6. テスト週間

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6. テスト週間

 僕らの学校ではテスト一週間前から始まるテスト週間と、その後3日間は部活動が一切禁止になる。テストが終わった日から解禁にならないのは、昔徹夜でテスト勉強をして、そのまま久しぶりの部活で張り切りすぎた先輩がばたばたと倒れる事件があったからだそうだ。  この3日間の間にテストがどんどん帰ってきて、全体の順位が出る。テストに魅力を感じるタイプではない僕にとって、憂鬱極まりない季節だ。  だからテスト一週間前のその日、僕が部室に足を向けたのは持って帰るのがめんどくさくて部室に置きっぱなしになっていた日本史の図説を取りに行くためであって、決して部室でこっそり映画のDVDを見てまったりしようと思ったわけではない。 「しっつれいしまーす」  返事はないとわかっていても、ついいつも調子でドアを開ける。 「誰だ……って、なんだヤブか」  部室には先客がいた。 「なんだって、なんですか部長」  ジャッキー部長は音声編集用のいかついヘッドフォンを外して立ち上がった。 「今日からテスト週間だぞ」 「知ってますよ。忘れ物を取りに来たんです。部長こそどうしたんですか? まさかさぼり?」 「ヤブじゃあるまいし。そんなことするわけないだろ」 「し、しっちゅれいな!」  噛んだの半分、図星なの半分でどうにも変な感じになってしまった。ジャッキー部長は目を細めて意地悪く笑う。 「お前わかりやすいやつだな」  こういう時は話をそらすにかぎる。 「それで? ジャッキー部長こそさぼりじゃないなら何してるんですか?」 「俺はこれを取りに来た。俺の部屋CDプレイヤーがないから、これがないと試験対策のCDが聞けないんだよ」  部長はヘッドフォンのケーブルの先に繋がったパソコンを指差す。 「なるほど。でもなぜ今ヘッドフォンをする必要が?」  自分のことはは完全に棚に上げて、もしかして一人でこっそりDVDでも見てサボってたんじゃないですか? くらいの気持ちで聞いてみたのだが、部長の返事はとてもまっとうだった。 「どうせ誰も来ないならここで少し勉強していこうかと。なんか落ち着くんだよな、ここ。あとこのヘッドフォンも外の音を遮断してくれてリスニングに最適」  確かに耳をすっぽり覆う形の部室のヘッドフォンの遮音性はなかなかだ。だけど問題はそこじゃない。 「リスニングって、もしかして英語の?」 「ああ」  僕は思いっきり顔をしかめた。  どうして僕たちは日本に住んでいるのに、英語なんかを勉強しないといけないんだろうか。恐らく僕は生涯この国から出ることはないし、外国人と円滑なコミュニケーションをとる予定もない。つまり僕の人生に英語は必要ない。 「なんだヤブ。お前英語苦手なの?」 「苦手とか得意とかいう問題じゃなくて、単純に嫌いなんです」  きっぱりと断言する。  部長はやれやれという顔でパソコンを手に立ち上がった。 「まあいいけど、赤点だけはとるなよ。赤点とったら補習に合格するまで部活禁止だからな」 「えっ、なんですかそれ」  そんな話は初耳だ。 「知らなかったのか? 残念ながらわが校の校則で決まっているんだ。もしお前が今度のテストで一教科でも赤点取ったら、補習が終わるまで朝礼も昼放送も夕方の部活も全部禁止だ。朝礼はクラスのみんなと一緒に並んで聞けるぞ。よかったな」 「よくないっすよ。なんですかそれ。めっちゃめんどくさいじゃないっすか」  自慢じゃないが、僕は放送部に入ってから朝礼で一度もクラスの列に並んだことがない。あんな退屈極まりない連絡事項とか、校長のくそ長い話を固い床に体育座りで聞かされるのはごめんだ。 「いいじゃないか。集合時間も気にしなくていいぞ。準備は俺とマリリンでやっておくから」 「嫌ですよ。仲間外れ反対」  思わず僕はジャッキー部長に詰め寄った。 「じゃあがんばって赤点は回避しないとな」  さらりといい笑顔で返されて、一瞬言葉につまる。 「……ソーデスネ」  まったくジャッキー部長の言葉の正しさと言ったら。  ため息をつきながら僕はもそもそと日本史の図説を鞄に押し込んだ。英語は確か最終日だったはずだ。文法とはお友達になれそうにないけれど、今から単語だけ覚えたらなんとか赤点は回避できないだろうか。 「お、めずらしい!」  パソコンを鞄にしまい終えた部長が窓の外を見ながら言った。 「何がです?」 「青いカンザス行き」 「え?」  聞きなれない単語に首をかしげながら、僕は部長の横に並んで窓の外を見上げた。 「飛行機だよ。めずらしいな。この時間にこんな航路を飛んでるなんて」  窓枠から身を乗り出して目を輝かせるジャッキー部長の視線の先には、確かに青い飛行機が飛んでいた。  ジャッキー部長は大の飛行機好きだ。飛行機が好きすぎておこづかいのほとんどが航空機関連のアイテムと、最寄りの空港への電車代に消えるそうだ。しかも飛行機の近くで働くために、大学卒業後は航空会社への就職を希望中だって言うんだから徹底してる。 「航路って、覚えるもんですか」 「そりゃ覚えるでしょう。電車マニアが時刻表を覚えるように、航空機マニアは航路を覚えるんだよ。まあ人にもよるだろうけど。ちなみに俺は覚える派」  世の中にはいろんなジャンルのいろんな派閥があるんだな。 「そういえば、ジャッキー部長……部長はいつから大学決めてました?」  ふと頭をよぎったのは昨日手渡された進路希望調査の紙のことだ。うちの高校は一年生から文系と理系が分かれて、三年生でさらに国公立コースと私立コースが分かれる。  今回はその文系理系のどちらに進むかを問う調査で、めんどくさいことに現時点での志望校を問う欄まであった。  提出期限は二週間ちょっと後。恐らくテストが全て返ってきてから改めて進路について考えて出してねという親切なんだか嫌がらせなんだかよくわからない微妙な期日設定だった。 「ああ、進路調査来た?」 「はい」  さすが部長だ。唐突すぎる話題チェンジでもちゃんと僕の状況を理解してくれる。 「ちゃんと決めたのは二年生の春くらいかな。とりあえず英語系、くらいなら一年生の冬頃には」  さすが何事にもぬかりのない男は違う。 「文系か理系かは決めたのか?」 「まだです」  ふうっと部長は半眼でため息をつく。 「英語が苦手、じゃなくて嫌いなのはさっき聞いたけど、得意科目は?」 「歴史とか生物とか暗記系の科目でヤマが当たればそれなりに」  僕はテストニ週間前から勉強を始めて、三日くらい真面目に勉強するけど途中で完全にだれて、直前に焦りだして結局テスト範囲が全部終わらないタイプだ。 「ヤマが当たらないと?」 「死にます」 「生きろ」  端的すぎる部長の返しが面白くて僕は思わずぶはっと噴き出した。 「笑ってる場合か。だいたい定期テストでヤマなんか張るなよ。そんな大した分量でもないだろ? そんなんで実力テストとか、もっと言うと入試とかどうするんだよ」  ジャッキー部長の言葉が耳に痛い。 「うう、がんばります?」 「なんで疑問形なんだ。まあがんばれ。俺個人的がんばれって言葉はあんまり好きじゃないけど、ヤブはがんばれ」 「なんで僕だけそんな特別枠なんです?」  腕を組んで部長は答える。 「実力から考えるとまだぜんぜんがんばってなさそうだから」  それはジャッキー部長が僕の秘められた実力を評価してくれているということだろうか。 「えっと、ありがとうございます?」 「別に褒めてないから。……なあヤブ、お前は将来なんになりたい?」 「えーっと……」   ついこの間まではとりあえず家から最も近いこの高校に入ることを目指して頑張ってきたけれど、ほっとする暇もなくもう次の選択を求められる。就職はまだ考えられらないから、とりあえず大学に進学して、それから? そこから先は真っ白な霧の向こうのように曖昧で、正直よくわからない。 「とりあえず、あれです。ビッグになりたいっすね」 「ビッグに、か」  予想外の言葉だったのか、部長は一瞬ぽかんとした顔をする。  自分で言うのもなんだけれどアホな答えだと思う。堅実なジャッキー部長にはしかられるか馬鹿にされるかのどっちかだと思ったけれど、部長の反応はそのどっちでもなかった。 「いいな」 「え?」 「なれよ。ビッグ。何になるかは知らないけど、ヤブがビッグになったら俺自慢するわ。アイツ俺の後輩なんですって」  そんなことを言われたら、お調子者の僕はつい調子に乗ってしまう。 「じゃあそん時はいつでも言ってください。ジャッキー部長のお願いならいつでもサイン書きます。一枚でも二枚でも!」 「おう、じゃあその時は三枚くらいもらおうか。飾る用と保管用と配布用で。でも、そうだな。ビッグになる男が高校時代に赤点はよろしくないよなあ?」  ジャッキー部長の手が気合を入れるように僕の背中をばしっと叩く。 「いてっ」  衝撃で思わず背筋が伸びた。 「さ、帰って勉強するぞ一年坊主。俺も帰るからお前も帰ってちゃんと勉強しろ。ビッグになるのはそれからだ」 「……はーい」  部長に促されるようにして僕は部室を後にした。
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