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体育祭
体育祭とは、学生たちにとって大きなイベントである。大きなイベントであると同時に、運動音痴にとっては、最悪なイベントでもあった。
ちなみに、このオレーーー稲取京華は、運動が得意なので、まあ体育祭が、少し楽しみでもある。男子高校生だもの、ワクワクドキドキ。
「京華ちゃぁぁぁあん!!!」
「んだよ」
オレの名を叫びながら、思いっきり、抱きついてくる奴といえば、そう、一人しかいないーーー幼馴染の笹川烈火である。
急に抱き付かれるとか、普通に暑苦しい。やめろ。あと、心臓がドキドキして飛び出してきそう。やめろ。
笹川は、オレの心境も知らずに、涙を目尻に溜めて、オレに訴えかけてきた。
「京華ちゃぁん……、うちのクラスのダンス難しすぎない? おかしいよ、あれ。かなり鬼畜よ?!」
「……そんなか? 言うほど難しくはないだろ」
そう言って、しがみついてくる彼を、オレは力ずくで引き剥がす。彼は、特に抵抗をすることもなく、大人しく引き剥がされた。いつもなら、もっと食い下がるはずだが、抵抗する元気もないのだろう。
意気消沈とし、しょぼくれている笹川に「オレは、もう振り付け覚えたぞ」と追い討ちをかける。身長も学力も顔面偏差値も、何一つ勝てないから、ここで奴を懲らしめてやる。ざまぁ〜〜〜〜。
「えっ、ちょ、早ない?!」
予想通りの反応を示す笹川。イケメンであり大概のことが出来る彼だったが、コイツ、なぜか昔からダンスだけは苦手だった。体育祭には、学級別のダンス種目もある。ダンス音痴にとっては地獄だろう。
彼は俺に向かって、パンッと勢いよく手を合わせ願うポーズをする。嫌な予感。
「ねっ、お願い! 京華ちゃん!! いつでもいいからダンスのステップ、教えてくれない?! このままじゃ、まじヤバいって!!」
焦った顔でそうやって言ってくる笹川。予感は的中。ずるいだろ、その顔面で。こんなイケメンに頼られて、断る方がおかしいっつーの。
「いーよ、教えてやんよ」
「やったぁ! 京華ちゃん神! じゃさ、早速、今日の放課後とか空いてる?」
「空いてる」
笹川はオレの言葉を聞くなり「じゃあ、放課後!」と満面の笑みを浮かべた。そして、オレの手をギュッと握る。同時に、オレの心臓は止まりかけた。あっぶね。オレのこと殺すつもりか、コイツ。自分の顔面で人が殺せること、自覚してんのか?
「踊るんなら、空き教室に来いよ。教室じゃあ机あって十分に踊れんし」
「了解! 忙しい中ありがとう」
他にも何か言いたげだったが、それだけ言うと笹川は、サッカー部部長として顧問の先生に呼ばれて行ってしまった。相変わらずの人気者っぷりだ。
別にオレは大して忙しくないし、言うならば忙しいのは笹川の方だ。このクラスの学級委員でもありサッカー部部長。なにやら生徒会は推薦されてたらしいし。誰よりも人望がある。
何事も簡単にこなす事の出来る笹川でも、この仕事量はあまりにも多い。それなのに、嫌味ひとつ言わない彼は、本当に凄い。
………まぁ。本音を言えば、弱音や嫌味だって言って欲しいのだ。辛かったら、辛いと言って欲しい。面倒だったら、面倒いって言って欲しい。聞くから。聞いて、君が欲しいと思ってる言葉を全力で掛けるから。
「あ、稲取く〜ん! 笹川くんとなに話してたの?」
ただ漠然と、笹川の行った方を眺めていたオレに声を掛けてきたのは、もう一人の学級委員である白川だった。白川は、オレの顔を見てヘラヘラと笑う。彼女がヘラヘラと笑うのは通常運転なので、無視する。今更、気に留めることはあるまい。
「ダンス教えるって話」
「あー! 笹川くんダンス苦手だもんね」
「なんでも出来るくせしてな」
「それな、わかる」
白川は、そう言い、つくつくと笑う。悪戯っ子みたいな笑い方が愛らしい。
「笹川って、大変だよな」
ふとしたオレの呟きに、白川は首を傾げた。あざとい仕草。抜かりないな。実は、腹黒なのを知っているので、今更、ときめくこともないが。
「笹川くん? 確かに、笹川くんってばたくさんの役職掛け持ちしてるよね。うちよりもよっぽど忙しいんだろうな〜」
白川はオレと同じように、笹川の行った方向を見つめて言った。自分のことを棚に上げて話してるが、白川も大変と言えば、大変である。オレに比べれば、よっぽど大変だろう。
彼女は、そんな忙しさや苦労を、微塵も感じさせないような笑顔で
「好きな人には頼ってほしいもんね」
と爆弾発言をかました。
おいおいおいおい、どうした? 疲れで頭のネジ壊れちゃったのか? オレは思わず、アイツを二度見した。何言ってるの、白川さん?
「あれ? 稲取くんって笹川くんのこと好きだったよね?」
そう言い、にやつく白川。「……いや、ああ、うん」オレは、ただ曖昧な返事しか出来なかった。ここで黙っても、必死に肯定しているようなものだろう。認めるのが一番いい。だけど、待てよ……?
「……オレ、白川に笹川が好きだって言ったっけ?」
「え? そんなの笹川くん以外にはバレバレだけど?」
平然と言ってくるものだから、オレはただ驚愕することしかできなかった。女子って、そういうところ本当に鋭いよな。
「稲取くんってば、笹川くんといる時だけめっちゃ笑顔だし、嬉しそうだし。一目瞭然だよ。笹川くんが鈍感すぎるんだよ……」
「……いや、うん。ほんと、それな」
みんな気付いてるとか、一目瞭然とか、気になる言葉は色々あったが、まあいい(本当は良くない)。笹川が鈍感。その一点においては共感しかなかった。何もかもできるくせして、恋愛ごとにはアイツ、いつも疎いのだ。
「何か進展してんの〜? まだ、稲取くん、告白もしてないでしょ?」
「……あぁ。残念ながら、なんにも進展してませんよ」
恋愛上手な人ならば、次に何の手を打つのか、すぐ決められるのだろうか?
ヘタレで恋愛下手なオレには、何をやれば鈍感なアイツを振り向かすことができるのかが、毛頭わからなかった。
*
「オメー……、ちゃんとオレのステップ見てる?」
「見てるよ〜っ!」
「じゃあ、なんでこんなにも踊れないんだ?」
予想以上。
「それがオレにもさっぱり」
「いや、さっぱり、じゃねぇよ」
予想以上にオレの幼馴染は、ダンスが踊れなかった。何より、リズム感が皆無。やばし。予想以上にやばし。
「体育祭まで、あと数えられるぐらいしかないのにステップも踏めないなんて! 終わった!」
「おう、やばいな」
「ちょ、京華ちゃんどうにかしてよ!!」
笹川は、不安一色に顔を染めて、こちらを見た。そんな瞳で見つめられても、こちらもお手上げだ。どうやって、教えたらいいのやら。
運動神経など、生まれつき。リズム感も、一朝一夕で身につけられるものではない。所詮は感覚。一番有効な練習法は、圧倒的実践であろう。
「オレ、二年二組の学級委員として、ソロパートがあるんだよね〜」
「あ〜、学級会で決めたやつね。まあ、大体基本のステップは一緒だろ」
「いやさ、オレ、ハイヒール履かなきゃいけないんだよね」
ん? え? 今、この方、なんて言った?
「ドレスも着なきゃいけないし」
「は」と、思わず声が洩れる。待て待て、このイケメンは一体、何を言っている? ダンスが嫌すぎて、ついに頭がおかしくでもなったのか? どんだけダンスから逃れたいんだよ、コイツ。んなこと言ったって逃しはしないぞ?
「白川さんが、男装して、オレが女装すんの。それで、ダンス踊ることになったんだよね」
「……は?」
いや、マジで「は?」なんですけど。聞いてない聞いてない。いつそんなことになった。
「だから、ある程度ステップ覚えて、ハイヒールにも慣れておかないと……ーーーー」
「……なんで?」
「京華ちゃん?」
「なんで、笹川が、女装すんの? なぁ、断れなかったのか、それ? オメーが女装する必要ってあんのか?」
ぐちぐちと、口うるさいオバさん教師のように、今のオレの口からは、嫌な言葉しか出てこない。きっと、オレ、酷いことを言っている。自分で思う。オレは今、取り返せないような酷い言葉を彼に投げつけている。
ダムが決壊したかのように、止められない思いが溢れ出る。口が止まらない。
なんで、好きな奴が女装するのを、オレは目の前で黙って見なきゃならねぇんだ? そんなん、好きな奴だったら止めるに決まってんだろ。
愛おしくてたまらない好きな奴の貴重な、貴重な、女装姿を、体育祭のダンスなんかで曝け出す必要あるか?
無論、ない。
元がいい笹川だ。女装姿も、すごく可愛いに決まっている。学校内の男が、謎の美少女に魅了されるのは、もう、目に見えている。
「どうしたの、京華ちゃん? 確かにオレは断ったけど、相当困ってるらしくて」
「ほら、インパクトないとダンス種目って全校優勝できないじゃん?」諭すようにそう彼は笑う。だけど、心なしかその笑みは薄っぺらい。どうせ、優しい笹川のこと、断ったけど断れきれずにやってんだろうな。
「なぁ、笹川。それ、考えたの誰だ?」
「それ?」
「女装だよ、女装」
「副実行委員長だけど……」
その言葉を耳にしたオレは、ただ笹川の手を引いた。笹川は「どしたの?!?!」と、驚いた様子。だが、別に手を振り払おうとはしない。
きっと、彼が抵抗しないのは、今度は元気がないからじゃない。あまりに抵抗できる雰囲気じゃないんだろうな。
*
残って、体育祭の準備をしていた副実行委員長を見つけて、慎重に言葉を選ぶ暇もなく口を開いた。
勿論、周りには実行委員たちがいて、なんだなんだとこちらを見ている。だけど、そこまで思考が行き届かない。
想いが言葉となり、勝手に溢れ出る。
「んで、笹川に女装なんかさせんだよ」
嫉妬やら何やらの醜い感情に飲み込まれているオレを前にして、副実行委員長は、能天気な笑みを浮かべた。
「どしたぁ、稲取。そんな怖い顔しちゃって。女装、楽しそうでしょ! 笹川、普通に顔いいし」
「いや、なんで笹川なんだよ。本人に断られた時点でやめろよ」
「おーおー、怖いー。稲取は、笹川に女装させたくないのね。それで直談判に来たわけか」
「話が早くて助かるよ」
副実行委員長は、ニコニコしながらも、冷静沈着に物事を整理していく。あぁ、これがリーダーシップのある奴の力か。副実行委員長は、楽しそうに話を続ける。
「だけど、僕ら実行委員は、どうにかダンス種目で優勝を取りたいんだよね〜。急に現れし謎の美女と美男のダンス! ね、ね、インパクトあるでしょ? 絶対優勝じゃない? 女装しているクラスは、去年もあったけど、結局優勝取れてなかったじゃん? それさ、僕らが取ったら凄いと思わない? 僕らのクラスにはダイヤの原石がゴロゴロいる。それを生かそうってわけよね。笹川なんて、元もいいし、女装したらめっちゃかっこいいんだろうな〜」
嵐のような副実行委員長のペースに、巻き込まれていく。圧倒的、コミュ力と支配力の違い。この男、恐ろしや。オレは、副実行委員長の熱弁を受け、少し冷静になる。副実行委員長の情熱で嫉妬の熱が冷やされる。
「そもそも、美女と美男なら、笹川に女装させなくてもいいだろ!」
オレのその一言を聞き、副委員長は、ポンっと手を叩いた。それから、閃いたように、キラキラと目を光らす。なんか、背筋がゾワワ〜ッとした気がするんだけど、たぶん気のせい。
「そんなに笹川に女装させたくないんならさ、稲取が女装してくれてもいいんだよ?」
「……はぁ?」
「稲取なら、低身長で女顔。きっと美女になれるよ! そうだ! そうしよう」
副委員長は、楽しそうに浮かべて言葉を続ける。その笑みには、有無を言わせぬ圧があった。これには、笹川も断れねぇな。笹川の気持ちがわかった。副実行委員長は、話を止めることなく、続けていく。いつこの人、息吸ってるんだろう?
「今更、女装をなくすことはできない。稲取は、運動神経もいいし、振り付けなんて一瞬で覚えられるだろ。どうする? 笹川の代わりに稲取、やってくれない? そしたら、笹川が女装する必要もなーい!」
「………チッ。ざけんな、やってやんよ!」
「おぉ、コワ」
副委員長は、オレの言葉を聞いて、嬉しそうに笑った。反面、なぜか後ろにいる笹川は目を細めている。いつになく、彼らしくない顔つきだった。
*
帰り道。すっかり日が暮れて、暗くなってきた頃だった。駅までの道のりをゆっくりと、二人で歩く。
ダンスは、一応、最初から最後までを教えた。そのステップを、笹川が完全理解し、踊れるかは、まあ別の問題だが。
駅までのおんなじ道のり。いつもは、話が弾むはずだが、何故か笹川は終始、俯いていて、呼びかけても「うん? どうかした?」と笑うだけだった。やけに、元気なさげだ。女装の件は、解決したので、もうそんな気に落ちる必要はないはずだ。ならば、何故?
「なぁ、笹川」
黙っていても解決しないのは、重々承知。重々しく沈黙に耐えかねて、オレは口を開いた。
「ごめんな、急に……。やっぱり、あんなの無理矢理すぎたよな」
「どうしたの? 柄にもなくしょぼくれて。ていうか、あんなのってどんなのだよ」
ふ、と息を漏らし笑う笹川。見た感じ、無理して笑ってるっぽくはないので、安心した。
「女装、のやつ。よくよく考えれば、笹川の意見とかガン無視だったし」
「わ、京華ちゃんそんなこと気にするんだね」
オレが「どう言う意味だよ」と、顔を上げると、笹川は、いつになく優しい目つきでこちらを見ていた。思わず、頰が紅潮する。
「だって京華ちゃんって、そういうの気にするタイプじゃないでしょ? そりゃあ、あん時はびっくりしたよ。京華ちゃん、すんげぇ怖い顔してたし」
彼は先ほどの元気のなさを感じさせない弾んだ口調で、話を続ける。
「でも、嬉しかった。オレのためにやってくれてんの、わかってたし、本当は断りたかったんだよね〜、女装。京華ちゃんが断ってくれて、良かったよ」
「ありがとう」そう言う彼の声は、心地よく低く優しい。だけど、これが彼の言いたいことではない。なんだか、そう思った。まだ、何か言いたそうなのだけど、言葉を選んでいるような、そんな感じだった。
それが何かは聞けず、帰路を進んでいく。何が言いたいのか聞こうにも、単刀直入には聞けないし、話の展開の仕方が思いつかない。それに、なによりーーー笹川の雰囲気が少し違ったから。聞くのが、怖くて。オレは当たり障りのない話をして家までの時間を潰した。
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