【待宵草と九重葛の記憶】

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【待宵草と九重葛の記憶】

「レンレンレンレン、起きて」 夢と現の狭間で揺蕩う意識が、僕の名前を連呼する少年の声を拾い上げた。 逃げた日も、選択を誤った日も、いつだって僕を受け入れてくれる「睡眠」が、今日は特別に居心地が良くて起き上がる気になれない。僕は長時間睡眠者なんだ、もう少し寝かせてくれ。 「レン、レン?」 潜められた声には疑問符が混じり、次には力任せに身体が揺さぶられる。 鉛のように重い瞼を持ち上げると、声の主人……マーシャの姿がぼんやりと見えた。 切羽詰まった緊張感を湛えているのは、気のせいではないだろう。 喉元まででかかっていた「寝ずの番は終えたはず」という言葉を、慌てて引っ込めた。 「盗賊が出た。一応荷物をまとめてそこから動かないで。殺してくる」 王から賜った剣を握りしめるマーシャの顔からは、欠片ほど残っていた幼さが吹き飛んでいた。 "殺す"なんて生々しい言葉を平然と使って見せる彼が、戦うために生きてきた者なのだと再認識する。 「ケイ、出るよ」 「うん」 呼びかけと共に飛び出していったマーシャの背を、いつの間に剣を抜いていたケイが追う。 二陣の疾風を見送ったその刹那、遠くから下卑た笑い声が聞こえてきた。 岩陰から顔だけ出すと、木に火を灯しただけのお粗末な松明が見えた。 敵の気配を感知し、自分で自分の身を守れなければ死んでしまうのが実戦。そして、逃避行。 そのどちらもあれだけ体験したというのに、まともな訓練を積んでいない盗賊どもにすら気づけなかった。 僕の勘も鈍くなったのかもしれないな、と苦笑してしまう。 ケイとマーシャは、星明かりすらない夜闇の中でうまく戦えるだろうか。 命を………可能性の花を散らせてしまわないだろうか。 二人の無事を祈りながら、戦えない僕は、彼らが突っ走っていった方向を見守った。 * 闇と同化して輪郭を掴みにくい自然由来の障害物群。 その全てを容易く避けて平原さながらに突っ走っていた二人の影が、揺らめく炎のそばにたどり着いた。 彼らはどんな戦闘を繰り広げるのだろうか。 不安なのか心配なのか好奇心なのか、今まで知る機会もなかった混合物。 この不安定な感情を抑え込まなければ。 生存本能とは違う何かに突き動かされ、魔法使いの里で教え込まれた呪文を口ずさんだ。 自身に獣の暗視の能力と、遠くまで見通す鳥の力を付与する。 視界が一気に明るく、そして広くなった。 普段の状態ではその影を追うことすら困難だったケイとマーシャの姿が、まるで目の前で動いているようにさえ見える。二人が、倒木の影に飛び込んだ。 数の利で負けているこの局面、彼らが実力行使の正面突破以外の方法を考えているのは明白だ。 出会って間もないふたりが何事かを話し合い、頷き合う姿は、まさに心気の知れた戦友同士のそれで、漠然と憧れを覚える。 と。マーシャの一閃で、盗賊が握る松明が弧を描いて弾け飛んだ。 瞬きをする間に一気に変わった戦況。 素早く攻守両方の意味を持つ攻撃を放った少年は、先制の勢いを持って世界に一つきりの舞台を仕立て上げた。 騎士らしい一撃必殺の剣技で、驚きに顔を歪めた松明持ちの頭が地面に転げ落ちる。 マーシャの色白な肌に、鮮血がかかった。 英雄のような、主人公のような……立場によっては勇とも蛮とも呼べる曖昧な「何か」で覆われている。 「敵襲だ!野郎ども!かかれ!」 集団の中央あたりにいるリーダー格が、ドスが効いた声で味方を鼓舞する。 錫や鉄の武器を握った若者たちが、手当たり次第に武器を振り始めた。 勇気と無謀を履き違えた盗賊どもの攻撃は、当たるはずもない。 無鉄砲に敵の輪へ突っ込むケイが、奔放な剣技で生を死へ置換していった。 ケイは、自身の命を代償に、繊細さと力強さを併せ持った最高の踊りを舞っている。 傷つくのを恐れた堅実なマーシャには見られない……これまた形容し難い美であり醜である「何か」が宿っている。 相応の緊迫感と、洗練された彼らの動きは………。 対極とも言える二つの輝きは、僕に再び筆を取らせようとするだけの魅力を放っていた。 * 盗賊を討伐して弛緩し切った空気の中、メンバーの中で最年少のケイは、付着した汚れを取り除こうともせずに眠りの世界へ旅立った。 長旅で毛羽だった毛布を彼女の身体にかけてやり、自身も寝床に横になる。 目を瞑ると、マーシャが剣の手入れをする音と焚き火が爆ぜる音、そして温もりだけが感覚を満たした。あっという間に身体が重くなり、微睡んだ意識が事象を拾うのを諦め始める。 「レンってさ……。戦ったことがあるの?」 と、思わぬタイミングで飛んできたマーシャの声。こうやって二人きりで話す機会は数年ぶりだ。 たっぷり運動して口寂しいのか、騎士の少年は干し肉を混ぜ込んだ薄焼きパンを齧っている。 「それ、明日の朝食の予定だったんだけどなぁ」と思いつつも、あまり強くはでれない。 「戦ったこと……ですか」 マーシャの問いで蘇るのは、自分を守るために敵を貫いた感触。 横隔膜を切り裂いて叫び声を上げれないようにした騎士を贄に、その呪文すら忘れてしまいたいほどの対人用攻撃魔法を放った瞬間。 最早個人を判別できないくらいに潰れた顔、飛び散った脳漿。 積み上がった死体の山からは、ウジが湧いている。 「……ない、ですよ」 「本当に?」 マーシャの瞳が、騎士のそれに切り替わった。正義と真実のみを追い求める目。 「だってレン、僕らが戦ってる様子、見てたでしょ?それも、分析しながら」 「……」 「まぁ、言いたくないならあまり深くは突っ込まんようにしようか」 マーシャはパンを一口齧り、笑みを浮かべた。 「おやすみ、レン」
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