1.ジャッキー部長

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1.ジャッキー部長

 僕はこれからジャッキー部長の話をしようと思う。ジャッキー部長こと岡崎(おかざき) 一朗(いちろう)先輩は、高校時代に僕のいた放送部の部長だった人だ。  うちの部には入部して最初の日、自己紹介の時に自分の呼んでほしいあだ名を自己申告するという謎の習慣がある。当時ぴちぴちの一年生だった部長は岡崎だからザッキーでいいやと安直に考えて、みんなの前で発表する所になって華麗に噛んだ。 「僕は岡崎なので、ジャ、いやザッキーで……」  たったそれだけのことで、彼は以降ずっとジャッキーと呼ばれることになった。  断っておくが、ジャッキー部長は黒髪黒目のごく一般的な日本人である。ハーフっぽくもなければ取り立ててイケメンでもない。特徴はメガネと、しいて言えばちょっとだけおっさん顔……いや、大人びた顔をしており、スーツを着て満員電車に乗れば即座にお疲れのサラリーマンの中に溶け込める年齢不詳フェイスの持ち主だ。  趣味は飛行機。乗るのも写真を撮るのも好きで、見ているだけで幸せなんだとか。だから将来の夢は航空関係という筋金入りだ。  当時放送部には部員が3人しかいなかった。  三年生のジャッキー部長。二年生は0。一年生は僕、ヤブこと小藪(こやぶ) 孝也(たかや)(小藪だからヤブというあだ名はザッキーと変わらないセンスだが、ゴロがよく呼びやすいためあっさりと定着した)。 それから紅一点のマリリンこと大野(おおの) 麻由里(まゆり)。  見た目は小柄で可愛らしい女子だが、なかなかどうして僕なんかよりよっぽどしっかり者。  彼女は当初まゆゆんと呼ばれることを希望したが、致命的に活舌の悪い僕がなかなかちゃんと呼べず、結果的に彼女のあだ名はまゆゆん→まゆりん→マリリンと超進化を遂げた。僕的には少し申し訳ないが、案外彼女はこのあだ名を気に入っていたようだ。  我らが多野(たの)高校の規約では、部活動と認められるには最低5人以上の部員が必要だ。不足すれば即同好会に格下げになる。にもかかわらず放送部が部としての存続を認められていたのは、我々には重大な任務があったからである。  と、大層なそれっぽい事を言ってはみたが、大したことではない。我らが放送部はうちの高校のありとあらゆる行事の放送業務を担当していたのだ。  普通そういうは先生とか生徒でも放送委員会とかがやるんじゃないかと思うけれど、なぜか母校には放送委員会はなかった。作ればいいのにと思うけれど、僕が卒業するまでなかったし、もしかしたら今でもないかもしれない。  校内の放送業務は多岐に渡る。昼食時間に流れる毎日の昼放送。毎週月曜日に行われる朝礼の準備とオペレーション。球技大会やら学園祭なんて大きな行事があればその準備、リハーサルの立ち合い、当日の放送、そして後片付けまで。それを当時僕たちはたった3人の部員と、定年間近のおじいちゃん顧問のオギー先生の4人でこなしてきた。  たった4人で、そうは言っても入部したての春頃は僕とマリリンはまったくの戦力外で、実際のところ動いていたのはジャッキー部長と、オギーの二人だったのだけれど。  これはジャッキー部長と、僕らが過ごしただいたい一年間くらいの話だ。
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