第二話

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第二話

 研究室といっても名ばかりで、その狭さをもってして奇病学科の人気のなさを体現していた。  ほぼ地下に位置するこの部屋の日照時間はお情け程度なもので、加えて隣近所の研究室や教室の兼ね合いから、微かに樟脳の匂いが立ち込めていた。  一応鉄筋コンクリートが主でできた建物ではあるが、時折、土蔵の中にいるのではないかと錯覚してしまう。    しかし、実は手狭なこの研究室を芳泉は気に入っていた。  「隙間が嫌いなんだよ…。」はて、これは誰の言葉だったろうか。  そんな、どうでもいい事を思いながら、芳泉は自身のデスクに向かった。  部屋の奥にポツリと一つ、大学側から支給された机が一つ。数から分かるように、それが芳泉のデスクだ。PCモニターと、キーボード。それとマウス。マウスパッド代わりに敷かれているのは、何時ぞやのレポートの山で、下の方は日に焼け黄ばんでいる。この部屋の日照時間を鑑みるに、かなり古いものである。これがデフォルトな配置だった。  さらに、芳泉が使うデスクの上には決まって、趣味の悪い骨董品やら、伝承をまとめた論文が散乱している。これらのラインナップは日によりけりで、今日は何時かの依頼の手紙だ。干からびた猿の左手は見なかったことにした。  内野夏目とは、とある山間の村で出会った。芳泉の記憶が正しければ、確か五香村といった。もう五年前になるのだろうか。芳泉が初めて会った頃、彼女は十七歳だった。  「もうすぐ資料の整理が終わりますよ。」  ふと顔を上げると、夏目が資料の整理を行ってるのが見えた。バインダーに資料を挟んで、ナンバリングし、棚に並べる。それを繰り返していた。  「あぁ、ご苦労様。」  「今日の講義は少し、饒舌気味でしたね。」  資料の整理が終わったらしく、夏目は来賓用のソファにちょこんと腰をかけた。後ろで一つに結ばれた髪が芳泉の目に映る、随分長くなったなと思った。  「からかわないでくれ。」  フフッ夏目が微笑んで、髪をほどきながら、こう続けた。  「そういえば、先生。あの講義の内容は前に一通り聞かせてもらっていますよね。何でまた。」  髪をほどくのが様になっている。艶のある黒髪だ。最初に出会った頃は壺のような冷たい印象の少女だったのに、今ではだいぶ角が取れた印象だ。  「あぁ、確かに君には呪いに対する耐性をつけてもらうために、一通りの事は教えたが、それは私の自室でだったろう。」  「なんだか、助兵衛ですね。その文脈。」  「話を聞きなさい。」  「今回、大事なのは学校という環境で、しかも講義という名目で君はあの話を聞いた。それに意味があるんだ。」   「学校にですか?」  「呪いは人の思い、念があるといっただろう。なら思い込みも然りと思ってね。呪いを学ぶ場で呪いについて聞くと、何らかの影響があると思った。それだけだよ。」  「先生らしくないやり方ですね。なんだか漠然的というか。」  実際、今打てる手立てはすべて尽くしてはいるが、どうにも夏目の呪いにはまるで効果が見受けられなかった。  「なりふりに構ってなどいられないさ。特に君のその花の呪いは特殊で厄介なものだからね。」  「でしたっけ?」  「そうだ。」  呪いは本来、二点間で行われるが、夏目の呪いはを全て一人で完結していた。呪いをかけたのも、またかけられたのも、夏目自身である。そういった一点間の呪いを、一人掛けと呼んでいる。  「これが中々ね。基本的なものなら、呪いの元、つまり憎悪や嫉妬などが第三者視点から直ぐに見つかるが、とは良くいったものだ。」  「理想?背中ですか?」  ちょこんと、夏目は首をかしげた。  「あぁ、ここでいう理想とは、つまり、自分はこうであるとか、こうありたい。などの、謂わば深層心理ってやつさ。それが君に呪いをかけている張本人だ。それならすぐにに解けるじゃないかと思うだろうが、そう簡単じゃない。」    蛇足だが、こんな呪いがある。例外の中から更に例外として、二重人格者の片方がもう片方の人格に呪いをかけるといったものだ。それらは基督教に多く、悪魔がなんだといって、主にそれらはエクソシストなんかの領分だった。芳泉も一度だけその手の事件に立ち会った事がある。その時は純粋な二重人格者によるもので、A人格がB人格を呪っていた。  「自分自身の事なんて、本当は分かりやしないからね。だから深層心理、理想の本質を拝むことが出来ない。背中しか見えない。そういう(ことわざ)だ。」  一息をついて、芳泉は踵を鳴らした。芳泉が饒舌になる合図だ。  「因みに自分自身にかける呪いは、解きにくさで言えば二番目だ。一番は母が子にかける呪いだ。これは、まず言って解術は不可能であるが、、」  「先生、、先生。また饒舌モードになってますよ。抑えて、どうどう。」  はっと、我に返った芳泉は、一つ咳払いをした。どうにも教鞭を振るうようになってから喋り過ぎる癖が出来た。口は禍の元である。慎まねばといつも心に決めているが、これは最早、職業病なのだと芳泉は半ば諦めていた。  「それより先生、この大学の生徒でもない私が、他の子たちと一緒に講義を受けてもよかったんですか?」  落ち着けと言わんばかりに、夏目は話の鼻をおって、別の話題を持ちかけた。  「む、痛いところをつくな。アウトかセーフで言えばアウトよりだろうな。本校の学生以外が講義を正規の手段で受けるとなれば、一般公開された講演会、若しくはオープンキャンパスだろうが、君はもう高校生ってわけにはいくまい。」  「まぁ、私そんなに歳って訳じゃないですよ。ただ、高校生と名乗るとちょっと痛いくらいです。先生こそからかわないでください。」  むっとした顔になると、直ぐに頬が赤らむ。夏目の特徴だ。  「ただ、アウトよりといっただろう。ここは私立の大学だし、融通はきく。ここの校長、理事長は懐が広いんだ。」  そういって、芳泉は右手の親指と人差し指で輪をつくって、夏目の方に腕を伸ばした。金次第というジェスチャーだ。  「なんだか、身も蓋もありませんね。」  「耳が痛いな。でもそんな悠長なことを言ってる暇もない。」  そう言って芳泉は夏目を見つめた。より具体的にいえば夏目の右目をだ。  やはり、その瞳には花が咲いていいる。もう殆どの花弁が枯れてしまって、残りはたったの二枚の美しい花だ。  いつ、次の一枚が散ってしまうかまではわからない。眉間に矢先を向けられた様な焦燥感が芳泉を包んだ。また、眉間の皴が深くなる。  芳泉のモノローグを感じとったのか、ふと夏目の目が潤んだ。  すると、それに呼応する様に右目に咲く山荷葉の花も反応する。  真白な花弁はその輪郭だけを残して無色透明へ変化する。山荷葉の花の特徴だ。  夏目は瞳に変化が訪れる時、決まってばつの悪そうな顔をする。  それが芳泉には、まるで、体内に小さな棘が刺さったように、傷んだ。  きっと夏目は自分に何らかの噓を付いている。芳泉にはそんな気がしてならなかった。  「まぁ、いいじゃないですか。きっと今に良くなります。こうやって先生に言われた通りに治療もやっているんですから。」  はぐらかす様な物言いに、更に疑念の拍車がかかるが、芳泉がこれ以上踏み込もうとすると、夏目は少し不機嫌になる。    「まぁ、そうだな。」  芳泉は、所在なさげにデスクの上の、古びた手紙を手に取った。  これもまた、何かの呪いなのかね?  「そうそうこの大学が、地獄の沙汰も金次第と教えてくれたのは、君も良く知っている人だよ。」  そういって、その古びた手紙の差出人の名前を、ちらと夏目に見せた。  茶色い便箋には、「五香村村長、岡本隆。」そう綴られていた。 /* 次回は三話目にして早くも閑話休題にさせてもらいます。ネタ切れとかじゃなくて、自分の言語化能力が追いつけてないので。すみません。 次の話はなんか、適当に芳泉に講義をしてもらいます。 */  
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