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それから
それからソヨは口を閉じ、話すことがなくなりました。怒られるので元々あまり喋りませんでしたが、宝箱にしまった大事な大事なものをうっかり口に出さないように、いつも閉じていることにしたのです。喋らなくなったソヨを家族はますます疎ましく思い、邪険に扱いましたがソヨはじっと耐えました。
あの子が迎えに来てくれるのだから大丈夫、と自分に言い聞かせて。
月日は過ぎ、八つだったソヨは十八になりました。
姉はだいぶ前に嫁へ行き、妹も嫁ぎ先が決まっています。家を継ぐ兄のところへは、春にお嫁さんがくると決まりました。口を聞かないソヨは気味悪がられて誰からも望まれません。ソヨは胸のうちでそれを喜び、静かにあの子供を待っていました。
ある日、ソヨを早く家から出したい家族が、姑がいじめるせいで嫁に逃げられた男のところへ嫁に出そうと相談しているのを聞きました。ソヨは驚き、嫁に行きたくないと訴えます。子供が迎えにくると言っていたのだから、待ってなくてはいけないのです。ですが、ソヨの声を聞いてくれる人は誰もいませんでした。
そうこうしているうち、嫁入り先の男と姑が挨拶にやってきました。嫁に飯を食わせないと雀たちに噂されていた姑は、意地悪い顔でソヨを見ます。
「なんも話さねぇ薄気味悪ぃ嫁だわ。せいぜい躾してやらんとな」
夫になるはずの男は何も言わず、ソヨを見ようともしません。姑は働かせる前に飯を食わせるのがもったいないからと、たった三日後の収穫を始める日に迎えに来ると言って帰っていきました。
もうこれ以上、おとなしく待ってるわけにはいきません。ソヨは思い切って柿の木に止まっていたカラスに声を掛けました。
「うちに迎えがくるって話を聞いてない?」
カラスは何も言わず、ソヨの顔をチラリと見て飛んでいってしまいました。お喋りカラスも知らないなら、あの子はソヨのことを忘れてしまったのかもしれません。もう十年経っています。あの優しい子ならソヨよりもずっときれいなお嫁さんをもらえるでしょう。つぎだらけの擦り切れた着物じゃなく、あの花嫁さんみたいに真っ白な着物を着れる良い家の娘でも。
そう考えると涙が溢れました。ずっとずっと大事にしてきた宝箱が割れたように胸が痛みます。いいえ、割れてしまったのでしょう。しまっておいた大事な名前が口から出てきそうです。でも口に出さないと約束したのです。ソヨは唇を噛み締めて涙だけこぼしました。
あの意地悪い姑が迎えにくる前の晩、眠れないソヨは家を抜け出して一本杉を目指しました。明るい満月はあの夜と同じです。山に入ると薄っすらと霧がかっていました。
悲しくて何も考えられず、ぼんやりしているソヨの目に小さな灯りが一つ見えました。たった一つですが、あの夜の花嫁行列みたいにゆらゆら近づいてきます。目を凝らすと、紙の面をつけてるとわかりました。
立ち尽くし、ただただ灯りを眺めるソヨの目の前で止まったその人は、面の向こうで笑いました。
「迎えにきたよ」
びっくりして声が出ないソヨの手を取ります。
「嫁に行かされるってカラスから聞いたよ。間に合ってよかった」
「……だって、待ってて」
「うん、ごめんね、遅くなって。成人にならないと迎えにこれなかったんだ」
「うん」
「さあ、行こうか。もう戻れないけど大丈夫?」
涙を流すソヨの顔を覗き込んで、心配そうに聞いてきます。
涙が流れるのはまた会えたからです。今まで誰一人、大丈夫か聞いてくれた人はいませんでした。あんなところに戻りたくありません。
「うん」
その子は嬉しそうに目を細めると、ソヨの手を取って歩き出しました。
「僕の名前覚えてる?」
「うん。もう言ってもいいの?」
「2人のときだけね」
「わかった」
ソヨは大事な大事な宝物をそっと言葉にします。
「ゲッコウ」
ソヨの手を握っている大きな手にギュッと力が入りました。
「どういう意味か知ってる?」
「知らない」
「ああ、ほら、今夜はちょうど見える」
ゲッコウが指差した満月の下に白い虹がかかっています。
「夜の虹?」
「そう。月の虹。月虹っていうんだ。この虹をくぐってお嫁にいくと幸せになれるんだって」
「そうなの?」
「そうだよ。よかったね、ソヨ」
今、虹を見ているソヨも幸せになれるということでしょうか。優しい言葉に、またホロリと涙がこぼれました。
風がサァと吹き抜けて霧が晴れ、大きな満月が隣にいる月虹を照らします。夜の山なのに、なんだかとても明るく見えます。
不思議そうにしているソヨへ、紙の面を外した月虹がニッコリ笑いかけました。
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