鉱石の国の黒白竜

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 一年前に買った奴隷に逃げられた。  そんな噂の的になっているのは竜人の国ーーセオドラ王国の末の王子、コランだ。珍しいアルビノの竜人で、幼少の頃から身体が弱かった。竜人は発情期を迎えることで成人とみなされるが、それまで生きられぬだろうと言われており甘やかされて育った。今年で二十歳になるが、いまだに姿も心も十代前半の少年のままだ。  我が強くわがままな王子に手を焼いた両親は、南の離宮を任せるという名目で城から体よく彼を追いやった。そんな背景から、奴隷に逃げられたと耳にした者はさもありなんと溜息を落とすのであった。  当のコランは大いに不貞腐れていた。いつも機嫌が悪くなると逃げ込む庭の四阿で膝を抱えている。紅玉(ルビー)に似た虹彩は伏せられた白い睫毛に隠れ、眉間には皺が寄る。そんな表情とは対照的に、南の離宮の庭は麗かだ。張り巡らされた水路からたっぷり水を得て咲き誇るクロッカスやダッホデルの間を風が渡る。  ざり、と石畳と砂が擦れる音がした。その足音は侍従の誰のものでもない。コランは素早く振り返った。 「イアラン!?」  いなくなった奴隷の名を呼ぶ。ただの(しもべ)を呼ぶには切実な響きであった。 「なんて顔してんだよ。だったら迎えに行けばいいじゃねえか」  応えた声の持ち主は大柄な偉丈夫で、コランと同じく肌に鱗が生えている。ただ、肌の色は赤く、鱗はコランのそれよりも凹凸が大きい。コランの鱗は薄く、光が当たるとようやく白く輪郭が浮かぶ程度だ。  コランは華奢な肩を落とした。 「帰れ、クロム」  王太子である兄からふいと顔を背ける。クロムはどこ吹く風で、隣に腰を下ろしたが。 「まあお前は腐っても王子サマなんだから、新しい"嫁"の来手もあるんじゃねえの?」 「馬鹿にするな。イアランはきっと帰ると言った。あいつは僕との約束を破ったりしない」 「そうは言っても、里帰りしてもう半年だろ?本当に逃げられたんじゃ」 「僕も待つと言った。僕もイアランとの約束を守るんだ」  はぁん、とクロムは口の端を上げた。それきり、会話は途切れた。二人が並んで見つめる先には海が凪いでいた。それは待ち人の目とよく似た色で、彼が旅立った故郷に繋がっていた。 イアランと出会ったのは城下の市場だった。  クロムが城下の偵察をすると言うのでコランは駄々をこねついていった。クロムが遊びに行く時の常套句だということを、コランはちゃんと知っていた。外面が非常にいい王太子に周りが融通をきかせてくれることも。  王族の証である首飾り(トルク)を外し、チュニックの腰にベルトを巻き、庶民と同じように麻のズボンを履いて闊歩する。  セオドラ王国は裕福な国だ。さまざま金属や宝石の鉱脈が領土内で入り混じり、それらを採掘して自国で加工し生活必需品を作ったり、隣国へ輸出したりしている。居住区は緑の山と高い城壁に囲まれた山岳部にあるため、輸出入の際は配送を担う竜人たちが各地に"飛んで"いく。  市場には今日も南の海で獲れた色とりどりの魚や北方で栽培された甘みの強い根菜や果樹が並ぶ。  太陽が空の真上にある時の市場は賑やかだ。昼食にソーダブレッドやじゃがいものパンケーキを買い求める労働者、夕食の買い物をする主婦でごった返す。  人混みの中、コランは東の鉱山で採れるサファイアのような青色と目が合った。 「クロム、あれが欲しい」  コランの白い指先を目で追うと、黒い巨躯が目に飛び込んできてクロムはギョッとした。脂が滲む黒く長い髪に垢だらけの褐色の肌は衛生的とは言いがたい。砂埃にまみれた腰布だけをまとい、足首と手首は鎖に繋がれていた。  一目見て、奴隷だと分かった。
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