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2.発声練習
5月の始め、入部したての僕たちはまだ放送部のなんたるかも知らず、ただ言われるがままにジャッキー部長の後ろをついて回るひよこのヒナみたいな状態だった。
毎日部活動の時間になると校舎裏に連れていかれ、発声練習をする。あーとか、おーとか大声を出した後は、時々テレビのバラエティ番組なんかでアナウンサーが唱えているあめんぼ赤いなあいうえおとかいう例のあれをやったり、あいうえおいうえおあうえおあいーなんて呪文を唱えたりする。
校舎裏と言うと告白の定番スポットというか、いかにもひっそりしていそうなイメージだが、残念ながらわが校ではそうでもなかった。
すぐ隣は体育館と弓道場でそこらじゅうにジャージ姿の生徒たちがうろうろしている。そもそも高校自体が住宅地のすぐそばにあるので、校舎裏は人通り多い道路と面しており、5メートル先ではご近所のおばあちゃんが犬の散歩中だったり、近所の小学生たちが遊んでいたりする。そんな場所で力の限り叫べば、否応なく注目の的だ。
思わず躊躇する僕たちの横で、ジャッキー部長はいつもそれは見事なお手本を見せてくれた。
普段の部長はさほど大きな声で話すタイプではない。そんな彼が腹の底から出した声は、まるでトランペットの音のように空気を切り裂いて校舎裏によく響いた。
「すごい!」
マリリンが手を叩く。彼女はもともと朗読がやりたくて入部した強者だから、部長の雄姿に余計に感動するのだろう。一方の僕は、なんか昼放送とかすんのラジオDJっぽくてかっこよくね? みたいノリで入ってしまったので、この頃はやたらと後悔ばかりしていた。
「というわけでまずはしっかり声を出すこと。そのあとはちゃんと口を開けて話す練習かな。特にヤブは活舌が悪いからしっかり練習するように」
「返す言葉もごじゃいません」
ふざけた僕の腹に、ジャッキー部長はごつんと拳をぶつける。
「いてっ! ジャッキー部長ひどい」
「違う。このまま声出せ。あーでもうーでもおーでもいいぞ」
仕方なく言われた通りにしてみる。ジャッキー部長の拳がめり込んで本当に痛い。
「この手を押し返して」
「部長、手っていうかそれ拳骨」
「うるさい。まじめにやれ」
ジャッキー部長は拳で腹筋のあたりをぐりぐりする。地味に痛い。やけくそ気味に部長の拳のあたりに力を入れてみると、確かに最初よりもはりのある声になった気がする。
「まだまだだけど、だいたいそんな感じ。次マリリン。おなか触っても平気?」
「あ、はい大丈夫です」
「じゃあちょっと失礼して。はいどうぞ」
ジャッキー部長はそっとマリリンのおなかに手を置いた。
マリリンは柔らかくて、かわいらしい声をしている。
「もうちょっと低く出してみて、あそうそう。たぶんそっちの方が喉にいい。もうちょっと腹筋に力をいれて。うん。いいね」
確かに今の発声練習だけを見ても僕とマリリンでは雲泥の差だ。自分でもそう思うけど、それでも言わずにはいられなかった。
「ぶちょー、なんか僕とマリリンの扱いがあまりにも違いません?」
ジャッキー部長は腰に手をあてて、当たり前のように言った。
「そりゃ女子には優しくするに決まってるだろう」
ジャッキー部長は案外紳士だ。
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