とんでもない事情をもつ馬鹿

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とんでもない事情をもつ馬鹿

「いやお嬢、泥棒とは違うんだって」 「ばっ…!違うはずないじゃない!」 「だって泥棒ってなんかあれじゃん、かっこわりぃじゃん。これそういうんじゃねぇもん」 なにがもん、だ。 泥棒じゃないというのならその右手光るものは何だというのだ。 夜の僅かなひかりにもきらきらと輝く、炎の色をした宝石があしらわれたティアラは確かにアーギウスの右手のなかにある。 神々しいまでに美しいそれは王族のみが手を触れることを許される、この国の宝ではないのか。 数日前、友人たちとの雑談のなかでもその存在は話題になった。 このたび王都で行われる王子殿下の成人祝賀祭で、王妃があのティアラを載せて登場するらしいという話があったからだ。 国を挙げて盛大に開催されるそれには当主である父と、早くに亡くなった母の代わりに長女のゾーアが出席することが決まっていたから、友人たちはゾーアを羨ましがったものだった。 一度でいいから頭にのせてみたいとか、そんなことを笑いながら話したことは間違いがないが、そんなものは単に年頃の少女らしい憧れに過ぎない。 「そんなもの…手が届いちゃいけないのよ…!」 「あ?お嬢なんか言った?ここ高いからよく聞こえねぇや」 「じゃあ降りてらっしゃいよ!!」 眉根にしっかり皺を刻んで本日何度目かの大声を上げるゾーアに、アーギウスはえらく楽しそうに、そして悪だくみを思いついた時のような表情を浮かべた。 「やだ」 「…へ?」 「やだ、まだ降りない」 何を言っている。 こんな、宝物殿を守護する兵士に取り囲まれ、ものものしく武装した騎士だって数を増やしてバルコニーを包囲しているというとんでもない状況のなかで、なにを。 一刻も早くティアラを返却して、あらん限りの謝罪と賠償をつくして助命だけでも嘆願しなくてはならないという、これはもはやそういう事態だ。 だというのにこのアーギウスは自分の罪を誤魔化し、ゾーアたちの必死の説得に、事もあろうにやだなどと。 「ば…馬鹿!大馬鹿野郎!!」 その瞬間、ゾーアはもう嫁入り前の体面もなにもかもかなぐり捨てて叫んだ。 「あなた全然分かってない!こんなことして許されるはずがないじゃない!早くそれをお返しして謝らなきゃ!このままじゃ殺されちゃうでしょう!!」 「ぞ、ゾーア、やめなさい」 「お父様もなんとか言って下さい!あんな奴でも私たちの家の者です!今すぐにお許しを乞えばまだ」 「大丈夫なんだよ!アーギウスは殺されない…彼はあのティアラに触れる権利がある者だ!」 「…はい?」 ティアラに触れる権利がある者。 それは王族、この国を統べる血筋の者を指す。 なんで? この父、まさかアーギウスが作り出したこのとんでもない状況に頭でもやられたか。 確かにそれはありうる話だ、こんな、王族以外の手で触れてはいけない国の至宝を盗み出すなんて家の取り潰しを賜ってもおかしくない大罪であるのは間違いがないから。 いやでも王族なら、王族ならば問題ないといえば確かにその通りではある。 王族…王族?このアーギウスが? いつになく厳しい表情を浮かべる父に向かって、ゾーアはもう一度はい?と間の抜けた返事をひとつした。 「アーギウスは…王族だ」 「え…あの、はい?」 「遠縁の子としか説明はしていなかったが、実は…アーギウスは先代の王の妾の子なんだよ…」 父が珍しく深刻な表情で語るところによると、アーギウスは先代の王がたった一度手を付けた娼婦の生んだ子らしい。 王家は継承権の放棄と今後一切王家に近づかぬことと引き換えに、アーギウスに辺境貴族の遠縁の子という戸籍を与えた。 その辺境貴族、というのがゾーアの家なのだと父は言った。 「…この王都行きの話が来た時、アーギウスはすぐに同行を志願した…絶対に連れてはいけないと何度も諭したが聞かなかった、行かなくてはならない理由があると言ってな…」 「それ…は、どういう…」 「自分の出自と向き合う必要があると、そう感じていたんだろう。アーギウスがこの地に立ったところでできることはない。けれどそうしなくてはきっと…前に進めないと」 握りしめた父の拳は僅かに震えている。 あまりに信じがたい内容の話だ、このでたらめで粗暴な男がまさか王家の人間だなんて、急に言われたところでゾーアには飲み込めるはずもない。 けれど、アーギウスがやって来たのは確かに5歳の頃で、しかも今に至るまで貴族の子らしからぬ立ち居振る舞いをしているのは事実だった。 生まれてから5歳頃までは娼婦の子として生きてきたのだとしたら、それも頷ける。 そしてなにもない娼婦の子を居候させる理由など、やはりゾーアの父にはないのだ。 今や兵士も騎士たちも、殺気をどこかに置き忘れてしまったようにただ成り行きを見守っている。 そして父は、アーギウスをひたと見つめた。 「アーギウス、お前の出自は…お前の血はここを指していたんだろう」 このとんでもない行動の陰には、自分の命の源流を知りたいという願いがあった。 そうなのだろうと、父は重々しくアーギウスに問いかけた、のだが。 「俺そういうの興味ねぇです、親父殿」 「え」 「今の暮らしに満足してるんで大丈夫っす」 「だいっ…大丈夫ってお前」 「それよかお嬢さっき俺のことすげぇ心配してなかった?なーお嬢!」 えっわたし? いま出自を巡る重大で壮大な話が始まろうとしていたところではないのか。 唐突に話を向けられて、ゾーアはとっさに返事もできずに視線ばかりをアーギウスに向けた。 「心配だった?俺が殺されちゃうかもって思ったの?」 「え?あ…まぁ、そうだけど…」 「ふーん、なるほどなぁ」 アーギウスは、なんだかにやにやと笑っている。 あ、これなんか下品な事考えてるときの顔だ。 直近でいうと衛士達と領村の娘さんがたを不埒な遊びに誘おうという話で盛り上がっていたときに、ちょうどこんな顔をしていた。 「お嬢はさぁ、俺が死んじゃうと困るってことだ」 「なっ?あなたなに言ってるの…そんなの当たり前じゃない」 「へぇー!ちなみにどんな風に困んの?」 「はい?」 それはいま必要なことなのだろうか。 確かに、アーギウスがいなくなれば帰りの護衛を別に頼む必要が出てしまうし、これから冬になって忙しさを増す薪割りのおじいさんの助手役も新たに雇わなくてはならなくなるから、正直困る。 けれど、そういうことをなぜ聞きたがる、しかもえらく下品な顔をして。 「ど…どういう風にって、それはその…」 とたんに口ごもるのは、なんとなく気恥ずかしいからだ。 下品だの野蛮だの風呂に入れだのと小言のようなことばかり言ってきたゾーアにとって、それがたとえ薪割りのおじいさんを手伝いがいなくなると困るという内容であっても伝えるのに照れがでるのは当然だった。 これでは小言の裏で実は感謝していたんですと言っているようなものだ。 急に勢いをなくしてもじもじしだすゾーアを見て、アーギウスは下品なにやつきを深くした。 「なんだよお嬢、そういうのちゃんとできんだ」 「…は?そういうの…?」 「いやー?別になんでもねぇけど」 なんでもないような雰囲気では全くない。 アーギウスはやや垂れがちの目をさらにゆるりと下げて、図体ばかり大きいくせにこどものように笑った。 「頑張ってよかったなって思ってんの」 「が、頑張って…って」 どういう意味だ、と声を上げようとしたのと同時に、父が再び大声を上げた。 「わかった!」 「へ?」 「わかったぞアーギウス…前王妃がお前の母親を殺したんじゃないかというあの噂を聞いたんだろう!だから王妃のティアラを盗み出してその噂の真偽を明らかにせんと」 「俺それも興味ねぇです」 「うっそぉ」 「お袋はすげー殴ってくるから嫌いだったんで、死んでせいせいっす」 じゃあなんでこんなことするのぉ、と父は力なく呟いた。
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