【夏の夕】

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【夏の夕】

《待宵草》 旬の季とベリーを練り込んだ砂糖菓子の生地をオーブンに入れ、煮詰まってきた二枚貝のチャウダーに塩を振る。砂糖も塩も貴重だけれど、もう使う機会もないからいいだろう。 事前に炙った肉を細かく刻んでサラダに混ぜ込み、浸し込んだ薬草を隠し味で入れておく。 いつも以上に忙しなく動いていても、消えかけの身体は全く悲鳴を上げなかった。 むしろ、楽しい。 今までで一番、と言っては大袈裟かもしれないけれど、十分な満足感と高揚が心を満たしている。 と、殆ど飾りと化していた呼び鈴が、深い音色を奏でた。マーシャとケイだ。 オーブンの火を急いで弱め、全速力で玄関へ向かう。 行きつけの店の主人くらいとしか交流を持つこともなかったが、上手く言葉を紡げるだろうか。 僕の余命があとほんの僅かだと知られて、気を遣わせたりしないだろうか。 最後の最後で嫌われたりしないだろうか。 ……が、扉を開けた瞬間にそれまでの不安は全て吹き飛んだ。 飴色の夕陽を纏う二人の傭兵は、3年前のあの丘で、自分の道を選び取った時と全く同じ微笑みを浮かべていたのだから。 「マーシャ、久しぶり。極上の葡萄酒を振る舞おうか。ケイには甘味も用意してるよ。まぁまずは旅の疲れを癒して……」 思ったよりすらすら出てくる言葉に、自分でも驚く。 「甘味!?」とあからさまに元気になるケイと、それを諌めるマーシャの反応も微笑ましい。 自然と出来上がった心安らぐ空気を胸いっぱいに吸って。 二人を客間に通した僕は、途中になっていた料理を完成させるべく再度台所に立った。 《九重葛》 ころころと表情を変えて人々を翻弄する天は、気づけば綺麗な菫色で綴じられていた。 空が闇に覆われるまで待てばいいというのに、意地っ張りな夕星は、まだ仄かに明るい空で必死に存在を主張している。 窓から滑り込んでくる風は、祭りならではの、味付けが濃い食品の香りを孕んでいた。 旅の疲れに飲まれ規則正しい寝息を立てていたケイが、うーん、と寝返りを打つ。 矢張りケイは、食べ物の香りにとことん敏感だ。 呆れを超えた尊敬を覚えていると、キチンと油の刺された客間の扉が開いた。 「ご馳走ができたよー!」 香辛料が振られた小魚やチーズなど、酒の肴が乗せられた小皿。 彩り重視で野菜や肉を並べた中皿。 そして、煮詰まったチャウダーが入った大鍋に、ほぼケイだけのために用意された甘味。 どれも新鮮な食材が使われているのが一目瞭然だ。控えめな味付けや香りが、食欲をそそる。 きめの細かい純白のクリームは、酪農場でもかなり高価で取引されていたものではなかったか。 食事、というより藝術と形容したほうが相応しい品々に目を奪われているうちに、僕の腿を枕にしていたケイがもぞもぞと起き出してきた。 「ん……わぁ、美味しそうー」 いただきます、と手を合わせて早速ナイフとフォークを構えるケイに続いて僕らも食事を始める。 レンは早速、薄いグラスに時を超えた紫を注ぐ。 何百年も醸造されたというそれに口をつけると、濃厚な旨味が吹き抜けていった。 どれも酒に合い、どんどん食が進む。 「そういえばこのクラムチャウダーって、出会った時にも振る舞われたよね」 「そうそう、あれ、ほんと奇跡ですよね!あの時僕とケイがあそこにいなかったら、マーシャはどうなっていたことか……」 思い出しても当たり障りがない部分の記憶を引っ張り出して会話に混ぜ込む。 古き友と全力で笑い合うのは、過去を克服してから、なのかもしれない。 あと少しだけ、待ってほしい。レン、ケイ。 と、今まで会話に適度な相槌を挟んでいたケイが、ふと押し黙った。 見極めるように瞳を細めて、ソースで汚した唇を引き結んでいる。 少し前まで僕らに見せていた幼さを全て押し隠し、獣のように詰め寄る表情。 一瞬だけ、剣を切り結ぶ彼女の表情と一致した気がした。 側に掛けられたランプの灯りで、ちろちろと口元を舐めとる舌が蠱惑的に視えた。 「ねぇ、レン。貴方、隠しているけどもう少しで死ぬんじゃない?」 ケイの口から放たれた言葉は、何処までも不謹慎で残酷なものだった。 《花一華》 「ねぇ、レン。貴方、隠しているけどもう少しで死ぬんじゃない?」 言うか言うまいか。 直前まで悩んで、それでも真っ直ぐとした傷つきにくいに言葉を選んだつもりだが。 レンは、グラスを掲げた姿勢のままでぴたりと動きを止めてしまった。 隣で肉を切り分けていたマーシャも、ぶち壊された和やかな空気を取り戻そうとしているのか、引き攣った微笑みを貼り付けている。 ランプの中で揺らめく炎が、交わっては離れていの私たちの運命を照らし出しているようだ。 レンの優しげな双眸の奥に宿った瞳が、くるくると忙しなく動き回っている。 歩き方に違和感があったこと。その人その人特有の足音が完全にかき消されていたこと。 そして、隠すように履いている分厚いブーツの隙間から、光の粒子がこぼれ落ちていたこと。 私が提示した仮説を裏付ける"事実"はたくさん転がっているけれど、指摘してはダメな気がした。 このままだと、中途半端に固まってしまった空気を解凍できない。 また、こうなってしまう。私が全てを壊してしまう。 「えっ……と、冗談だから」 「ええ、ケイ。よく分かりましたね」 漸く絞り出した私の弁解に、レンの声が覆いかぶさった。 「──レン……?」 レンは一瞬視線を下げたかと思うと、すぐに顔を上げた。 全てを諦めたような、何かを決めたような色を湛えて、私とマーシャを平等に見渡す。 「最後に、我儘を言っててもいいですか」 状況を飲み込めていないマーシャが、何かを理解し合う私とレンを交互に見る。 申し訳ないけれど、詳しい説明はレンの我儘を聞いてからで。 その想いが通じたのだろうか。 マーシャは、疑問符たっぷりの言葉を喉奥に押し込んで口をつぐんだ。 整然とした客間には、レンの"我儘"を受け入れる空気と薄闇が混ぜこぜになって揺蕩っていた。
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