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11.あだ名
夏休み3日目。
朝の空気の中に僕とマリリンの声が響く。
『わいわいわっしょいわいうえを。うえきやいどがえお祭りだ』
ジャッキー部長は朝一から生徒会と打ち合わせがあるため、今日は僕とマリリンの二人で発声練習をしに来ていた。
最初はあんなに苦痛だった発声練習なのに、慣れとは恐ろしいもので、ここのところは一日一回発声練習をしないとなんだか調子が悪いと感じるほど僕らの生活になじんでいた。やっぱりやるとやらないとでは口の回り方がぜんぜん違う。もっとも、そこまでやっても僕の活舌が今一つであることに変わりはないんだけど。
「戻ろっか」
「うん」
マリリンの言葉にうなずいて、僕たちは校舎裏を後にする。
「あー、まゆゆん!」
校舎の入り口に差し掛かったところで、マリリンが二人の女子に声をかけられた。
「みわっち、ゆうゆう、おはよう」
口々に挨拶を交わす彼女たちは、どうやらマリリンの友達らしい。ジャージ姿で手にケースに入ったラケットらしきものを持っていることを考えるとテニス部か、バトミントン部か。
「まゆゆん、制服だけど今日は部活?」
「そう、多野高祭の準備」
「そうだ。まゆゆんは放送部の人だった」
「じゃあそっちの彼はもまゆゆんの彼氏じゃなくて放送部の人?」
みんなの視線が一気に僕に集まる。たとえ冗談だとしてもマリリンの彼氏だと言われるのは悪い気はしない。僕がなんて答えようかと悩んでるうちに、マリリンはすごくいい笑顔で言い切った。
「違うよ。そんなんじゃなくて、おんなじ放送部一年生の……」
「あー、わかった!」
みわっちと呼ばれた方の子が突然大声を出して僕を指さす。
「にゃ、なんでしょう?」
「カミカミだ!」
「かみかみ?」
僕が首をかしげていると、今度はゆうゆうがぽんと手を叩く。
「私もわかった。昼放送で、よくかみかみになってる人!」
ああ、なるほどそれでカミカミなのね。
「どうもカミカミ小藪です」
なんだかへんてこなリングネームみたいになってしまったけど、僕の一言にマリリンの友人たちは大うけだった。
「まゆゆん、今日は三年生の先輩は? 放送部って確か3人でしょう?」
「ああ、部長は朝から生徒会と話し合いがあるって別行動」
ゆうゆうの質問にマリリンが答える。
「あれ、放送部の部長ってどんな人だっけ。なんか絶対見たことある気がするんだけど」
朝礼の準備やなんかで走り回ることが多い僕らは、案外一般の生徒に認識されていたりする。
「私わかるよ。係長だよ」
みわっちがどや顔で言う。
「あー、係長! わかった。あの先生みたいな顔してるのに制服着てる人!」
ゆうゆうがきゃらきゃらと笑う。何気に失礼だなこの子たち。まあでも部長がおっさん顔なのは否定しないけど。
しかし僕がカミカミで部長が係長なら、マリリンはなんて呼ばれているんだろう?
僕が首をかしげていると、遠くでバドミントン部のユニフォームを来た先輩が集合と叫んだ。
「ゆうゆうヤバい!」
「じゃあね、まゆゆん!」
二人はマリリンに手を振ると、軽快に走り去っていった。なんか嵐みたいな子たちだったな。
「ごめんね。びっくりしたでしょ」
「いや」
マリリン。友達からはちゃんとまゆゆんって呼ばれてるんだな。
もしかしてほぼ毎日の発声練習で活舌を鍛えた今の僕なら、ちゃんと彼女のあだ名を呼んであげられるんじゃないだろうか。
「ねえ、」
「なに?」
改めて呼ぼうとするとちょっと緊張するな。僕は深呼吸を2回して口を開く。
「まゆうん」
やっぱり噛んだ。それも微妙に。
マリリンは僕の意図を察したらしく、ぷっと小さく噴き出した。
「無理しなくていいよ。ヤブ君にまゆゆんって呼ばれると逆に変な感じ」
「そうかな」
「うん。マリリンがいい」
「わかったよ。マリリン」
マリリンはふわりと笑った。花の咲いたようなその笑顔はとても素敵で、ずっと見ていたい気分になる。そのくせ彼女と目が合うとなんだか急に恥ずかしくなって、僕は無理やり目を反らした。
気分を変えるように口を開く。
「……行こうか。ジャッキー部長、そろそろ終わってんじゃないかな」
「そうだね」
僕は背中にマリリンの気配を感じながら歩き出した。いつもは全然気にならないのに、なぜだか今は二人並んで歩くのが無性に気恥ずかしかった。
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