人を救済するってのはこんなにも嬉しいものなのかと、込み上げる喜びを抑え難い程である。
そんな中、ブースカ仏会最大規模の式典が『弥勒祭』というものであり、しかも毎年十二月二十五日に開催されることを知る三人組。
「何で弥勒のお祭りを、クリスマスにやんのかいな」とアーサーが呆れれば、
「その方がカッコいいからでしょ、人も集まり易いだろし」とチャーリーが真面目に答え、
「ばっかみたい。何処もおんなじ日にお祭りすんのね」とマリリンは例によって大欠伸。
その日は日本全国各地からブースカ仏会の熱心な信者が一堂に会し、本部神殿にて人類救済の大礼拝を行うという。
そこでゼットンフォーラムである。スパイとして送り込んだ三人組とこまめに連絡を取りながら、着々とブースカ仏会に対する破壊活動の準備を進め、遂に化学兵器ゼットンが完成。よし、ではその弥勒祭とやらの最中に決行しようではないか、となる。これで後は来たるクリスマスの日、化学兵器ゼットンをブースカ仏会神殿に持ち込み、警察に垂れ込んだ後、式典の礼拝中にでもどばーっと派手に撒き散らせば良かとよ。皆の者、準備は良いか。アイアイサー、ハイル佐谷、佐谷マンセー……。とこうして後は十二月二十五日を待つばかりのゼットンフォーラムである。
ところで三人組の中の紅一点マリリン。実は哲雄をひと目見たその時から、少なからず恋心にも似た感情を抱いているのである。なぜなら初恋のきみにちょっと似ている。従ってブースカ仏会の教えになど一切興味はないが、哲雄に関しては興味津々。ということは哲雄と会った初日に祐天寺駅前で哲雄と親しくしていた女詰まり彩子と哲雄の関係についても、当然興味があるというかジェラシーそのものである。
てっきり彩子もブースカ仏会の信者かと思っていたけれど、ブースカ仏会の施設にて一向に顔を合わせることがない。そこでそれとなく哲雄に問うてみるマリリン。それが十二月十九日、詰まり哲雄が彩子に告白した翌日のことである。
「ねえ、あの祐天寺にいた美人のお姉さん全然見ないけど、元気してるの」
「ああ、彼女。あの人はバルタン協会の人なんだよ」
「ええっ」これには流石のマリリンも、あんれまあとびっくらこく。
「バルタン協会って、あのブライダル布教で有名なバルタン」
「そだよ」
そだよって、あんた。珍しくしつこく食い下がるマリリン。
「ねね、何でまたバルタン協会の人と仲良い訳」
「仲良くなんかないよ。ただ、祐天寺駅前で布教してるうち、何となく話すようになっただけ」
「へえ、ほんとそれだけ」
「それだけ」
顔をまっ赤にして答える哲雄に、こりゃなんか隠してるなと鋭く見抜くマリリン。そこでお節介にもバルタン協会の話題を継続。
「なんか知んないけど、結構やばい話もありそうよ、あそこ」
「ん、そうみたいだね。でも何処の宗教も似たようなもんだけど、末端でやってるぼくらみたいな信者はみんな真面目だし、ひた向きなんだよ」
「そりゃそうよ。あたしら下っ端は、上の連中が何やってるかなんて、何にも知んないもん。ほんとばっかみたい」
「実は彼女も年明けたらね、アフリカ行くんだって」
「ええっ、アフリカ。もしかして、ブライダル布教」
「そ、ブライダル布教」
「まじ、やばいかもよ、それ」
柄にもなく腕組みして、顔がシリアスなマリリン。
「そかな」
「そうよ。絶対あれ、怪しいって」
怪しい……、哲雄もいつしかシリアス顔。
「怪しいって、何か知ってんだ、森原さん」
「うん」と頷き「絶対内緒だよ」とマリリンが哲雄に話して聞かせた内容は、以下である。
これはあたしの友だちYちゃんから聴いた、バルタン協会の信者だったYちゃんの姉I子さんのお話ね。もう三年前のことだけど、I子さんも家族の反対を押し切ってブライダル布教に出発したの。行き先はアフリカの或る国だと言い残して。
ところが去年Yちゃんがロンドンに旅行した時のこと、繁華街でばったりI子さんらしき人物を見掛けたの。驚いたYちゃんは、お姉さんでしょって話し掛けたんだけど、相手はまったく反応なし。なんかぼおーっとしてるみたいで、しかもすっごい痩せてて顔色だって青い。これはもしかして人違いかなあ、なんて思ってる隙に、その人引き止めようとするYちゃんの手を振り払ってさっさと逃げるように人込みの中に消えてしまったんだって。
ロンドンから帰国したYちゃんがそのことを家族に話すと、みんな吃驚してお父さんがバルタン協会を問い詰めたの。I子はどうなってるんだ、I子の居場所を教えろって。ところが、家族には教えないでほしいというのがI子さんの希望だから、申し訳ないけれど教える訳にはいかない。それがバルタン協会側の回答だった。
その後諦め切れないYちゃん家族は何度かロンドンに出掛けたけれど、二度と再びI子さんを見掛けることはなかったって。今から思うと、絶対I子さん本人だったと思うってYちゃん。あの時どうしてもっとしっかりつかまえなかったのかって、Yちゃんは今でも後悔に苛まれているの。
「だから、彼女も気を付けた方がいいよ」
そうマリリンは忠告し、確かに哲雄もおかしいとは思うけれど、今更彩子にこんな話をしたところで却って反発されるだけだと、哲雄はだからもう彩子に話す気はない。
「ふー、お喋りしたから、あたしお腹減った。ね、どっか飯食い行こ。奢ったげる」
「いいよ、ぼくが奢るから」
こうしていつしか、マリリンと哲雄も親しくなってゆく。東京のまん中でキャンパス仲間でもなくビジネス関係でもない見知らぬ者同士が出会い、仲良くなる。新興宗教とはまこと不可思議なものである。
アーサーとチャーリーも、世話係の哲雄と仲が良い。尤もこちらは真面目でお人好しの哲雄をまんまと利用してやれ、という下心から。熱心に宗教談義に興じながらも、ブースカ仏会の情報収集を怠らない。例えば弥勒祭二日前である十二月二十三日の晩、教団施設近くのファミレスでのことである。
「弥勒祭はなんで十二月二十五日なん、哲雄」とアーサーが問えば、
「それそれ、自分も気になってたん。なんでですか」とチャーリーも。
そこで哲雄はこう答える。
「それですよね、ぼくも最初思った。何でも教祖は最初キリスト教で人類を救済しようと思い立ったそうで、ブースカ仏会を設立した日もだからクリスマスなんですよ。その時は勿論ブースカ仏会じゃなくて、ブースカ基督教会という名称だったんですけどね」
「へえ、新興宗教に歴史有りってやつ」
「ま、そんなとこですか。けど途中で挫折してしまったんですね、何ていうか限界を感じたそうで。それで百八十度方向転換、現在の仏教をベースとした教えを説いていると」
「なーるほど。だから言い方は悪いけど、キリスト教と仏教のいいとこ取りみたくなってんのね、はいはい」
「ま、そんなとこですかね」と哲雄も苦笑い。
「でもさーあ、結局人類の進歩なんて、そんなもんなんじゃないの。いつまでも旧体制にしがみ付いてたって、現実に人類が救われなきゃナンセンスな訳だし」
「でっも、その割りに肝心の弥勒祭の日がそのまんまって、超てきとうじゃないですか。ま、そこがブースカ仏会のいいとこでもあるんでしょうけどね」
なーんて話をしながら、にこやかに盛り上がるアーサー、チャーリー、哲雄の野郎三人衆である。
「でもさ、弥勒祭ともなれば、やっぱすっげ人集まるから大変なんじゃねえ、警備とかって」
「いえ、うちはそうでもないですよ、いつも平和ですから。信者の有志が建物の周りをぽつぽつと取り囲んでいる程度で」
「へっえー、そんなもんなんだ。で神殿の中は」
「神殿は主に青年部の女の子とか婦人部の人が、礼服姿で入場整理にあたってますけど、それ位ですかね。今迄トラブルとかあんましなかったですから」
「何事も平和が一番ってやつですかね。あ、そうそう、忘れてた、哲さん」とチャーリーが問う。
「どうかしました」
「それが、自分弥勒祭の日は仕事帰りだから鞄持ってんですけど、どうすりゃいいです。持ったまんまじゃ神殿入れないでしょ」
「あっ、多分大丈夫ですよ。その日は荷物置き場も一杯になっちゃう筈だから、よっぽど大きいのでなければ」
「まーじ、神殿に持参OK。良かった、大事な書類とか入ってんで。ふーっ、助かった」
「じゃ、安心したところで腹減った。飯食お」とアーサー。
「いいすね」
「いつも哲雄には面倒見てもらってっから、今夜は晩飯奢らせてくれよ」
「いいんですか、悪いなあ」
「いいんですよ、自分にも奢らせて下さい。自分なんて哲さんのお陰で人生に生きる希望を持てましたからねえ」
「そんな、大袈裟な」
「大袈裟なもんかよ、なあチャーリー、じゃねえ林川くん。そだ、乾杯すっか三人で。飲めんだろ哲雄も」
「乾杯ですか」
「そうそう、弥勒祭の前祝いですよ」
普段飲まない哲雄は、その夜アーサー、チャーリーと共に飲んで騒いで、顔まっ赤にして帰路に就く。
翌日十二月二十四日と言えば、言わずと知れたクリスマスイヴ。渋谷にあるブースカ仏会の本部では、信者たちが朝からせっせと弥勒祭の準備に追われる。その中にはアーサー、チャーリー、マリリンの三人組の姿も。哲雄も夕方まで一緒になって手伝っていたけれど、一足先にちょっと失礼と既に帰宅済み。というか帰路の途中で祐天寺駅前に立ち寄り、彩子から決別を告げられたことは、前述の通りである。
ブースカ仏会の神殿の一階は板張り、二階は紫の絨毯が敷き詰められており、そこへ式典用のパイプ椅子をば、びしーっと隙間なく並べてゆく。その作業を手伝いながら、アーサーとチャーリーは明日決行するであろう自分らの任務に想いを馳せずにいられない。どきどき、どきどき……っとチャーリーは勿論のこと、流石のアーサーも少しばかり緊張気味。マリリンだけがマイペース、いつものようにお腹減ったと大欠伸である。
弥勒祭準備の手伝いが終わると、三人組はゼットンフォーラムの施設に戻る。そこで幹部たちとの最終ミーティングを行い、後は静かに明日を待つのみである。
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