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(1)
クリスマスの前夜、ジャケット姿の明は、息子二人が眠る子ども部屋の扉をそっと開けた。五歳の涼も三歳の俊もぐっすり眠っている。クリスマスプレゼントを息子の枕元に置いても気づかれることはなさそうだった。
親のいない子どもたちと一緒に、施設で育った明にとっては、その安心した寝顔は特別なものに思えた。眠っている息子たちの頭に手を置くと、シャンプーのいい匂いがした。この穏やかな雰囲気は、明が子どもの頃には、得られなかったものだった。
(2)
「クリスマスにはプレゼントをたくさん持って、必ず迎えに来るから、ここでいい子にしているんだよ」と別れぎわに、父は明と清に言った。
「嫌だ! 父さん、置いて行かないで!」と二人は父にすがった。
「クリスマスまでだよ。クリスマスまで我慢するんだよ、いいね、約束だよ」
「本当だね、父さん! クリスマスには迎えに来てくれるんだね。約束だよ!」
「ああ、約束するよ」
進一は二人を抱きしめて、キリスト教系の施設のぞみ園を去って行った。のぞみ園の園庭にある大きな銀杏の木の前で、父は立ち止まって、いつまでも手を振っていた。
しかし、明と清は、親に捨てられたり、虐待されたりした子どもたちが暮らすキリスト教系の施設「のぞみ園」での生活になかなか馴染むことができなかった。
父との約束を胸に、明も清も頑張ろうとした。けれど、のぞみ園の子どもたちは、意地悪をしてきたり、けんかをふっかけてきたりする。寂しさや悲しさを、目の前にいる子どもに意地悪をすることで、紛らわせようとするかのように。
「兄ちゃん、父さんはまだ迎えに来てくれないの?」
「泣かないで、清。クリスマスまでの辛抱だよ。父さんと約束したじゃないか」
「父さんはクリスマスプレゼントを持って迎えに来てくれるって、約束したよね」
ボタンがちぎれたシャツや袖口が伸びたトレーナーを着た兄弟は、そんな会話を繰り返したのだった。二人はクリスマスが来るのを指折り数えて待った。のぞみ園に預けられた時は深緑に茂っていた園庭の銀杏が、黄色くなって、落葉し、クリスマスが来た!
明と清は父さんが迎えに来るのを今か今かと待ち構えていた。落葉した銀杏の側に人影が見える度に「父さんだ!」と思って窓に駆け寄った。だが、それはいつも、教会にクリスマス商品を買いに来た人々だったり、寄付をしに来た慈善家だったりした。
「兄ちゃん、父さん、迎えに来てくれないのかな……」
清の目から、涙が溢れた。
「兄ちゃん、父さんは約束を忘れちゃったのかな……」
「きっと父さんは、仕事が忙しいんだろう。大丈夫、きっと迎えに来てくれるよ」
明は、泣きたい気持ちを必死でこらえて、清を抱きしめて言った。明も悲しかった。父が本当は、自分たちを捨てていったのではないか、クリスマスに迎えに来るなんて約束は、嘘だったのではないかと思い始めていたからだ。
それから、何年もの月日が経った。明と清は「きっと次のクリスマスには、父さんが迎えに来てくれる。たくさんクリスマスプレゼントを持って。あの日、約束したんだから」と信じ続けたが、その気持ちは、年を追うごとに虚しいものになっていった。
結局、父は二人がのぞみ園を離れる年齢になっても現れなかった……。
明は成績優秀だった。高校を卒業して「のぞみ園」を出ると、昼は働き、大学の夜間コースで学んだのだった。
―俺はちゃんと仕事して、結婚して、温かい家庭を持つんだー
固い決意のもと、教員採用試験に合格し、中学の社会科の教師になったのだった。同僚の穏やかで優しい女性と結婚してから五年。二人の子どもも授かった。
―どうして、父さんは、こんなに可愛い存在を捨てられたんだろうー
―父さんにとっては、僕たちはお荷物だったのかなー
明はそう思うたびに、父への恨みと会いたい気持ちが入り混じったどうしようもない気持ちになるのだった。とりわけクリスマスが近づくと、その思いが強まるのだ。
(3)
明は子ども部屋に向かった。五歳の時に最後に会った父の面影は、だんだん薄れて行く。父に会いたい気持ち、そして、自分たちを捨てた父を恨む気持ち。その葛藤がいつも明を苦しめた。
―俺を愛し、受け入れてくれる大切な妻も、二人の可愛い子どももいるのにー
―どうして、俺は今も過去に囚われてしまうのだろうー
そう思いながら、息子たちの枕元にプレゼントを置いた時、急にあたりが明るくなった。目がおかしくなったのかと思い、目をこすると、壁があるはずの場所に、庭が広がっているではないか!そこには遊具や砂場があり、大きな銀杏の木が植えられているのだ。
「のぞみ園だ! のぞみ園の銀杏の木だ!」
明は混乱した。何故、大人になった今、目の前に「のぞみ園」が広がっているのか。これはすべて、夢なんじゃないか。でも、夢でも良かった。懐かしさに、涙がこぼれそうなほどだったから。
明が銀杏に近づくと、ジャケット姿だった明の身体は、だんだん半ズボン姿の少年に変わったのだ。そして、銀杏の木の下には、一人の男性が立っていた。
明は息を飲んだ。その人は父だったからだ!
「父さん!」明は思わず叫んだ。
「明!」と父さんも叫んだ。
ずっと会いたかった気持ちや自分たちを捨てた恨みや葛藤する思いに苦しんだことが、一気にあふれ出した。
「父さん、どうして迎えに来てくれなかったの! 僕と清がどれほど父さんを待ったかわかる? クリスマスが来る度にどんなにつらかったか! あの日の約束を忘れちゃったの!」
「忘れるものか! お前たちに会いたくて、すまなくて……」
「父さん……」
「ごめんよ、明。父さんを許してくれ。みんな父さんが悪いんだよ」
父は、そう言って、明を抱きしめたのだった。これは夢の世界のはずなのに、何故か父の身体は、とても温かく感じた。
(4)
「おまえが五歳の時に、母さんが亡くなって、一人でおまえたちを養えなくて『のぞみ園』に預けたんだ。早く迎えに行きたかったのに……」
「なのに、なぜ迎えに来てくれなかったの」
「身体をこわしてしまったんだ……」
「そうだったんだね」
「焦れば焦るほど、身も心もぼろぼろになってしまって。仕事も、家も失って、路上で暮らすようになって……」
父さんは切なそうに顔をそむけた。
「お前や清に合わす顔がなかった。のぞみ園の銀杏に隠れて、お前や清の姿を見に行ったこともあったんだよ」
と言って父さんはまたすすり泣いた。
「じゃあ、僕たちを捨てたんじゃなかったんだね」
「捨てたんじゃない! おまえたちのことを思わない日は一日もなかった。迎えに行けないことが、本当に苦しかったよ!」
「でもね、父さん。父さんが何をしてても、僕たちは父さんが恋しかったよ。迎えに来てほしかった。会いに来て欲しかった。清もきっと、同じ気持ちだったと思うよ」
明のことばに、父は、うなだれた。
「そうだよな……。清にも、会いに行かないとな」
「え?どういうこと?」
「いや、なんでもないよ。さあ、受け取っておくれ。クリスマスのプレゼントだ」
そう言って色鉛筆画を取り出した。そこには「のぞみ園」の銀杏の木の下にいる明と清の絵が描かれていた。銀杏の新芽が美しい春、緑深い夏、黄金色に黄葉した秋、落葉した冬。泣いている明の絵は、にじんでいた。きっと父さんの涙の跡なんだろう。明と清が笑っている絵は、父さんのはずむ心が感じられた。
「ありがとう、父さん。ずっと、見ていてくれたんだね……」
「ああ、そうだよ。絵に描くしか出来なかったが、おまえたちは父さんの大切な……」
(5)
その時、携帯電話が鳴った。ハッとしてあたりを見回すと、そこは子ども部屋だった。息子二人がすやすやと寝息を立てて眠っている。明の身体も、いつの間にか、ジャケット姿の大人に戻っていた。
―今のは、夢だったのか……?―
そう思いながら、子どもたちを起こさないように、子ども部屋を出た。慌てて電話に出ると、電話は警察からだった。電話から聞こえて来たことばは衝撃的だった。
父さんが死んだのだ。
明は、警察からの電話をぼんやり聞きながら、考えた。父さんは六十歳代になっているはずだけれど、今の時代、死ぬような年齢ではない。無理がたたったのだろう。でも、あの夢は……。
「もしもし、聞こえていますか?」
「あ、はい!」
警察に問われて、思わず上ずった声を出してしまった。
―もしかして、最後に、会いに来てくれたのかもしれない……。―
「あの。もしかして、父の遺品の中に、色鉛筆で描いた絵がありませんでしたか?木の下に子どもが描かれているような……」
「亡くなった時に、抱きしめていたものがあって、それが絵だったそうです。『明へ』『清へ』と書かれていて、身元がわかったのですが……」
明は、やっとの思いで、父を引き取りに行くことを警察に伝えた。
―父さん、ずっと愛していてくれたんだね。あの日の約束を、守ろうとしてくれたんだねー
そう思うと、涙が堰を切ったようにあふれ出た。胸が締め付けられるようだった。子ども部屋の外で、号泣する明に、妻が駆け寄って来た。何があったのかを察した妻は、明を優しく抱きしめてくれた。
その時また、携帯電話が鳴った。今度は弟の清からだった。きっと清のところにも、父さんは会いに行ったのだろうと明は思った。
父さんに会いたくて切なくて、自分たちを捨てた父さんを恨んだ。過去に囚われ苦しかった。それでもクリスマスの夜、父が自分たちを愛していたと言うことを知ると、今までどんなに消そうとしても消せなかった父へのわだかまりが、静かに消えていくのを感じたのだった。
―父さんは、ずっと俺たちを愛してくれていたんだー
―俺は愛されていた。愛されていたんだずっと……。―
窓の外には、きよしこの夜が静かに鳴り響いていた。月の光が明を照らし、それは、未来への祝福のように、見えたのだった。
<完>
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