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12.グランド練習
夏休みも中盤に差し掛かると、実際に音を出しての練習が始まる。前にも言ったけれど、多野高祭は文化祭と体育祭が合体しているため、音出しをしての練習やリハーサルをしなければいけない演目の数が異様に多かった。
文化祭では各クラスや自ら名乗りを上げた有志による舞台発表 (演劇とか、バンド演奏とか、ダンスとかそんな感じのやつ)が、そして体育祭にはクラス対抗パフォーマンスタイム(まあだいたいダンス)などというものがあった、僕たちはそのそれぞれの出演者が同じ回数だけ練習やリハーサルができるようにタイムスケジュールを組み、それが滞りなく進むように進行、オペレーションをするのだ。
本当はグランドと体育館を同時進行で進めたいところだけど、僕たちは3人 (オギーを合わせても4人)しかいないため午前中がグランド、午後が体育館という日程で業務をこなしていた。
「来やがりませんねえ……」
校庭のテントの下の長机に突っ伏したまま僕はつぶやく。
「ヤブ、口が悪いぞ」
そうやって僕に注意をするジャッキー部長もパイプ椅子の背もたれにだらんと体重を預けている。いつもシャキッとしている部長にしては珍しく、あまりやる気の感じられない姿だ。
「口が悪くもなりますよ。こっちは朝の8時に来て準備してんのに、ちゃんと時間通りに来たの一クラスだけですよ? あとの二組はどこ行っちゃったんすか? 夏のご旅行っすか?」
僕は無人のグランドをじと目でにらんだ。
「まあこの時期は演まだ目がちゃんと出来上がってないクラスも多いから。毎年こんなもんだって」
「それでも連絡くらいくれてもいいと思うんですけど」
机に頬杖をついてマリリンが言う。
「これでも、ちゃんとやるかやらないかは事前に希望調査してるんだぞ。だけど不思議なもので、だいたいみんな練習を希望するに〇を付けてくるんだ。……来ないけど」
来いよ! それか練習を希望しないにして僕らに夏休みをくれ。
「私、パフォーマンスは二年一組に投票します」
ぽつりとマリリンがつぶやく。
クラス対抗パフォーマンスの順位は一般生徒の投票で決まる。
たとえ今日練習をぶっちしたチームの発表がどんなに素晴らしくたって、ドタキャンするような連中には投票したくない。
「僕も!」
これ、放送部票とか作れないのかな。一般生徒1票に対して放送部として50票。練習にちゃんと出てきて放送部に優しくしてくれたチームに投票します。みたいな。
「まあなあ。気持ちはわかる」
あいかわらず背もたれに体重を預けた姿のまま、部長はふわあっと大きなあくびをした。
「寝不足ですか?」
心配そうにマリリンがたずねる。
「ちょっとな」
「受験勉強?」
僕が聞くと、部長は眠そうな顔のままうなずいた。
「きりのいいところまでやろうと思ったら思いのほか時間が経ってて」
マリリンはふうっとため息をつくと、椅子から立ち上がった。
「ジャッキー部長、ここは私とヤブくんがいれば大丈夫だから、部室で寝てきてください」
「マリリン。いや、大丈夫だから」
「大丈夫じゃないです。まだ今日は午後からも体育館の音出しがあるんですよ。部長が倒れたら私たちどうすればいいのかわかりません。ね、ヤブ君」
確かにただ言われた通り音をかければいいだけのパフォーマンスの練習より、照明やらマイクの本数、人の出はけまで考えなければいけない体育館の舞台発表の方が僕たち放送部の仕事は多い。
「そうそう。だいたいあと三クラスあるけど、誰も来ないかもしれないし。確かに僕ら、っていうか僕は頼りないかもしれないけど、マリリンと一緒なら大丈夫です」
「お前ら……」
ジャッキー部長は眠気のためか、感動のせいか手の甲でごしごしと目元を拭う。
「眠くなかったら勉強でもしててくださいよ。部室のヘッドフォン、リスニングに最適なんでしょ?」
まだ抵抗するようにこっちを見る部長にへたくそなウインクを飛ばしてみる。
部長は一瞬げっそりともぐったりともつかない顔をして、それから笑った。疲れた笑顔だった。
「……わかったよ。それじゃあ二人ともよろしく」
「「はい」」
僕とマリリンは声をそろえて返事をする。
「Thank you.」
去り際に部長が残していった言葉の発音は、完全に英語だった。英語嫌いの僕も、ついうっかりかっこいいとか思ってしまう。
「……さっすが英検1級を狙う男」
「部長、今、週5で英会話だって言ってたよ」
「マジで。すごっ」
僕だったらそんな拷問絶対にごめんだけど。
「……」
ジャッキー部長が去って行って、不意に沈黙が訪れる。そういえばマリリンと二人きりだ。そんな風に思った瞬間、変な緊張が体を走った。
さっきまで僕、部長、マリリンという順番で座っていたから、今僕とマリリンの間には部長が座っていた椅子がある。今なら僕がこっちの椅子に移ってマリリンの隣に座っても、不自然じゃないんじゃなかろうか。
ありがたいとに、部長が座っていた椅子の前にはCDデッキとミキサーがある。今の席のままじゃ操作しづらい。ほら、言い訳も完璧。
でも、もしそれでマリリンがちょっとでも嫌そうな顔をしたら? そう思ってしまうと怖くて、結局僕は元の椅子に座ったまま口を開く。
「来ないねえ」
「そうだね」
深く深呼吸をする。一回、二回。
よし、今度こそ。
勢いをつけて僕が椅子の座面に手をかけて立ち上がろうとした瞬間、テントの下に誰か走り込んで来た。
「すいません遅れました!」
このタイミングで来ちゃうのかよ!
すっかり勢いを失って、僕はへなへなと自分の椅子に座り込んだ。
各組30分の枠のうち、もう17分が経過している。一体どこのクラスだと顔を上げればなんてことない。目の前にいるのは同じクラスの齋藤さいとうだった。
「うちのクラスかい……」
「ああ、そっか小藪こやぶ放送部だっけ」
「確かに僕は放送部だけど、それ以前に一年二組の齋藤サン、大遅刻なんですけど!」
バレー部員の齋藤はクラス一大きな体を折り曲げるようにして頭をかく。
「わりい。みんな揃うのに時間がかかっちゃって」
「別にいいですけど。ただ後10分ちょっとしかないんで、ちゃっちゃとやってちゃっちゃと帰ってください」
「なんだよ感じわりぃなあ。もしかしてナンパの途中だった?」
齋藤はにやりと笑って、マリリンの方を見る。失礼なヤツだ。マリリンに変な誤解をされたらどうしてくれるんだ。
なんて、マリリンともう少しお近づきになりたいという自分のやましい気持ちにフタをして、すべてを斎藤のせいにする。
「違いますー。 そんで、どうするんだよI一年二組。曲かけるの? かけないの?」
「曲はいいや。隊形移動だけ確認させて」
「りょーかい。マイクは叩かないでね。ちゃんと音がでるのは確認済だから」
練習用のワイヤレスマイクを齋藤に手渡した。
『あー、あー、聞こえる? 聞こえる。OK』
グランドでは一年二組の練習が始まるが、今はそんなことを気にしている場合ではないのだ。
「ごめん。なんか齋藤が変なこと言って」
「え? ああ、うん。大丈夫」
そう言ってかすかに笑ったマリリンの横顔からは特に大きな感情の変化は感じられなくて、僕はそれを喜んだらいいのか悲しんだらいいのか。自分でもよくわからなくなる。
10分間きっちり練習をして、齋藤たち一年二組のパフォーマンスチームは今度は時間通りに帰って行った。
そして結局その後の二クラスは最後まで練習に現れなかった。
僕とマリリンは二人でぽつりぽつりと他愛のない話をして過ごした。
グランドの片隅でサッカー部がテントを立てる練習をしていたけど、テント一つ立てるのにその人数が20人以上いてなんだあれ? とか、生徒会が後夜祭でやるファイヤーダンスの練習をしていて、そういや僕も中学校の時にやったことあるんだよとかそんな毒にも薬にもならない話だ。
マリリンと二人きり、そんな想いが先行して僕の話はいつもより少し早口でテンション高め(当社比)だったから噛む回数も多めだったけど、マリリンは特に気にせず笑ってくれた。
僕はこの時マリリンに4つ年上のお姉さんがいることとか、中学時代は吹奏楽部にいてクラリネットをやっていたこととかを聞いた。
それは不意にやってきたご褒美みたいな、とても楽しい時間だった。
けれど、もちろんその間も僕とマリリンの間にはジャッキー部長が座っていた椅子一つ分、ぽかんとした距離が開いたままだった。
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