5.昼放送

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5.昼放送

「じゃあ息を吸って吐いて。大きな深呼吸をニ回する。一回、ニ回。行けるか?」 「……はい」  マリリンの声は緊張で微かに震えている。 「マリリンなら大丈夫。失敗したって、せいぜいクラスでその時だけちょっとひそひそされて終わりだ。みんなすぐに忘れる。別に世界が終わるわけでもないし、明日の朝起きたらヤブみたいにものすごく滑舌が悪くなるわけでもない」 「ジャッキー部長、それどういう意味ですか? 僕の滑舌の悪さは世界の破滅と同レベルっすか?」  僕のまっとうな疑問に、部長はほんの少し唇を持ち上げるだけで答える。  くすくすとマリリンが笑った。はた目にもさっきまでの緊張が少し解れたのがわかった。 「よし行けるな。じゃあ時間ぴったり。スタート」  ジャッキー部長はCDデッキのスタートボタンを押す。  スピーカーから流れ始めた軽やかな感じの音楽は、僕らの高校の昼放送のテーマ曲だ。この音が今学校中のスピーカーから流れている。  マリリンがマイクと自分の口の間にゲンコツ二つ並べてベストな距離を測る。  15秒で部長がCDのボリュームを下げるのと同時に、マリリンが放送宅のマイクのスイッチを上げる。  ああ、なんだか横で見ているだけの僕まで緊張してきた。  すうっと息を吸って、マリリンの桜色の唇が動く。 「……みなさんこんにちは。5月13日月曜日。多野高(たのこう)レボリューションの時間です」  一息にそこまで言って、マリリンはマイクのボリュームを下げる。  いつものマリリンと比べると声は少し硬かったけれど、大成功だ。  僕はもう一度マイクのランプが消えているのを確認してから大きく手を叩いた。  ジャッキー部長はもう一台のCDデッキのスタートボタンを押すと、にやりと笑って親指を立てた。 「ばっちり」 「すっごい緊張した……」  放送宅の前から立ち上がったマリリンは、反対側にある机までふらふらと歩いて、その場に座り込んだ。パイプ椅子にぐったりともたれかかる。 「お疲れ様マリリン。さすがすぎて言葉も出ないワ!」  テンションが上がりすぎてなんだかオネエみたいな口調になってしまったが仕方ない。なんてったって今日は僕とマリリンの昼放送デビューの日だ。 「まあ、あとは慣れだな。それから多少失敗しても気にしないこと」  今まで昼放送はジャッキー部長の独壇場だったのだが、ついに僕らにも出番が回ってきた。部長は僕らに別にやりたくなければそれでもいいと言ってくれたけれど、元々朗読志望のマリリンはマイクと緊張感になれるため、僕はやっぱりDJっぽくてかっこいいからという、我ながら多少馬鹿っぽい理由で、二人まとめて本日の昼放送デビューとなった。 「なんかほんとに一言しゃべっただけなのにめっちゃ疲れました。部長みたいに今日の一言なんて絶対無理」  いつものジャッキー部長の昼放送には、タイトルコールの後に今日の一言コーナーがある。急にあったかくなってきたから体に気を付けようとか、もうすぐテスト週間ですねとか、そんな感じのやつ。 「まああれは別に必須じゃないから。俺も何にも思いつかない時はやらないし。まあ最初は原稿作ってそれを読んでもいいし、お前たちの好きにしろ。それより、あんまりのんびりしてると時間切れになるぞ。早く昼飯食わないと」  今流れているCDは昼放送用に編集したもので、だいたい20分ある。それが終わったらエンディング。僕の出番だ。 「あー、緊張したらなんかおなかすいちゃった。いっただきまーす」  マリリンは手を合わせて水色の弁当箱を広げ始めた。マリリンのお弁当は小さい。なんか女子って感じだ。こんな量で足りるのかと余計な心配をしてしまう。 「ヤブ、飯は?」 「え、ああ。ここに来る前に教室で大急ぎで食ってきました。緊張して喉も通らなかったらどうしようかと思って」 「え、ヤブくんも緊張とかするの?」  箸を持ったままマリリンが大層失礼なことを言う。 「しますよ。しますとも。今だって口から心臓が飛び出そうなんだけど」  両手で口を押えて見せるけれど、マリリンもジャッキー部長もなんとも言えない顔で僕を見ただけだった。 「こういうこと言うから、なあ」 「ねえ」 「ちょっと! 二人の中の僕のイメージどうなってんですか」  部長はわざとらしい仕草で肩をすくめる。なんだそれ、外国人か。  僕はすがるようにマリリンを見つめる。 「……とりあえず、緊張とかはしなさそうな、バカ、っぽい感じ」  マリリンそこで区切るのやめて。  本日昼放送に出番なしで僕らの引率のみのジャッキー部長は優雅なもので、割り箸片手にカップ麺のフタを開けてカレーのにおいを堪能している。  この人のカップ麺の好みは極端で、お湯を入れて10分置いたやつが食べ頃だという。伸びた麺は絶対に認めたくない派の僕からすると、信じられない悪食である。 「ねえジャッキー部長、私ずっと気になってたんですけど、なんで多野高レボリューションなんですか? 昼放送のタイトル」 「あ、それ僕も聞きたい」  多野高、は多野高校の省略だからいいとして、一体何が革命を起こしちゃったんだ。  一年生二人に見つめられて、ジャッキー部長は眼鏡の奥の目を細めて言い切った。 「わからん」 「えー、なんっすかそれ」 「ずっと前から受け継がれてきたタイトルなんだ。オギー曰くここ10年くらいは変わってないらしい」 「へー、歴史あるタイトルなんですね」  ものは言いようだねマリリン。 「別に変えてもいいぞ」 「え、いいの?」 「まあこんな5月に変えるのも変だから、来年からは好きにしろ。ただし、全校生徒及び先生たちに聞かれて恥ずかしくない素晴らしい名前が思いついたら、な」  なんか急にハードルが上がったぞ。 「そう言われると、困りますね」 「だろう? この話、俺が一年生の時から定期的に出てくるけど、結局未だに変わってない。ぜひお前たちの代でみんなが納得する感動的なタイトルを考えてくれ」  湯気でうっすらと曇った眼鏡をハンカチで拭って、ジャッキー部長は伸びたカップ麺ををすすり始めた。 「マリリンなんかある?」 「思いつかない。ヤブ君は?」 「……考えとく」  なんかこれ、僕たちの代でもこのままの気がしてきたぞ。  ジャッキー部長とマリリンが昼食に集中してしまったので、放送室に響くのは二人のたてるかすかな咀嚼音とスピーカーから流れる音楽だけ。  落ち着かないまま僕は制服のポケットからスマホを取り出して、ゲームを始める。しかしまったく集中できそうにない。とりあえず手を動かして何度かプレイしてみてもスコアは散々だ。  気づけばCDデッキのディスプレイは残り3分ちょっとを示している。  ああ、なんか嫌だなこの時間。やっぱり先に食べるんじゃなくて、ここで部長たちと一緒に弁当を食べればよかった。  スマホを眺めたまま唸っている僕を、ジャッキー部長が人の悪い顔で見つめている。 「もうちょっとだな」 「ヤなこと言わないでくださいよ!」  僕は思い切り顔をしかめた。 「大丈夫だよヤブくん。エンディングは一言だけだから」  確かに日付と曜日を言わなければいけないオープニングとは違って、エンディングは『これで多野高レボリューションを終わります』たったこれだけ。文字にしたらわずか20文字。 「その一言が緊張するんだよう」 「何言ってんだヤブ。お前はDJになりたくて放送部に入った男だろ?」 「別に本気でDJになりたいわけじゃなくて、ちょっとかっこいいかなって思っただけ……」  僕の今更感満載の泣き言は華麗に無視された。  カップ麺の汁を飲み干して、ジャッキー部長は颯爽と立ち上がった。 「よし。だったらかっこよく決めてみろ」  残り時間は30秒を切っている。僕はドナドナされる子羊の気分で放送宅の前に座った。  助けを求めるようにマリリンを見たけれど、口ぱくでがんばれと応援されてしまった。嗚呼。  ゆっくりとカウントダウンが終わり、曲がオープニングと同じ多野高レボリューションのテーマに変わる。音量が少しずつ小さくなって、部長が僕に合図した。  マイクのスイッチを上げる。そういえば拳2個分測るの忘れたけど、まあいいか。これでこれから僕の声が全校に届くのだ 「これっ、これでたゃの高レボリューションを、おわります……」  噛んだ。それも完璧に。  失意と絶望に飲み込まれながら僕はマイクのボリュームを落とす。 「まあ、あれだ」  テーマ曲の音量を戻しながらジャッキー部長が言う。 「昼放送で多少噛んだって世界が終わるわけじゃないし、ヤブの滑舌はもうこれ以上悪くならない。だから大丈夫だ。よかったなヤブ」  ちっとも良くないと思うのは僕の気のせいだろうか。
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