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15.マリリン
アカペラチームのマイクのセッティングが終わり、僕とマリリンは体育館放送室にいた。
部長はまだ舞台上でチームの人たちと何か話しているみたいで、今のところこちらに上がって来る様子はない。
隣でぼんやりと立ったまま舞台上を見下ろしているマリリンの横顔をそっと盗み見る。あんなことがあったばかりだから当たり前だけれど、その表情はいつもより硬い。
「椅子、座る?」
放送宅の前に三つ並んだパイプ椅子の一つをマリリンに勧めてみる。
「ありがとう。でも大丈夫。練習が始まったらまたすぐ下に行かなきゃいけないし」
気丈にもそう答えるマリリンに少しでも休んで欲しくて、僕は言葉を重ねる。
「マリリンさあ、今日一日中立ちっぱなしでしんどくない? ちなみに僕は同じく立ちっぱなしで足が棒なので座ろうと思うんだけど、この状況で女の子を立たせて自分だけ座るのはちょっと男としてってか、まず人としてどうかと思うので、僕と一緒に椅子に座ってくれませんか。……部長が来るまででいいからさ」
ちょっと早口になったけど、こんな長い台詞を不思議と噛まずに言えた。みなさん、これが夏休みも毎日発声練習を続けた成果です!
「ヤブくん……」
「ね、おにゃがい」
なんて、安心したとたんにすぐこれだ。
「うっ、お願い、です」
慌てて言い直した僕に、マリリンは少し表情を緩める。
「ありがとう」
そう言ってマリリンは、スカートの裾を押さえてそっと椅子に座った。
「うん……」
まっすぐに見つめられて、僕はついつい視線をさ迷わせる。
だって近くで見るとマリリンの黒目がちな瞳を際立たせる長いまつ毛や、小作りな鼻や桜色の唇が気になってしまい、目が泳いでしまうのだ。
マリリンは小さくうめいて、放送宅に突っ伏した。
「あー、ダメダメだなあ私」
「えっ、何が?」
「さっきのバンドの受付した時の話。私、何もできなかった」
「そんなことないよ」
マリリンは強面の彼らに囲まれても一生懸命説明しようとしていた。
何も出来なかった度合いで言えば、圧倒的に僕の方が上だ。
顔を上げたマリリンが首を振る。
「ううん。自分で対処しきれなかったら誰かに頼るってこと、ジャッキー部長に言われるまで思い付きもしなかったもん」
僕はすぐ隣にいるマリリンをまじまじと見返してしまった。てっきり僕は彼女が沈んでいるのは、バンドメンたちに取り囲まれて怖かったからだと思い込んでいた。けど違った。彼女はただのか弱いだけの女の子じゃなかった。彼女を慰めてあげようなんて思い上がっていた自分が恥ずかしい。
だから僕はそれを誤魔化すためにハイテンションでしゃべり続ける。
「いや、だってあんなでかくて怖そうな人たちに囲まれたら、びびっって何も出来なくて当たり前じゃん? けど、マリリンはちゃと説明してがんばってた。さすがマリリン。いよっ、放送部員の鏡! 普通はそんなことできないしさ、僕なら取り囲まれた時点で泣いちゃうかも」
「え、泣くの? ヤブくん」
「泣く泣く。大泣きだよ。うわーん怖いようって」
両手で目元を覆って大袈裟に泣きまねをして見せる。
マリリンはぱちぱちと瞬きをして、それから小さな声だけど、くすっと笑った。
「それはきっと相手も困惑するね。じゃあ、私はそうやってヤブくんが時間を稼いでる間に誰か呼んでくるよ」
「うん。そん時はジャッキー部長呼んできて」
僕が軽い調子でそう言うと、マリリンは何か考えるように口をつぐんだ。
「……マリリン?」
「でもさ、ジャッキー部長はあと半年もしないうちに卒業しちゃうんだよね。確か3月の頭が卒業式でしょ。それにたぶん多野高祭が終わったら部長、受験勉強で今までみたいに毎日は部活にも来なくなるよね。来年新入生が入るかどうかはわからないし、少なくとも4月までは私たち二人だけで放送部の仕事をなんとかしなきゃいけないんだよね。できるのかな。私たちだけで」
そんな事、考えたこともなかった。
「……そう、だね」
朝礼とか昼放送とかくらいなら二人でなんとかなるだろうか。それもトラブルがないのが前提で、もし何かあったらと思うとやっぱり不安しかない。まして多野高祭とかの大きなイベントとなると、まだわからないことがわからない状態だ。
「でもやらなきゃいけないんだよね。だって部長だって、前の三年生が卒業してからは部長とオギーの二人だけでやってたんだから」
マリリンは不安そうに放送宅に視線を落とした。
不安は確かにある。だけど。
「……大丈夫じゃないかな」
「え?」
ここから先、どうなるかは全然わからない。けれどなんとなく、大丈夫なような気がした。ほんとに何の根拠もない、ただの予感というか、希望的観測みたいなやつだけど。
「だって、ジャッキー部長は一人だったけど、僕らは二人いる。機材のこととかはオギーに聞けばいいし、今日みたいに困ったことがあったら誰か先生を呼べばいい」
「……うん」
「まあ確かに、僕はカミカミ小藪だし? ジャッキー部長と比べたらぜんっぜん頼りないけど、それでもきっとなんとかなるよ。だってしっかりもののマリリンと一緒だし」
「そう、かな?」
「そうだよ。だって僕はマリリンに言われるまで部長がいなくなるなんてこと、考えもしなかった。その時点でマリリンは僕よりしっかりものです」
マリリンは少し首をかしげる。
「まあ、そりゃヤブくんよりは」
僕の精神に50のダメージ!
でもいいんだ、マリリンの言葉に切れ味が戻ってきたことは喜ぶべきことだし、僕がしっかりしていないのもまた事実だ。
「だから、大丈夫じゃないかな。もしマリリンがまた柄の悪い人に囲まれて困ってたら、僕がすぐに先生を呼んでくるから!」
ああ、我ながらなんて情けない決め台詞だろう。
それでもマリリンが笑ってくれるなら、僕はそれで構わない。
「その時はよろしく」
「うん。こちらこそよろしくヨロシクオネガイシマス」
勢いよく椅子から立ち上がって、僕は深々とお辞儀。ついでに悪ノリして手を差し出してみる。絶対にスルーされると思ったのに、なんということだろう。マリリンの華奢な手が、ほんの一瞬だけ僕の手を握り返した。かすかな温もりが触れて、すぐに離れる。
僕は手を差し出した体勢のまま顔だけ上げて、そのまま固まってしまった。
マリリンは、悪戯が成功した子供みたいな魅力的な顔で笑う。
「悪い遅くなった! って、またこれどういう状況?」
軽く息を弾ませながら階段を駆け上がってきた部長が放送室の入り口で僕らを見て立ちつくす。
椅子に座ったマリリンと、その横で頭をさげて手を差し出したなんとも間抜けな状態でフリーズしてる僕。
なんかこれ、すごくデジャブだ。前にもこんなことがあったような?
マリリンと手を繋ぐ、もとい握手をしてしまった衝撃から抜け出せない僕は、すぐに部長の疑惑を解消すべく説明できるほど、まだ頭がまわっていなかった。
「あ、大丈夫です部長。今日のは私が落ち込んでたところを、ヤブくんが慰めてくれてただけです」
ナイスなフォローをありがとうマリリン!
「どうやって慰めたらそういう体勢になるのかよくわかんないけど、とりあえずマリリンが迷惑じゃなければ、まあ、いいのか?」
ジャッキー部長は微妙に腑に落ちない顔でつぶやく、
「部長、お話終わりました?」
「ああ、照明のプランがちょっと変わったから、それは今からヤブに説明するわ」
「お願いします!」
僕はなんとか衝撃から立ち上がって体を起こした。ぼーっとしている場合じゃない。これから僕はジャッキー部長から色々なことを教わって、少しはマリリンに頼りにしてもらえる男にならなければいけない。
勢いよくにじり寄る僕に、ジャッキー部長は思わずといった感じで後ずさる。
「なんだよ。近いな」
「僕ビッグな男になります。とりあえず部長が安心して後を任せられるくらいに!」
「……おう。まあがんばれ」
訳が分からないという顔でメガネを直す部長と僕を横目にマリリンはスカートをひるがえしながら放送室を出ていく。
「それじゃあ、私は下に行きますね」
「いってらっしゃーい!」
ぶんぶん手を振る僕に微笑みだけを残して、マリリンは階段を下りて行った。
彼女が放送部の『女王様』というあだ名で呼ばれるようになるのはもう少し先の話だ。
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