薔薇王子の告白

1/1
前へ
/12ページ
次へ

薔薇王子の告白

しかし、温室の扉を開けたイブリンの目が捉えたのは一面の白。 立ちはだかる王族服だった。 王子はゼイハアと荒い薔薇の息を吐きながら、戸口で両手を広げ、前を封じていた。 イブリンは言葉をなくし、ヨロヨロと後退る。 「待ってって言ったのに…何で逃げるの」 イブリンは薔薇の雫やその他諸々を胸に抱き込んで王子から顔を背けた。 「協力してくれるって…言ったじゃないか!」 優しい王子に責められ、イブリンは縮こまり、目をギュッと瞑る。 「イブリンだけは、僕を受け入れてくれたと思ったのに…!実験のことを疑ったり馬鹿にせずに応援してくれたのは…君が初めてだったのに…!」 イブリンは目を開き、王子の言葉を反芻する。 「それに…イブリンは僕が躊躇なく近付く事が出来る貴重な人間なんだ。最初から、君を臭いだなんて思わなかった…むしろ…」 温室のドアが閉まる音がした。 イブリンはその場に縫い付けられたまま、その白いブーツの爪先が近付くのをただ見つめる。 「イブリンから香る匂いはとても…好きだ。安心する…いや、最近ではまるで中毒になってしまったかのように求めてしまう」 イブリンはその告白に胸を震わせた。 それでも認めるわけにはいかず、首を振る。 「殿下、それは気のせいです。殿下は長く人と接していらっしゃらなかったからそう思われたかもしれませんが、おそらく殿下の体質が改善されてきたのだと…」 よく知る長い指が伸ばされ、イブリンの後れ毛を耳にかけた。 そのまま指先がそっと耳を辿る。 イブリンは身体の震えをグッと耐えた。 「僕に触れる手の感触と、君から香る甘い香り、吹きかけられる熱い息…僕はそれがただ欲しくて検証だと嘘をついて、君に僕の匂いを嗅がせていた」 イブリンは再び目を瞑り、止めていた息を小さく吐いた。 途端に酸素を求めて呼吸が早くなる。 胸が激しく上下して、抱き込んだグラスと瓶が揺れてぶつかり、音を鳴らした。 王子はそれをそっと抜き取り、土の上に置いた。 「薔薇の雫を服用する方法の研究も、途中から目的が変わってしまったんだよ。そう、君に触れるための口実だった」 土の上に膝を付き、下から覗き込む王子から目が逸らせず、イブリンは泣きそうになる。 「君に触れたい。匂いを嗅ぎたい」 「殿下っ…お止め下さい。そんなこと…間違っております」 王子はイブリンのメイド服の上から足を抱き込み、鼻を押し当てた。 「変なのは百も承知だ。僕はずっとイカれてる」 掌で脹脛から膝裏を撫で上げられ、ゾクゾクとした感触が背中を駆け上がり、イブリンは思わず顎を反らした。 「イブリンの身体の内外を余すことなく愛でる自信があるよ。君の身体から出るもの全て…それこそエカテリーナには無理だったこともイブリンなら何の支障もない。証明するからやってみて」 なんという無茶振り。 イブリンは頭がクラクラとし、よろめく。 王子が素早く立ち上がり腰を抱き止めた。 イブリンはその胸に両手を当てて弱々しく押し戻すが、王子は離さない。 「私はメイドです。貴族と呼ぶには烏滸がましい程の家柄で、見た目も平凡で教養もありません。殿下には相応しくございません。冷静によくお考え下さい」 「そんなの僕には関係ないんだよ、イブリン」 王子はゆっくりと言い聞かせるように言葉を繋ぐ。 「僕の心と身体が、君を選んで激しく求めてる。それ以上の理由なんてないんだ」 途端に鼻がツンとして、涙が込み上げた。 それでもイブリンは、なけなしの力で抵抗する。 王子の肩を掌で押し、顔を背けた。 「殿下にはエカテリーナ様がおいでです。あの方を差し置いて殿下の寵愛を受ける訳には参りません。貴族の端くれだとは言え、それぐらいの分別と自尊心はございます」 「…良いね…本当にイブリンは素晴らしい。揺らがない」 予想外に褒め称えられ、イブリンは慌てた。 「あたっ、当たり前のことかと」 「そうでも無いよ。僕はね、これまで幾度となく愛人にしてくれと迫られた事がある」 目を見開くイブリンに悲しそうに微笑み、王子は淡々と語る。 「廊下でいきなり抱きつかれ、出向いた夜会では部屋に引きずりこまれそうになり、寝室に全裸で忍び込まれた事もある」 それこそ男女問わずだよ、と王子は吐き捨てた。 助けを求めた護衛は、下卑な笑いを浮かべて囁いたと言う。 “ 躊躇する必要は無い、お楽しみになれば良い。皆、殿下の寵愛を求めているのです。それに、そうやって身につけたものは、いずれ殿下の身をお助けすることでしょう” イブリンは憤る。 何という言い草だ! 王子の取り柄がまるで見た目にしか無いと言うようではないか! 「容姿が優れているだけの第三王子。皆が僕に求めているのは、それを存分にふりまき駆使して、王宮の為の男娼になることだったんだ。それに気付いたと同時に例の症状が現れた」 周りの人間の体臭に過剰に反応し、嘔吐し、気を失う。 利用価値のなくなった王子は王宮の隅へと追いやられ、必要最低限の人間だけが出入りを許されるようになった。 「皆同情の眼差しで僕を見た。けどね、まだマシだったんだよ。一方的な欲を孕んだ目を向けられるよりね」 イブリンは余りの悲しい事情に目を閉じ首を振る。 王子のその頃の胸中を想像し、涙が溢れ出た。 王子はそれを唇で吸い取り、額を合わせる。 「僕は知っているんだ。エカテリーナは僕との縁談を望んではいない。彼の父親は彼女が心を寄せる男を愛人にあてがい、子供を産ませるつもりらしい」 「そんな…っ」 「僕はそれでも良いと思っていた。とりあえず公の場でだけでも寄り添い、彼女の体面が立つなら。エカテリーナの事は好ましくは思っていたけれど、異性として誰かを愛せる自信が僕には無かったから」 イブリンはとめどなく流れる涙を拭い、鼻を啜る。 王子は顔を近付け、イブリンの目尻を伝う涙を舌で拭った。 続けて、鼻をカプっと噛んで鼻孔をペロンと舐める。 イブリンは驚き、ふえっと声を上げた。 王子は顔を離すと、イブリンの頬に手を当て、愛おしげにイブリンを見つめた。 「ね、イブリンのものなら何でも口に出来る」 作り物のように美しいお顔を嬉しそうに綻ばせて、その人は笑う。 「薔薇なんて比じゃない」 呆然と見上げるイブリンに再び顔を近付け、唇が触れ合う距離で王子は囁く。 「イブリンと混ざり合いたい…君の香りに染まりたいんだ…僕にそれを許して」 「で、殿下、でも…」 「せっかく巡り会った運命を僕から取り上げないで」 王子はそっとイブリンの唇に口付けた。 身体をビクリと揺らし、まだなお戸惑う様子のイブリンを見下ろし、王子は困ったように微笑んだ。 「それじゃあ、助手としての君に命ずるよ。目的は変わったけれど、薔薇の雫はどうしても商品化したいんだ。さあ、最後の検証をしよう。イブリンの匂いを確かめさせて」 「それは…やはり、下着にならないと駄目なのですか?」 「そうだね。僕は裸でも構わないけど」 イブリンはひっと息を吸い込んだ。 「しっ、下着で良いです!」 王子はにんまりと笑った。
/12ページ

最初のコメントを投稿しよう!

28人が本棚に入れています
本棚に追加