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1999年7の月、空から恐怖の大魔王が降りてくる。大予言者ノストラダムスはそう記していた。
当時日本は世界の滅亡を恐れ、テレビ番組は毎日のように特集を組んで話題にした。
しかし、その年7月になっても何一つ異変は起こらなかった。
やがて世間の関心は2000年問題に移り、ノストラダムスはおろか、アンゴルモアの名前を憶えている人間もいなくなった。
「うちにいるんだけどさ。なあ、アンゴルモア?」
「……」
返事もせずにスイカにかぶりついているのは、体長14センチの昆虫だった。
あの夏の日、近所の雑木林でカブトムシを探している俺の目の前に、こいつは降って来た。
最初は大きなカブトムシだと思った。俺は虫かごに入れて持ち帰り、自分の部屋で飼育し始めた。
こいつは臆病で、なんにでもすぐ驚く。「恐怖の大魔王」とは怖がりな魔王という意味であった。
「アンゴルモアの大王をよみがえらせ、マルスの前後に首尾よく支配するために」
この一文が分かりにくかったために、恐怖の大魔王とアンゴルモアの大王は同一視され、魔王による地上支配、すなわち人類滅亡の予言と解釈されてしまった。
「全然違うよな?」
アンゴルモアとは、「アンゴル」と「モア」に分かれる。前者は「英国」を指し、後者は「月」だ。「英国式の月」と言っているだけなのだ。
何を言っているかといえば、「暦法」のことである。ノストラダムス当時の16世紀において、暦法は世界を左右する大問題だった。ローマ由来のユリウス暦は誤差が大きく、使い物にならなくなってきていたのだ。
ノストラダムスはその予知能力を駆使して、人類に警告を発した。「やがて現れるグレゴリオ暦を採用しなさいよ」と。ところが、これに逆らった国々が存在した。
イギリスとアメリカですよ。なんと制定の169年後にようやくグレゴリオ暦を採用したのだ。
「英国式の月をよみがえらせ」とは、「イギリスの暦を正せ」ということ。
日本では1872年にグレゴリオ暦が採用されている。明治維新の結果である。
そして、もっとも大切な目的はなんであったか?
「マルスの前後を首尾よく支配するために」
そのためにこそグレゴリオ暦は存在し、恐怖の大魔王は降臨した。
「MARS:Multi Access seat Reservation Systemとは、日本国有鉄道以来JRグループで使用されている座席指定券発行システムのことである」
このシステムがあればこそ、新幹線をはじめとする鉄道乗車券・指定券が円滑に管理発行できるのだ。マルスが止まれば鉄道は大混乱に陥る。日本の要といえる。
それゆえに、恐怖の大魔王が降臨し、あらゆる有事に備えている。その敏感な触覚がマルスに迫る異変を察知するのだ。
一朝事あるときは窓から飛び立ち、マッハ3のスピードで現場へ急行する。その魔力でネットワークに侵入し、ウイルスやマルウェアを瞬時に粉砕するのだ。
頼むぞ、アンゴルモア。日本の心臓を今日も守ってくれ。
「ヨシオ―、〇ルサン焚くからアンゴル連れてベランダに出ていな―!」
おふくろが台所から叫んでいる。
俺は急いでアンゴルモアの飼育ケースを小脇に抱えると、ベランダに脱出する。
恐怖の大魔王唯一の弱点は「燻煙殺虫剤」である。
だって、こいつゴキブリだもん。
(完)
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