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俺たち6名の役者はそれぞれ、全く違う事務所や地域から集められ、これまで何の面識もなかった。それぞれが出演している舞台や映画、ドラマなども記憶にない。恐らく出ていたとしても端役か、さほど話題にならずに公演や上映が終わってしまったのだろう。脚本にも俳優名は書かれておらず、役名の代わりに「男1」や「女2」という記載だけがあり、加えて事前の「本読み」やリハもなく。皆はその状態で、直接この山荘に現地集合した。そういった点で俺たちの間柄は、映画内での設定どおりだと言えた。
そして俺たちに渡された脚本には、映画の筋書きが書かれていない。これから演じるシーンのみを書き連ねてある。先ほどの、映画冒頭に当たる「案内人による説明場面」までは、俺たちは「脚本通り」に演技をしていた。だが脚本に、「その先」の記述は全くなかった。つまり、俺たちは誰1人として、この映画の「物語の全貌」を知らないのだ。しかも、先ほど俺がそれぞれの設定を「推測」したように、他の5人の設定もわからない。6名の男女が集まることは知っていたが、それがどういったバックボーンを持った人間かは、想像するしかないのだ。
ただ、自分が演じる役については、性格だけでなく生まれ育ちやこれまでの経験など、細かい設定や背景が書きこまれている。恐らく他の5名が持っている脚本にも、同じことが書かれているのだろう。自分のことは演じる上で必要な要素として把握しているが、他の5名のことは一切わからないまま、撮影は進んで行く。これから物語が進むにつれ、それが徐々に明かされて行く展開になるのかなと俺は予想していた。
この「先の展開も、他のキャラクターの詳細もわからないままの撮影」という方針は、プロデューサーと脚本も手掛けた監督の2人から、「徹底したリアリズムを追及するため」という説明を受けていた。つまり、先の読めないゲーム攻略という題材をよりリアルに見せるため、役者たちの演技ではなく、半ば「本当に驚く表情、素振り」を撮りたいのだと。いわば、ホラーなどでよく使われる、ドキュメンタリーを模したフィクション、通称「モキュメント」と呼ばれる方式を取り入れた撮影だとも言えた。
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