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薔薇王子の事情
イブリンは考える。
専属メイドになる前までは、王子の存在は妖精か珍獣のようなイメージで、まるで現実味がなかった。
何故なら、第三王子は公の場に姿を現すことがほとんど無かったから。
皆はこの末っ子王子のことを、薔薇に魅せられた『薔薇王子』と呼んでいた。
本名で呼ぶ者は誰もいない。
彼が愛するのは薔薇のみ。
生身の人間には興味がないのだ、と。
しかし、実際の王子は、類まれなる美貌と専門家も顔負けの利発さを持つ一方で、悩んだり、喜んだり、気遣いも出来る、至って普通の感情を持ち合わせた人間だった。
だからこそ尚更不可解なのだ。
何故、薔薇人間を作るなどという奇抜な望みを抱くようになったのかが。
「これでは、間に合わない…」
王子の小さな呟きが耳に入り、イブリンは後に続く言葉を拾うべく耳を澄ました。
「あと三ヶ月しかないのに…」
三ヶ月後…?
イブリンはメイド採用時に説明された王宮の行事予定を思い出す。
「殿下の生誕パーティまで完成させないとならないのですか?」
イブリンの問いに、王子は再びため息をつく。
伏せられた長い黄金色のまつ毛に光が乗る。
両手の長い指を絡ませて、王子は頷いた。
「僕は二十二歳になる。そして、エカテリーナと結婚する」
王子の婚約者エカテリーナ様は、筆頭貴族のひとつであるフィギュ家のご令嬢だ。
デビュタントでお見掛けした事があるが、砂糖菓子のようにフワフワとした空気を纏う、甘い顔立ちの美少女だった。
型落ちのドレスで参加したイブリンは始終壁の花だったが、エカテリーナ様は常に華やかな男女に囲まれていた。
「それはおめでたいことでございます」
美男美女カップル誕生だ。
まるで人形のように美しい二人は、王宮を彩る華となるだろう。
それこそ、薔薇のように。
しかし、王子は浮かない顔で手元の薔薇から花弁をむしり取る。
「それまで間に合わせたかったんだ。…自分の為にもエカテリーナの為にも。薔薇の研究はそれ迄許された僕の道楽で、生誕パーティが終われば止めなければならない。この研究室も取り壊される」
イブリンは王子の顔を覗き込む。
「私が殿下の研究を引き継ぎましょうか?薔薇の雫を預けて頂ければ、自室でも充分継続が可能です」
「イブリンは優しいね」
王子は微笑むと、テーブルに置いたイブリン手の上に自らの掌を乗せて、そっと撫でる。
その親しげな行為に、イブリンの胸が高鳴る。
「でも、良いんだよ。これは僕の我儘で始めたことだ。完成しなかったのなら諦めて受け入れるしかない」
「…まさか、殿下はエカテリーナ様との結婚を望んでいらっしゃらないのですか?」
王子はゆるゆると首を振る。
「エカテリーナはとても可愛らしい。僕は愛しく感じているよ。だからこそ傷付けたくなかったんだ」
そして、王子は薔薇人間を作ろうと思い立った経緯を語り始めた。
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