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【夏の宵】
《待宵草》
「クソッタレ!」
決定的な敗北と共に投げ捨てられた鉄の剣が、鈍い光を放ちながら地面に突き立った。
緊張に押さえつけられた異常な興奮が、灯火の炎と一緒くたの熱となって模擬的な戦場を包み込む。
「まぁ、負けは負けだよ。ルシー」
崩れ落ちたルシーという剣士を支える相方。
明るい金髪をおさげに結えた彼女も、触れれば泣き出しそうな顔をしている。
何故あの二人は、タッグを組んで剣を握っているのだろうか。
ふと、頭によぎる疑問。そして気づいた。
これまでケイとマーシャの戦いぶりにばかり着目していたが、この闘技場に立つ全ての者たちは僕が知り得ない何かを背負っているはずなのである。
物語と物語が交わり、剣を交えて。
勝った方も負けた方も、自身の物語に決定的な変化を受けながら生きていく。
少し考えればわかる「当たり前」に、僕はそこはかとない感動を覚えた。
と、静寂が敷かれた戦場に大きな声が響き渡る。
「……はははっ、無様にも負けを認めてくれるんだな!」
圧倒的な勝利を掴んだ方の剣士が、心底楽しそうに嗤っている。
彼はそのまま、騎士の紋章が施された銀の剣を掲げ持った。
拭いきれない血痕がこびりついたそれに、会場の視線が一斉に集まる。
ラクザバシの民にとって、騎士は尊敬の対象なのである。
「よし、俺がお前たちの分まで勝ってみせるさ」
民の信頼を集める騎士らしくもなく唇の端を歪めた彼は、教え込まれた型通りに剣を握り直した。
彼のペアはとうに剣を鞘に仕舞い込み、陰湿な瞳で敗者を見下すばかりである。
描いた銀の軌跡は、寸分の狂いもなく、戦意喪失した二人真っ赤な薔薇をもぎ取った。
試合終了の鬨が、どこか歪んだ空気を震わせた。
その途端一気に解き放たれた勝者宛の歓声は、弱者に対する同情など微塵も含まれていない。
僕も獣のように轟く歓声の一部分になったものの、あの剣士の、敗者を辱める魅せ方はいただけないと思った。
「レオン・フォン・ドーラとシュベルク・フォン・サンティマゴチームの勝利!準々決勝進出です!」
ドーラ家。僕が生まれた頃にはすでにあった家の名前だ。
……魔女の排斥に力を入れていた残忍な家系。
彼らに受けた仕打ちを思い出さぬように、僕は首を軽く振った。
持ってきた羊皮紙は、もう3枚目まで埋まっている。
*
《九重葛》
レオン・フォン・ドーラ……。
興奮した戦闘実況者の口から飛び出したのは、三年前に縁を切ったドーラ家三男坊の名。
神の気まぐれで人の生に組み込まれる"運命"への畏怖と感心が、恐怖を凌駕した。
数年前の厭な記憶は、泡のように浮かんではすぐに弾けてしまう。
自分の中央に居座っているのは、彼と剣を交える覚悟だけだ。
レンの家からそのまま持ってきたのだろうか。左隣で退屈そうに戦場を眺めるケイは、砂糖と旬の果物で味付けされたパンを齧っている。
「観客席から見ても何も面白くないねー。やっぱ、当事者じゃなきゃ!」
何か気の利いた言葉を返そうとしたところで、書き物に集中していたレンがふと顔を上げた。
その顔には強い感情が塗りたくられている。僕もある程度向けられ慣れている、「憧憬」だ。
「……ケイもマーシャも、ずいぶん変わりましたね。停滞しているのは僕だけだ」
独語じみた言葉に、ケイは首をかしげる。
よくわからなかったのか、ふいと目を逸らして退場する敗者に視線を注いだ。
どう言えばいいのだろう。言葉に詰まって視線を下げる。ふと、光が目に飛び込んだ。
いつの間にかレンの袖からもこぼれ落ちている消滅の証が、僕の網膜に突き刺さる。
此処で何か言わなければ、抱えきれない後悔を背負い込む。心ノ臓が、ばくりと大きく脈打った。
僕は、咄嗟に思いついた飾り気のない言葉をレンに向けて差し出した。
「……変化って言っても、見えないものもあるから。こうしてレンが望んで此処に来る時点で、何か培われているのは明白じゃないか」
羊皮紙の上で踊り狂っていた万年筆が、迷子になってしまったように中空で静止する。
彼の心の琴線に触れるような極上の表現はできないけれど。真っ直ぐな想いは伝えられる。
荒削りかもしれないけれど、今伝えずににいつ伝えるのだ。
「何があろうがレンはレンだし、僕も、ケイもキミを受け入れる。死ぬ前に抱え込まなないでよ」
「……それもそうだね」
レンの言葉とほぼ同時に、準々決勝開始5分前の鬨が鳴り響いた。
これが最後の長い休憩時間。
優勝するか敗退するまで、観客席に戻ってくることはできない。
「あっ、マーシャ!そろそろ行かなきゃ」
甘味を食べ終えてやる気満たんのケイが、僕の手を握って「戦場へ行こう」と急かしている。
「物語にふさわしい結末を、掴み取ってくださいね」
レンの達者な激励が、僕の背中にのしかかった。
《花一華》
威力重視に錬成された敵の剣と、使い古した鋼の剣が耳障りな音を立てて火花を散らした。
一合、二合、三合………。
相手が剣を振りかぶる隙を縫って剣を突きつけるが、あえなく防がれる。
四合、五合………。
同程度の実力がぶつかり合った際、勝ち負けを左右するのはやはり体力だ。
その辺のごろつきならば、二合目で殺せていたはずなのに。
剣の技ばかりを突き詰めて体力付けの運動を怠っていたせいだろうか、ぜぇぜぇと熱い息が零れる。
銀の軌跡が眼前を通り過ぎた。刹那鋭い痛みが走り、空に赤が舞う。
「敗北」……実戦では「死」と名付けられるものの色が濃密に感じられ、興奮が高まっていく。
痛みが快楽に置換され心が戦いを望んでいるけれど、弱っちい身体は限界を迎えそうだ。
「ケイ!」
もう一人を敗北に追い込んだマーシャが、真横から斬り込んで敵の胸元を突いた。
血液よりもはるかに美しい赤が、砂埃の舞う戦場に散った。
もっと興奮が……それに直結する痛みが欲しい。
マーシャの静止で抑えられていた三年分の欲求が、一気に解き放たれた気がした。
感情を俯瞰する理性が、「これはまずいんじゃないか」と静かに警鐘を鳴らしている。
遠くで勝鬨の音が轟いた。
欲求に飲まれて呆然と立ち尽くす私の腕を、戦い慣れしたマーシャの手が掴んだ。
現実に戻りきれない状態のまま、身体ばかりが待機場へと引っ張られていく。
「死にたがりみたいな戦法はやめて欲しいな」
マーシャの声が、脳髄にこびりついた。
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