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信念を持つひと
私は翌日、荻島ダイビングセンターに忘れた衣類を取りに行った。
その際、オーナーが教えてくれた。
「え? ヒビ? 」
「そうなんだ。たぶん落ちた時に岩にぶつけたんだろうね」
「じゃ、私のせいで.. 」
「あ、そんなつもりで言ったんじゃないよ。運が悪かっただけだから。それに折れてなくて良かったよ」
そんな状態なのに私を曳いて泳いで、そして背負ってくれた。
私に気遣って明るく振舞ってくれていた。
「あ、あの..ケガ ..腕のヒビってどれくらいで治るんですか? 」
「そうだなぁ。ひと月くらいはかかるだろうね」
「 ..じゃ、私働きます。彼が働けるようになるまで、何でもします。働かせてもらえませんか? 」
「そこまでしなくても大丈夫だよ。もともと佑斗だって、ちょっとした手伝いなんだから」
「で、でも、私、責任取りたいんです。ダメですか? 」
「う~ん。じゃあ、責任とかは無しでアルバイトって形で働くかい? 」
「それでお願いします! よろしくお願いします。」
その日、私は電話受付のやり方を琴子さんから教わった。
あの時、佑斗さんのケガの責任を取りたいって思ったのは本当。
でも、同時に自分にすべきことができた。
それを取り逃したくなかった。
私は受付の他、自分にできることは何でもやりたかった。
重いタンクの積み下ろしにお客様の器材の運搬。
こんな力仕事をしていることが母に知れたら、きっと叱られてしまうだろう。
いや、もう叱られることもないか....
だって、母はもう私に期待などしていないのだから。
数日後、佑斗さんが腕を吊るして施設に入ってきた。
どうやら完全に治るのに1ヶ月半かかるらしい。
私のせいだ....
「蒔絵ちゃん、ありがとう。助かるよ」
そんな言葉の照れ隠しで、私はとんでもない事を口走ってしまった。
『別に、あなたの為じゃない。私の気が収まらないから....』
バカ! 私は大馬鹿だ! はぁ.. またやってしまった....
私はいつから素直な言葉を出せなくなってしまったのだろうか。
せめて業務内では素直な気持ちで佑斗さんの言われたことはちゃんとできるようにしたかった。
でも、あの日、私の無知からセンターを利用するダイビングショップを怒らせてしまったのだ。
朝のうちは確かに静かな海だった。
でも次第に海はウネリを伴って荒れてきたのだ。
「なんだよ! こんなに荒れてちゃ5人連れてなんて潜れねぇじゃんか。初心者なんだぞ。荻島まで来たら、もう他の場所に変更できねぇんだぞ!」
『朝のうちは本当に静かだったんです』と言い訳すると、シズナダイブさんの怒りに油を注ぐことになった。
私は度重なる自分の失敗に平謝りするしかなかった。
「ふざけやがって! このド素人が! 」
そんな言葉を浴びせられると流石に耳がジンジンと熱くなってしまう。
見るに見かねて私をかばってくれたのは佑斗さんだった。
「いいよ、蒔絵。もうそれ以上謝らなくて」
「なんだお前は。ここのスタッフは教育が出来てないんじゃねーのか!? 」
「シズナダイブさん、ここの海をご存じのはずですよね。荒れればたちまち初心者のエントリーが難しくなる事も。うちのスタッフはその時の海況をお教えしただけです。その先、海がどのように変化するかは、シズナさんも風向きで判断すべきだったのではないですか? 」
「なんだと! 生意気だぞ! この野郎」
「わかりました。俺がシズナさんのアシスタントとして一緒に潜ります。サポートします。これでどうですか? 」
「佑斗さん、まだ腕が.... 」
「蒔絵、大丈夫だよ」
「何言ってるの、佑ちゃん。大丈夫じゃないでしょ! 」
「琴子さん 」
「シズナさん、お久しぶりです」
「お、おお ....琴子ちゃんか。」
「いろいろなお話は大きな声で聞こえてきました。私がアシスタントしますよ。それでどうですか? 今回は収めてもらえないですか? 」
「ま、まぁ、琴子ちゃんが手伝ってくれるなら..」
琴子さんは心配する私にウインクしてくれた。
ほっとするのと同時に涙が溢れてしまった。
私の肩を2回叩くと佑斗さんはバックヤードに下がっていく。
寸でのところで琴子さんが話を付けてくれたから助かったけど、あのままだったら、また私のせいで佑斗さんに無理をさせていたかもしれない。
いつもはどこか頼りないけど、譲れない事には馬鹿みたいに堂々としている。
私は佑斗さんにどこか父と同じものを感じていた。
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