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9.テントの立て方
夏休み前半は機材の準備から始まった。
まず僕たちがやったのは、校庭にテントを立てることだ。おそらく誰もが見たことのある、運動会とかで本部になってる、学校の名前が書かれたあれだ。あれを僕たちは4人で立てる。
え、僕たち放送部には部員が3人しかいないって? 確かに部員は3人しかいないが、僕らにはもう一人頼りになる仲間がいる。それは我らが放送部の顧問、オギー先生である。
オギーは本名を荻谷おぎたに先生といい、定年間近の日本史担当のおじいちゃん先生だ。いつもにこにこしていて、怒っている姿はあまり想像できない。普段はのんびりしているのに、機材トラブルなんかが起こると誰よりも早く現場に駆けつける。そういうところはなんとなくジャッキー部長に似ている。そういえばこの二人、顔はそんなに似てないけど、全体的な雰囲気が似ている気がする。
もしかしてジャッキー部長が歳をとったら、オギーみたいな雰囲気のおじいちゃんになるんじゃないだろうか。
オギーはいつも僕たち放送部が仕事で遅くなった時にはお菓子を差し入れてくれる。だからと言うわけではないが僕たちはオギーが大好きだ。
いや、決して餌付けされたからではない。オギーがよく僕らにくれるエンゼルパイは確かに僕の大好物だけど。
部長に言われるがままに体育倉庫から運び出したバラバラ状態のテントを前にしてジャッキー部長は言った
「いいかヤブよく覚えておけ。このテントは4人いれば組みたてられる。オギー先生に手伝いを頼んでおいたからもうすぐみえるはずだ。先生が来る前に行けるところまでやっておくぞ」
「……はーい」
僕は額の汗を拭いながら返事をする。
まだ朝の9時だというのに、遮るものの何もない校庭はかなりの暑さだ。そういえば毎日朝から集まるのは嫌だから、せめて昼からにしませんかと言った僕に、ジャッキー部長超いい笑顔で『死にたいのか』と聞かれたけど、こういうことだったのか。この時間でこの暑さじゃ、昼を過ぎたら確実に死ぬ。
「たぶん何回か組み立てるから嫌でも覚えると思うけど、一応ちゃんと見とけ」
話しながらも部長は手早くテントの屋根と思われる部分を組み立てて行く。僕とマリリンは部長に言われるまま屋根の部分を支えたり、柱を差し込んだりした。
「ねえジャッキー部長」
テントの天幕部分を紐で柱に結んでいたマリリンが口を開く。
「どうした?」
「このテント、どう見ても柱が6本ある気がするんですけど」
「ああ、そうだな」
「本当に4人で大丈夫ですか? 私もだけど、ヤブくんもひょろひょろだし……ちょっと心配です」
女の子にそんなことを言われて情けない気分にならないこともないが、僕が非力なのは間違いないので、心配ですのあたりで一緒になってうなずいておいた。
「おいヤブしっかりしろ。でも、まあ大丈夫。俺の2個上の先輩たちはこのテントを女子4人で立ててたし」
「なんですかその人たち、ゴリラか何かですか?」
僕の脳裏に多野高女子の紺色のブレザーを来たゴリラの映像が浮かぶ。
「バカ、そんなこと本人達の前で言ってみろ。殺されるぞ」
心底おびえた顔でジャッキー部長は自分の腕をさすった。
「やっぱりゴリラ……」
「ゴリラじゃない。見た目はごく普通のかよわい女子だ。たぶん腕力もな。ただ中身はあれだ。さい……」
そこで部長は不自然に黙り込んだ。続く言葉は最強だろうか。それとも最悪?
「まあ、いいや……先輩たちの話はやめよう」
僕とマリリンは思わず顔を見合わせる。
このジャッキー部長をしてそこまで言わせる先輩たちとは一体どんな方々なのか。気になって仕方がなかったけれど、僕が追及の言葉を重ねようとしたその時、オギーがこちらに近づいてくるのが見えて、この話はおしまいになってしまった。
「おお、みんな。暑い中ご苦労様」
首に巻いたタオルで汗をふきふきやってきたオギーに、部長が会釈をする。
「わざわざすみません、先生」
「いいよいいよ。君らだけに大変な仕事をお願いしているわけだし。すまんなあ。わしにできることならなんでも言ってくれ。あ、そうだ。あとで終わったら社会科準備室に来なさい。お茶くらい出すぞ」
「ありがとうございます」
マリリンも立ち上がって頭を下げる。
「茶菓子もあるからな」
「はい、先生! 今日のおやつは何ですか?」
僕は手を挙げてたずねた。もしかしたら未だかつてここまでやる気にあふれた挙手をしたことはないかもしれない。
「エンゼルパイだ。いつも同じようなものばかりですまんな」
「いえいえ、大好きっす! がんばります」
急にやる気になった僕を、部長とマリリンが半眼で見ているけど、気にしない。
「さ、これ以上暑くなる前にさっさと終わらせよう。先生もお願いします」
ジャッキー部長の言葉を合図に、僕たちはテントの組み立てに戻った。
まずは二人一組になってテントの片方の柱を立てる。ペアはジャッキー部長と僕、オギーとマリリンだ。柱は3本あるけれど、まずは端の2本だけを立てる。全員で声を掛け合って持ち上げれば、確かにそこまで重いものでもなかった。2本の柱が立ったところで、ジャッキー部長は僕に言う。
「ヤブ、残りの真ん中の柱を立ててくれ。手は挟まないように」
「はい」
僕は3本目の柱を伸ばして、地面に立てる。これでテントは片側だけを持ち上げた状態になる。
「先生、最近腰の調子はどうです?」
「よくはないなあ」
片手でテントの柱を持ったまま、オギーは空いた左手で腰をさすっている。
「じゃあ先生はそのままそこを持っていてもらって。ヤブ、俺と一緒に反対側を立てるぞ」
「はいはーい」
「ハイは一回」
子供みたいな注意を受ける僕を、オギーは微笑ましそうに見ている。なんかあれだ。縁側で小さな孫を見守るおじいちゃんみたいなまなざし。
部長と一緒に反対側に回ってそれぞれ端の柱を持った。
「こっちはさっきより重いから気を付けろ」
「はい」
「行くぞ。せーのっ」
肩にずしりとした重みを感じる。
「うお、重っ」
「ヤブくん、大丈夫?」
「だ、大丈夫!」
マリリンの声とおやつのエンゼルパイへの想いに励まされて、僕はなんとか柱を立てることに成功する。
ジャッキー部長は手早く真ん中の柱を立てると、みんなの方を見た。
「よし、もう離しても大丈夫だぞ。先生もありがとうございました」
「ああ、それじゃあ僕は社会科準備室にいるから、みんな終わったらおいで」
「はーい!」
誰よりも早く僕は返事をする。
手を振りながら戻っていくオギー先生を見送ったあと、振り向いた部長のメガネがきらりと光った。
「そういうわけで諸君、ここからが本番だ」
「え?」
なんとなく仕事を一つやり遂げた気分でいた僕は思わず耳を疑う。
「当たり前だろ。今日の予定は機材の準備とチェックだぞ。テント立てただけで終わるわけないだろうが」
「……ソーデスネ」
思わずずるずるとその場にしゃがみ込んだ。頭上からマリリンの優しい言葉が降ってくる。
「ほら、ヤブ君。終わったらきっと冷たい麦茶とエンゼルパイが待ってるよ?」
「……がんばる」
「おう、がんばれ。マリリンにあんまり重いもの持たせるわけにはいかないからな。重いのは俺とヤブで運ぶぞ」
こうなればヤケだ。やってやろうじゃないか!
僕は勢いよく立ち上がった。
「部長! 何から運べばいいですか」
「よし。まずは体育館の倉庫から机を運ぶぞ。何を運ぶかはその都度指示する。いくぞ!」
「はい!」
即席青春劇場を始めた僕たちを見て、マリリンが小さな声で笑った。
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