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嗅いで確かめて
そうやって昼夜を問わず摂取方法を研究する二人であったが、誕生パーティが一ヶ月と迫る頃になっても、未だ決定的な方法は見つからなかった。
澄んだ水色の硝子瓶を見つめながら考え込むイブリンの背後から、王子が切羽詰まった声で叫んだ。
「イブリン!!僕はたいへんな事に気付いてしまった!」
イブリンが驚いて振り向くと、王子が忙しなく研究室を行き来していた。
「どうされたのです?」
「僕はずっとバラを食し、薔薇の雫を摂取してきたが…僕自身の体臭は本当に改善されているのか?」
「えっ?いや、王子からは始終薔薇の良い匂いがします。大丈夫だと思いますよ」
王子は血走った目をイブリンに向けると、瞬きもせず駆け寄り、イブリンの前に立つ。
イブリンはその勢いに仰け反った。
「確かめてくれないか」
「あ、はあ、では、息を吹きかけてみてください」
王子はイブリンの両肩に手をかけ、顔をグッと近付けると、思い切りよく息を吹きかけた。
イブリンは背中をゾクゾクさせながらも、それを受け止め、親指と人差し指で丸を作って掲げる。
「問題ございません」
「では、耳の後ろも」
「えっ?」
王子は髪をかきあげ、形の良い耳を晒すと、イブリンの鼻に近付けた。
イブリンはドキドキしながらも、そこを嗅いだ。
「問題ございません」
平静を装って答えたが、王子はまだ安心出来ないらしい。
イブリンに背中を向けると、王族仕様の白いロングジャケットを捲り上げた。
イブリンは戸惑って訊ねる。
「えっと…殿下?」
「尻の匂いを嗅いでくれ」
イブリンの思考が停止した。
「屁は出せないけれど、頼むよ!」
「で、殿下っ、流石にそれは出来ませんよ!!」
「頼むよ、イブリン、不安なんだ。もし臭かったらふりだしに戻ることになる。これ迄の研究と僕の努力が全部無駄になってしまう。それに、欠陥が見つかっても今ならまだ挽回できる」
王子は振り向き、懇願する。
イブリンは内心で激しく取り乱していた。
「この体勢が嗅ぎにくければ、そうだ、寝転がって足を抱えても良いな」
やめて。
変態的な絵面が頭に浮かび、イブリンは頭を抱えた。
「イブリン、頼む!!」
えーい!女は度胸だ!どうせ誰も見ていないんだからいーや!もうっ!
イブリンはやけくそになって、王子の尻に顔をつけた。
「もっと深くだ!」
「はいぃぃ!!」
イブリンは固く引き締まった尻に両手を当てて、割れ目に顔をねじこむ。
そして、フガフガと盛大に嗅いだ。
嗅ぎまくってやった。
プハッと顔を離したイブリンは、椅子に凭れながら、脱力しつつ報告した。
「問題ございません。殿下の尻の穴からは香しき薔薇の香りがしました」
しかし、王子からの返事がない。
イブリンは訝しげに目の前の背中を見上げる。
それはプルプルと震えていた。
イブリンは血の気が引き、椅子から立ち上がると、頭を下げた。
「ぶ、無礼な行為を、おっ、お許しください!!」
やり過ぎた…。
イブリンは床を見ながら全身を包む寒気を堪えた。
どうしよう…これでお役目を解かれるんだろうか。
お優しい殿下の事だから、手打ちにはされないと思うが…。
しかし、出来ることなら二人で完成させたかった…。
イブリンは滲む涙をそっと指で拭う。
殿下と過ごす時間は、最早イブリンにとってかけがえのないものになっていた。
薔薇の雫の研究に携われる事は名誉な事であり、やり甲斐を感じていた。
何より、王子は末端のメイドでしかないイブリンを頼りにしてくれ、真剣に意見を聞いてくれる。
分け隔てなく純粋な王子の側にいると、心が浄化される心地がした。
そして、何の取り柄もない自分がとても価値のある人間に思えたのだ。
そうして、いつしかイブリンは、この不憫な王子に淡い恋心を抱くようになっていた。
しかし、王子は所詮手の届かない存在だ。
これは、イブリンに与えられた束の間のご褒美。
一ヶ月後には王子はエカテリーナ様と婚姻し、郊外の別宅に移る。
そうなれば、一生言葉を交わすこともお会いすることも叶わぬだろう。
「イブリン、顔を上げたまえ」
「も、申し訳ございませんでしたっ!!」
「謝ることはない。僕が強要…頼んだのだから」
イブリンは何とか顔を上げるが、恐ろしくて王子の顔が見れない。
喉元に視線を向けて縮こまる。
ところが、王子は予想外の言葉を口にした。
「もう一箇所良いだろうか」
王子がそう言ってジャケットを脱ぎ始めたので、イブリンは混乱し、思わず顔を上げてしまった。
王子の頬と目元は薔薇色に染まり、長いまつ毛の向こうにある瞳は潤んでいるように見える。
唇は赤く染まり、小刻みに漏れる吐息からは薔薇の香りが漂い…
イブリンは初めて見る王子の艶めかしい表情に釘付けになる。
その感情の正体と理由を思いつかぬまま、気付けば、目前の王子は上半身裸となっていた。
儚げな見た目とは裏腹の鍛えられた身体にイブリンの鼓動が跳ね上がる。
うっかり、白い肌に左右対象に並ぶ桃色の印を目に入れてしまい、イブリンは俯いた。
「で、で、殿下っ、お風邪を召してしまいます」
「だったら、早く嗅いでくれないかな?」
「ど、どこを…」
「腋だよ」
イブリンは卒倒しそうになり、額に手を当てた。
「いや、あの、出来かねます」
「頼むよ、イブリン。…さっきのように鼻息を吹きかけてくれ」
「いや、あの、鼻息を吹きかけたつもりはございませんが…」
「匂いを嗅いでくれ、鼻を擦り付けて」
鼻をすり付ける必要ないだろ。
「早く…っ!」
余裕なく急かす王子に抗えず、イブリンは肌に手を当てる。
すると、王子の身体がびくりと反応し、頭上から甘い風が降り注ぎ、前髪を揺らした。
イブリンは腋に鼻を突っ込んだ。
思い切り息を吸い込めば、少し蒸れて甘さを増した香りが鼻腔に充満した。
イブリンは密かにうっとりしながらそれを堪能すると、顔を離す、が、後頭部を掴まれ、腕を上げた王子の腋に顔面を押し付けられた。
薄い金色の体毛が目に入りそうになり、イブリンは咄嗟に目を瞑る。
「もっと、しっかり嗅いで、鼻息をかけて!」
イブリンはいつもとは様子の違う王子の強引な行動と声色に焦る。
とにかく解放されたい一心で鼻息を吹きかけた。
漸く開放されたイブリンは、息も絶え絶えで椅子に縋りつく。
「だ、大丈夫です、殿下…ご心配には及びません。殿下は立派な薔薇人間におなりですわ」
「そ、そうか念の為に反対側の腋も…」
「必要ございません!!」
イブリンは慌てて止める。
王子は何故か残念そうに眉を下げた。
「でも…まだ安心出来ないな。イブリン、明日から毎日チェックしてくれないかな?」
「は?!」
「呼気と鼻の穴、耳の後ろ、腋と肛門…えっと他には…」
冗談じゃない、これ以上増やされてたまるか!
なんか、しれーっと追加されてっし。
それに…
「殿下は薔薇の雫の効用については既に立証済みだと仰られました。今更検証する必要などないのでは?それより…」
王子は羽織ったシャツの前をはだけながら、イブリンの両手を握りしめた。
イブリンは直視出来ず目を逸らす。
「イブリンの感覚で確かめて欲しいんだ」
「私の意見なんぞ…」
「イブリンは僕の一番の理解者であり、優秀な助手だ。君以外には頼めない!」
甘い吐息を耳に吹きかけられ、イブリンは呆気なく陥落した。
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