【夏の朝】

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【夏の朝】

《待宵草》 旬の果物に野菜、黒糖パンに燻製肉、友と飲み交わす予定の高級な葡萄酒などの食料品から、日記をつけるための羊皮紙やインク、新しい外套などの日用品。 100年と少し前から愛用している麻袋に、そうしたさまざまな物品を詰め込んで帰路に着く。 貴族お抱えの下男たちとの争奪戦や、ぎりぎりまで値段を釣り上げようとする行商人たちとの交渉は何度やっても慣れないが、終わった後には、大きな満足感と心地よい疲労が身体を満たしてくれる。 乳白色の朝霧の向こう側から、教会の鐘の音が聞こえた。 今日も変わらない一日が始ま───っ。 瞳に映しだされていた世界が急速に闇に飲まれ、闇の中に金色の数字が現れた。 64800、64799、64798………。 硬貨の色とも金糸の色とも違う、神々しくも恐怖を煽るような色。 いつだったか、興味本位でケイに見せてもらった聖書に、この色に関する記述があった気がする。 思い出せ、思い出せ、思い出せ。 脳内を駆け巡る思い出を濾過し、重要な記憶をこしとる。 『天、貧富、男女、種族を隔てず生ある者へ平等(たいら)に数を授け賜う。人ならざる者にも然り。……闇に浮かびし黄金の数を視る者は、稀なり』 全てを思い出した僕は、瞬時に悟った。 ああ、この数字は───僕の余命を教えてくれているんだ。 この計算でいくと……他でもない今日に、僕の命は尽きるらしい。 絶望や悲しみ、やりきれなさを感じる暇もなく、数字はふっと掻き消えた。 僕の元に残されたのは、すっかり霧が晴れた街と日常の喧騒、そして記憶だけであった。   《九重葛》 「えーっ、この暑いのにそんな分厚い外套羽織んなきゃなんないの!?」 幼さと不満が入り混じったケイの声が、旅支度を進める僕の背に突き刺さる。 仏頂面で食糧や武器の用意をしていたはずの彼女は、いつの間にか、心底不機嫌そうな表情をして僕を見下ろしていた。 「旅だと、ご飯も美味しくないのにー」 僕の瞳を覗き込みながら言葉を重ねる彼女が、何を考えているか僕は理解できない。 ……そこに、どうしようもなく魅力と愛おしさを感じる自分がいる。 が、あまり見つめていては心の底を見透かされる気がして、僕は、ケイから視線を引き剥がした。 その代わりに、"関係を変えたくない"という箍で必死に想いを押さえつけ、選び取った優しさを全面に押し出す。 「仕方ないでしょ?傭兵稼業じゃ誰に恨まれてるかわかんないんだから」 「それはそうだけど……」 自ら選んで此処まで着いてきたから、だろうか。 我儘や大声で反撃することもなく、ケイはそこで言葉を止めた。 「まぁ、昼に出発して夜にはレンの家にたどり着けるんだからさ。少しの我慢だよ。それに、"二人とも、旅で疲れたでしょう?"って感じで、甘いものでも振る舞われるかもしれないよ。頑張ろう」 妙な沈黙を適当な言葉でまとめて、僕は作業を再開した。 "甘いもの"の一言であからさまにやる気をおこし、準備に舞い戻っていくケイの足音が聞こえた。   《花一華》 「うわぁ………」 レンが居を構えるラクザバシまでの道中、ヅキホオの街。 野菜や果物を捌き切った農民たちはとっくに野良仕事にもどっている時間帯だろうに、どうしてか、広場や賑わっていた。 香辛料や甘味の香り、酒呑みの下衆な笑い声、客を集めようと声を張り上げる呼び子。 音と匂いの大洪水は、街道の先まで続いていた。 面白そうなものがないかなぁ、と視線をくるくると彷徨わせる。 傭兵という身分故の警戒……というわけではない。マーシャと会う以前からの、ただの癖だ。 と、瞳の端に煌びやかな光が映った。あの光の反射具合は宝石の類だろう。 一瞬だけ伺えた群青は、ラピスラズリだろうか。 「マーシャ!あっちのお店、面白そうだから見に行っていい?!」 途中で買った揚げパンを齧りながら、私の手を引いてくれる大切な相棒に問うた。 優しさと庇護欲、そして私の知らない昏さに満ちた瞳が、こちらに向けられる。 「無駄遣いしちゃうからダーメ。お土産、買えなくなっちゃうよ?」 私の手持ちは、先日の依頼で稼いだ銀貨10枚のみ。 宝石等の奢侈品は、余程ちゃちなものでない限り、値切り交渉をしてもあまり値段が変わらないものだ。……理詰めの計算で導いた結論から言うと、あまり行く価値はない。 しかし。この溢れ出る好奇心が抑えられるとは、誰も言っていないのだ。 「なんも買わないから!みるだけだよー、行こ行こ!」 街道の先へ先へと進んでいくマーシャを引き戻して、私はさっき光が見えた場所まで歩いていく。
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