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調査開始
9月17日
私の家は新聞を取っていない。つまり、この事件を纏めてみようと言っても、スマホぐらいでしか調べられるものがないのだ。しかしスマホで調べたところ、この変わった事件に注目している酔狂な人物はメディアの思惑より少ないようで、事件概要が簡潔に纏められたサイトにはただの悪戯だとコメントが寄せられていた。
怪我人も燃えた物もないのだから、仕方がないのかもしれないが、場所も大まかな記載があるばかりだ。
「図書館行くかぁ」
新聞ならもう少し詳しいことが書いてあるかもしれない。図書館近くの人気ない公園でも火の玉事件があったようだし、ついでに見てみるのもいいだろう。ああ、今日はごろごろ過ごしたかったのになぁ。出来る限り早く解決したい。そして惰眠を貪りたい。寝乱れ髪にブラシを通して纏める。服は適当なパーカーとジーンズ。自転車に乗っていく予定だ。事件のあった場所にも行くなら小回りの効いたほうがいい。
気持ちのいい秋晴れの空を仰ぐ。途中のコンビニで美味しいものを買おう。それで、昼時になったら公園で食べるのだ。きっといい気分に浸れる。やや涼しくなった空気。秋の訪れを感じながら自転車を漕ぐ。心にのし掛かるものさえなければ最高の休日なのに。
本のにおいに出迎えられ、浅見川市中央図書館に入る。学生時代はよく休日に訪れていた。夏休みの自由研究から論文の題材探しまで随分長い間お世話になった、懐かしい場所だ。新聞のあるコーナーもわざわざ探す必要もなく、昔通りの場所にある。新しい順からごっそりと持ち出して広いテーブルのある読書スペースに移動する。事件の概要を書き出したところ、『火の玉事件』とそれらしきものは先週の火曜日から始まっているようだった。
それらしきもの、というのはそう名前がついたのが今週の月曜日で、それまでは消える不審火だとかいたずら放火魔かとかいう見出しになっているからである。しかし『火の玉事件』なんていう名称がついたものの、実害がないせいかだんだん記事の大きさは小さくなっていっている。世間の注目を思ったより引けなかった事実がここに浮き彫りになっているようだった。
その記事から事件の目撃情報を引き出し、メモに書き出していく。空き地、広い公園、川の土手など、夜になれば人気がなくなる場所で目撃され、毎日違う場所で起こるようだった。そしてその日起こる『火の玉事件』は必ず一件で、同時多発で起こることもその日のうちにもう一度起こることもない。つまり犯人に出くわすには、火の玉事件を起こすその日のそのタイミングでその場所にいなければならない、ということだ。唸りながら新聞とにらめっこしていると、気になる記事を見つけた。今日の朝刊だ。
1968年9月28日、浜宇都地区で大火災が発生した際も数日前から火の玉の目撃が相次いでいた。今回の事件と関連がないことを願うばかりである。
この街一つ焼け野原にするのは訳ない。あの声が頭の中によみがえる。
「……本腰入れないとな」
この事件と50年前のその事件、関係がないわけでは無さそうだ。メモと新聞を片付け、資料室に向かおうと新聞コーナーに戻った時、高校生くらいの男子とすれ違う。振り返ると、私が戻した新聞から一番新しいのを取り出して持っていった。『火の玉事件』に興味があるだけかもしれないが、わざわざ新聞で調べものとは。活字離れはよろしくないと嘆かれている現代においては素晴らしいことだ。若いのに熱心で感心感心、と数年前まで言われる立場だった言葉を心の中で見知らぬ少年におくる。
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