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【花一華の記憶】
乾いた落ち葉と小枝で作った簡易的な薪が、パチパチと爆ぜる音。
仕事から解放されて下草を食む馬のいななき。
ざぁざぁと雨が降り頻っているようだが、深い森の加護でその音はくぐもって聞こえた。
美しくも恐ろしい"夜"に包まれた世界では、視覚より聴覚が研ぎ澄まされて、ついつい色々と考えてしまう。大きく躍動する炎は頼もしく、けれども広大な世界ではどこまでも矮小で………。
「迫ってくる闇が命を吸ってしまいそうで、恐ろしい」
ついつい思いついた言葉を零してしまったが、両親に聞かれていなかっただろうか。
思わず濡れそぼった幌馬車を振り返るが、父や母が「貴族の道楽の真似事を」と飛び出してくる様子はなかった。
浪費してしまった言葉が闇に吸い込まれるのが虚しくて。
誰からも切り捨てられる"言葉遊び"をやめた私は、鞘から剣を取り出して炎に翳した。
寝ずの番用に与えられた鋼の剣は、まだ少し重いけれど思い通りに振り回せるようになっている。
ぶぅん、と一振りすると湿った空気が大きく揺れ動いた。
あぁ、のびのびと剣を振り回す瞬間が一番楽しい。
───どれほどの間剣を振り回していただろうか。
「ケイ、ちょっとおいで」
小さくともしっかり耳に届く父の呼びつけで、私は剣を振り回す腕を止めた。
もうちょっとこうしていたい、けれど行かねばならない。
自らの意思と父の命令を、天秤に放り込んで重さを比べてみる。
どう考えても自分優先だ。
平等を司る神が、助走をつけて殴りかかってくるレベルの偏った決断を下す。
ああ、そうか。雨音で聞こえないふりをしてもう少しだけ………。
「ケイ」
苛立たしげな声が鼓膜を震わす。
流石に諦めて、私は幌馬車の扉(と言っても丈夫な布が掛けられているだけだが)を開けた。
「はい、なーに!」
父は、賊と戦う体で剣を振り回し、泥だらけになった私の様子を見てもなんの言葉を寄越さなかった。
興味がないのか、商人として自分の感情を表に出さないように鍛えられているのかはわからない。
カンテラランプが乗った小さな座卓を挟んで、私は父の正面に腰を下ろす。
「お前は、商人になりたいか。傭兵になりたいか」
早速本題に入るのは、様々な交渉を渡り歩いたゆえに培われたの父の癖。
深い皺の刻まれた顔には、一切の感情が乗せられていないのはいつものことだけれど。
真顔で突きつけられたのが、私の人生を左右するような大きな選択であることは間違いなかった。
「えっ……と」
「お前は、私が教える勘定の方法にも値札の付け方、交渉術に全くと言って興味を示さない。馬の世話を焼き、剣を振り回して、貴族や騎士の真似事をするばかりだ」
強烈な迫力と共に、畳み掛けるように言葉が積み立てられていく。
「さぁ、お前はどちらを選ぶんだ?"嫌なこと"を無理やり叩き込まれる代わりに安泰が保証された生と、好きなことを生業として不安定に進む生と」
「後者、かなぁ……?」
ほぼ所要時間無しで、私は最低限度の研ぎ澄ました答えを返す。
言葉を無駄遣いするのを、父は何よりも嫌うから。想いを真っ直ぐにぶつける。
「ああ、そうか。言ったな?」
沈黙。そして、すぐに提示される未来。
「明日、この馬車はラクザバシの街に着く。そこに、私と縁深いギルドがあるんだ。お前を加入させてもらうように頼んでおこう。ただし───」
「明日限りで、お前と私たちの"家族"としての縁は消滅する。せいぜい生き延びるんだ」
このまま父と共に幌馬車で寝るのも癪で、私はそのまま外に出た。
懐に忍ばせていた甘薯を齧り、空腹を満たす。
「お前を加入させてもらうように頼んでおこう」───自分にはどうにも向いていない日常の終末に、喜びを。
「"家族"としての縁は消滅する」───強すぎる言葉に、痛みと寂しさ。そしてそこはかとない解放感を。
それぞれ抱えながら、私は再度剣を抜いた。
緑の天蓋から滑り落ちてきた大粒の水滴が、鼻の頭に冷たい感触を残した。
*
受付部分の酒場で安物酒を酌み交わす仕事終わりの男衆。
危険度を問わずに依頼を持ち込む貴族たち。
平民用にも解放されたギルドご自慢の大食堂のために、食糧を買い出しに行く下男。
丈夫な建物一杯に満ちる無秩序な人の波は、一度きり連れられた海を彷彿とさせた。
どこを見ても、肌の色も洋服の趣向も千差万別な人で溢れ返っている。
この場所に、世界中の人々が集まっているような錯覚。潮の流れに揉まれて、今にも溺れてしまいそうだ。
父とはぐれぬように人並みを掻き分けていると、視界の隅に巨大な熊の剥製が映った。
やはり仕留めるのには異国から伝来した「火縄銃」を使ったのだろうか。
いや……そもそもあれは、熊なのだろうか。
頭部だけ見たら確かに熊だが、純白の毛皮は作り物めいている。
次に見えたのは、踊り子のような衣装を身につけた女性だ。
金髪の彼女が手入れしている、十字架の木に苧の弦を張った武器はクロスボウ。
近頃は賊や末端の商人までが使用する、手頃な遠距離武器だ。
あのクロスボウは持ち主によって作られたのか、戦場で拾われたのか、武器屋で買われたのか。
語られない物語を記憶の保管庫に放り込み、時間をかけてじっくり醸造する。
あとで、もっともっと面白くて深い物語に昇華するはずだから。
おや、向こうには───
「ほら、今はギルドの加入手続きを済ませに行くんだろう?」
頭上から降り注ぐ冷や水のような声で、私は現実に引き戻された。
興味をそそるものに囲まれると周りの景色が見えなくなって、ついつい足を止めてしまうのは悪癖の一つだ。
様々な商品を取り扱ってきた分厚く繊細な手のひらが、何一つ「もの」に出来ていない未完成な手のひらを包み込む。
私が降りると決めた大きな船は、立派に私を導いている。
「……お父さん、これ持って」
「父としての責任」や「一片の慈愛」を消費物に置換したものが、たっぷり詰まっている旅行鞄。
手切金のようなそれを朝一番から肩にかけていて、身体中が痛かった。
もう「最後」なのだし、今なら受け入れてもらえるかな。下心丸出しのおねだり。
「仕方ないな」
私にはどうしても重かったそれを軽々持ち上げた父は、ギルドを取り仕切る団長の元まで、私の手を引いてくれた。
*
「次の任務は……ムカザキエ郊外の平原、賊の討伐、か」
ギルドに加入してから2ヶ月。
初めの数週間は下請け仕事ばかり任されていたが、年齢も性別も分け隔てないおおらかな団長のお陰で、今ではある程度の仕事を回されている。
父の周りに集まっていたような虎視眈々と他人の堕落を願う冷徹な人は殆どおらず、行商人でいるより全然居心地が良かった。
「おい、チビ。さっさと行くぞ」
……自分より若い者を徹底的に見下すエリック先輩以外には、全面的に満足している。
「わかりました」
余計なことを口にしてぐちぐちと文句を言われてはたまったものじゃない。
心の奥で、「言葉を省く」修行を積ませてくれた父に感謝を述べた。
言葉を尽くすことこそが美しく適切だと思っていたが、あの技術はこう言う場面で使うらしいと、父と縁が切れてから知った。
隠密行動向けの薄い外套を軽く羽織り、お気に入りの剣を腰に差す。
すっかり定着したスタイルを身に纏い、後輩を待つ気もない横柄な先輩の背を追った。
人混みの中でようやく追いつくと、後ろ手で何かを差し出される。
「ほい、これ。サインしろ」
そういえば、任務を請け負った者は直筆でサインをしなければならなかったのか。
基本給に上乗せされた褒賞を分配する際に必要らしい。
正直金にはあまり頓着しないが、貰えるものをわざわざ貰わないほど聖人ではない。
きちんとサインしておこう。
先輩の特徴的な文字の下に、私は自身の文字を並べた。
*
若いくせに何イキってんだ?お前の行動1つ1つで迷惑してんだよ、馬鹿が。
お前になにができるんだ?ていうかお前のいいところ何?
団長もお前の行動が嫌だって言ってたからさ。
もう俺たちに関わんないで貰えるかな?
はっきり言って、このギルドにお前のような奴は邪魔なんだ。
私物入れに捩じ込まれていたクシャクシャの羊皮紙には、他ならない私宛の悪意がたっぷりと染み込んでいた。
呆れや憤りの前に、「いつの間に、そんな言葉をぶつけられるほど恨みを買ったのか」という真っ当な疑問が湧いて出てくる。
真っ赤な文字で書かれているのは、この紙に魔法でもかけたいからだろうか。
たしかに、色も内容も禍々しい文字列をずっと長く見ていると気分は悪くなりそうだが……。
この世に非科学的な技術を操れるのは「魔法使い」の、特に女性に限られている。
少なくとも、ひとの身体を蝕むような呪いや魔法は籠っていないだろう。
ただ単に、犯人の手元にあったインクが赤色だった可能性が高い。
このインクは、証明証書や通称許可証など重要な書類を書く時に使われるもの。
巨大なギルドでは日々書類作成窓行われているため、赤インクの貯蓄はたっぷりとある。
右肩上がりの特徴的な文字はどこかで見た気もするが忘れてしまった。
が、ギルドお抱えの者たちの直筆サインは「ルール」のおかげですぐ手に入るから筆跡鑑定は容易い。
簡単にできる分析はこの程度。
あとは団長と皆が揃っている場面───例えば夕食時。にこの悪意の手紙について言及すれば、犯人は簡単にあぶり出せる。
犯人を皆の前で糾弾し、動機と感情の揺れ動きを聞き出せれば湧いた疑問は一発で解消できる。
証拠物品を懐にしまい、私はこれから紡ぐべき言葉を考えた。
*
ぶつ切りの馬鈴薯と人参、屑肉を牛の乳で煮たもの。
米粉が混ざった丸っこいパンには、細かく刻んだ香草で味付けがされている。
季節の果実を使った甘味には、きらきらとした砂糖が降りかかっていた。
ほくほくと湯気を上げる手作りの夕餉は、手が込んでいて、けれども気取っていなくての絶妙なラインをついていて、ギルド中の者の人気を博している。
もちろん私もここのご飯は大好物……だけれど、ぐっと我慢して。
「いただきます」の合図の直前に、私は大きく手を挙げた。
「団長、少しお時間をいただけますか」
「今かよ……、飯食わせろよ」
先輩たちから飛んでくる不平不満を敢えて全て無視して、真っ直ぐと団長だけを見つめる。
此処で目を逸らさずに意志の硬さを証明しなくては、時間を与えてもらえないだろう。
何故なら、団長はギルド中の誰よりも食べることが好きだから。
どれほどの時間が経ったろう。
多分、10秒も過ぎ去っていないだろうが、私にとっては実に15分ほどに感じられた。
折れたのは、団長だ。
「いいよ。なんだい?」
大きな溜息と共に与えられた時間を無駄にせぬよう、私は続ける。
「この手紙……私の私物入れに入ってたんですが……。どなたか、心当たりがありませんか?」
先程の手紙を、皆にわかるようにと掲げて見せた。
知らねぇよ、と見ようともしない者。内容に顔を顰める者。時間を取らせるな、と白けた目を向ける者……。
その中に、一人、反応が異質な者がいた。
顔を真っ青にして俯き、カタカタと震えている者……あの横柄なエリック先輩が。
私が視線を向けると、先輩は力任せに長机へ手をついた。
食器がかちゃりと不協和音を奏で、汁物が皿から零れ落ちる。
「仕方ねぇだろ……。ケイが、あいつが。俺より若いくせに、俺より全然努力してないくせに、俺と同じ場所に立ってるんだから!憎いに決まってんだろ!」
端的な独白。
皆、憐れむような、白けたような視線で私とエリック先輩の間に横たわる空気を突き刺している。
その末尾の方はもはや言葉の籠が弾け飛び、嗚咽───いや、咆哮に近いものに置き換わっていた。
涙で顔を濡らした先輩は、そのまま食堂を飛び出して。
その場には、中途半端に凍りついた空気だけが取り残された。
いまだに湯気を上げ続けている夕餉は、どうもこの場にはちぐはぐだった。
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