生きたまま夫に焼き殺されそうな妻ですけど元が悪役令嬢だからって酷いと思いません?

1/1
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
 女房と畳は新しい方が良いと言うが、畳はともかく女房の年齢に不満を感じたことはない。私が嫌なのは妻が持参金を持たずに嫁いできたことだ。正直に言うと、殺してやりたいくらい腹が立っている。だが、殺すと妻の実家が私に報復するだろう。本当に苛立たしい。前世は良かった。妻の持参金が少ないことを理由に、何人も何人も妻を殺した。今の世界に転移する前の私は、妻を焼き殺す名人と世間から称賛されたものだった。生焼けの遺体を上手に焼き直し骨も残らぬ真っ白な灰まで完全燃焼させると! それなのに、現世は悲惨なものだ。女房一人焼き殺すこともできないなんて、こんな世の中にポイズン! それはさておき、私が現在いるこの異世界は女房を焼き殺すと夫が処罰されてしまう。これは如何(いかん)ともし(がた)い事実として受け入れるほかないだろう。もっとも『女房を焼き殺した夫を無罪にする党』を結党して選挙に出たら供託金が返ってくる程度の得票率は稼げるのかもしれない。ただし、妻の実家が私に不信感を抱くのは必至だ。私が手広くやっている事業は、義理の両親の名前を事あるごとに出さなければ破綻する。認めたくないが、彼らの支援無くして、今の生活は維持できないのだ。あいつらさえいなければ、妻を焼き放題焼けるのになあ。でも妻を焼いたら私も焼かれかねないし……と煩悶の日々だ。異世界の日本を裏で支配する宗教団体の顔役が義父母というのも善かれ悪しかれだと思わざるを得ない。しかし、そんな現実は何とか飲み込めるとしても、だ。女房に関して受け入れ難いことがある。妻は奴隷商人から買い漁った臨月の妊婦の腹を裂いて取り出した胎盤で新鮮な自家製プラセンタ美容液を作るのが朝の日課だ。早朝から妊婦や胎児の血の匂いを嗅がされる、こちらに身にもなってほしい。毎朝毎朝、悲鳴と悪臭で目覚めさせられるのだ! 睡眠不足や心のストレスは美容の大敵だ。そのおかげで目の下に赤い染みが出来てしまった。赤い涙が流れているように見え気色悪くて鏡を見るのが辛い。悩ましい問題が他にもある。私の稼ぎで無駄遣いするのは、絶対に止めてほしい。極貧層が全人口の約八割を占める異世界の日本では人身売買の相場が他国より安いとはいえ、超円安のため外国人旅行者が土産代わりに日本人奴隷を爆買いするから値段が上昇中だ。私は雑貨輸入業なのでインバウンド消費での潤いから遠い場所にいる。このままでは「妻の美容代のせいで破産する」なんて笑い話が現実のものとなりかねない。妻のせいで私の人生から笑顔が消えつつある、と言っていいだろう。だから、妻を殺したい。いいや、ただ殺すだけでは飽き足りない。生きたまま焼き殺すのだ! ああ、女房を一刻も早く焼き殺したい。  苛立った神経を癒すため執務室のソファーに寝転び大好物の焼肉を一人からでも楽しめる店をスマホで検索していたら突然ドアが開いた。ドアを開けたのが誰か、見なくても分かる。我が家の使用人は皆、絶対に扉をノックする。作法というものを知らぬ野性人は、この家に一人だけだ。 § § § § § § § § § § § § § § § § § § § § § § §  どうして異世界転移男子は誰も彼も無能なのか? レベル99だとかチートクラスだとか元英雄とか元魔王とか最強ステータスがどーしたこーしたと、能書きは立派だが実際の中身は成年後見制度の利用者かと疑うレベルだ。現実世界で通用せずファンタジーに逃避してきた人生の落伍者なのだから過度の期待は禁物とは思えど、酷すぎる。脳味噌の皴に妖精さんが巣くって神経を寝床にしていないかどうか頭をカチ割って調べたい衝動に駆られるから困ってしまう。異世界からの転移者である我が夫も例外ではなく、眺めていると腹が立って殺人衝動に突き動かされるから厄介だ。この世界と私にとって夫が転移してきたことは癌の転移と同じくらいの不幸なのは間違いない。そしてソファーに横たわる夫の姿を見ているだけで、この世界に転生してしまった我が不運を嘆かずにいられない。同じ生まれ変わるのなら夫がいない世界が良かった。見た目がキモい奴と同居なんて耐えられない。夫自身は自分をルックスが良いと思い込んでいるところも悲惨だ。見ているだけ心が痛くなって、こっちの方が辛くなる。辛すぎて泣けるくらいに。  そんな私に夫が「どうしたの?」と具合を聞いてきた。  涙ぐむ私を気遣うほどのデリカシーを夫は全く持ち合わせていないので、これは演技だ。私のご機嫌を取ることが、夫の仕事のすべてと言っていい。私の両親からの経済援助が無ければ、彼の事業は終わるのだ。私が離婚を言い出したなら、この邸宅からも出なければならない。この屋敷は持参金の代わりに私の両親が建ててくれたのだ。経営者としての地位も自宅も他の財産も全部が、私あっての物。それを理解するだけの知能はある、と少しでも前向きに考えないと気が滅入ってしまう。 「僕にできること、何かないかな? 君の力になりたいんだ」  ソファーから体を起こしたキモ夫がキモい作り笑顔で私を見つめるものだから、背筋がゾワッゾワした。口を利くのも嫌だが用を伝えないといけない。それでも、不用意に近づいてはダメ。夫の側に寄るときは十分に呼吸を整えないと過換気発作を起こしそうになるからだ。  ストレスでこっちの精神が参ってしまいそうなのに、夫は自分に原因があると気付いていない。ソファーから立ち上がり、ドアを開けたまま動けずにいる私に近付いてきた。来るなボケ、ぶん殴るぞ! と叫びたいけど、キモいオタクのファンを相手にしたアイドルみたいに爽やかな営業スマイルを必死に作って執務室に入る。悪趣味な調度品が並ぶ夫の仕事部屋は異様な芳香剤の悪臭と男の体臭で臭かった。吐き気がして朝食に食べた新鮮な胎児の生肉が胃の中から食道へ込み上げてくる。そんな私に夫が顔を寄せ「本当に大丈夫なの?」と訊いてきたものだから、口臭がきつすぎてマジ勘弁。そのまま嘔吐物(ゲロ)を顔射するところだったけれど、鍛えた腹筋と横隔膜で抑え込む。頑張れ私、早く終わらせるんだ! トラブルなく思いを伝えるため、笑いを作れ! おっと、ほうれい線の出現を予防するための笑顔を忘れるなよ! それから口を開けても戻すなよ! と自分に言い聞かせて話を始める。 「大丈夫よ、ちょっとお話があるのだけど、よろしいかしら?」 § § § § § § § § § § § § § § § § § § § § § § §  妻は朝食前後に運動(エクササイズ)を欠かさない。敷地の一角にある陸上のトラックを走り、ジムで強度高めのウェイトマシントレーニングをやってから、紫外線カットガラスのサンルーム付き50メートルプールを十何往復もして、最後にヨガで締めるまでが一セット。これを五セットやって朝食そして食後の腹ごなしとして同じルーチンを二セットやる。午後は日本軍の暗殺者養成学校や米軍特殊部隊群の格闘技教官とのスパーリングだ。そして週末の夜は都内某所の地下コロシアムで開催されるルールなし殺人ありの天下一武道会に出場し、腕自慢の男たち相手に殺し合いをやって、毎回優勝している。殺した男の首をねじ切り赤い髪をなびかせながら高く掲げる姿を配信動画で見るたびに、私の女房は化け物かよ、と怯え震え上がっている。そんなわけで、鍛え上げられた肉体は頑健そのもの、怪我や病気とは縁のない妻だが、それでも体調不良の日はあるようで、今朝は具合が悪そうに見えた。気分を尋ねると大丈夫と答えたものの、やはり調子が悪いようで、額に脂汗が浮かんでいる。  変な感染症じゃないだろうな……と警戒していたら、妻が言った。 「大丈夫よ、ちょっとお話があるのだけど、よろしいかしら?」  私が返事をする前に、妻は嘔吐した。物凄い勢いで、物凄い量の嘔吐物が妻の口や鼻の穴から噴出する。放出された嘔吐物は、もしもの事態を想定し妻と距離を置いていた私の頭上を超え、天井にぶち当たって散乱した。天井から降ってきた大量の嘔吐物が私の全身に降り注ぐ。お気に入りだったスーツが、これで台無しだ。妻が着ている紺色の上下セパレートのフィットネスウェアも汚れたが、私と被害額が同じとは到底、思えない。  血圧が急上昇し目の血管か何かが切れたようで血の涙を流しながら妻は言った。 「汚れたからシャワーをお借りしますわ」  自分の部屋あるいはトレーニングジムのシャワー室ではなく、私の執務室にあるバスルームのシャワーを、妻の嘔吐の被害者である私より先に使おうというのだ。さすがに文句を言いたくなったが、妻の口から半分くらい消化された人間の胎児の顔が出ているのを見て気持ち悪くなり貰いゲロをしそうになったので、頷くだけにした。  妻は、いつも右手に嵌めている黄色い手袋を外し、それをソファーの背もたれの上に置いてシャワー室へ向かった。女房がバスルームの中へ消えると、私は卓上に置かれた電話の受話器を取り上げた。直ちに部屋の掃除をするよう使用人に命じるためだ。受話器を取り上げれば、すぐに執事の部屋につながる。 「どうなさいました?」 「いや、間違えた」  そして私は受話器を電話機に戻した。執事に清掃を命じるつもりが、別のことを言ってしまったのは、なぜか? 受話器を持つときには考えもしなかったことが思い浮かんだためだ。今すぐ殺そう! という思いが、夏真っ盛りの空に湧く黒い雲のように心の中に広がった。木製タイルの床一面に散らばる妻の嘔吐物を見ているうちに、人の皮をかぶった、あの畜生への殺意を抑えられなくなったのだ。妻の胃から出てきた嘔吐物には、胎児の肉片が大量に混じっている。加熱すると栄養分が失われるとかで生のまま丸呑みするため、最初のうちはまだ生きて動いている胎児もいたが、そのうち全員が動きを止めた。それを見ていると、怒りが湧いてくる。こんなことのために、この世に生を受けたわけではあるまいに。  私は妻が残していった黄色い手袋を自分の手に嵌めようとした。頑張ってみたが、きつくて入らない。とても残念だ。この黄色い手袋には尋常ならざる魔力がある、と私は睨んでいる。妻は昨年のゴールデンウィーク中に北海道へ渡り大雪山系で単独の高地トレーニングをしたのだが、そのときヒグマのオス四頭を素手ゴロで屠った。どれだけ体を鍛えても、人を食べることのある羆を倒すのは人間の技では無理というものだ。そうなると、何か秘密があるはず。そこで私は妻が常に身に着けている黄色い手袋に秘密があると考えたのだが……実をいうと何の証拠もない。あの黄色い手袋で妻は妊婦の腹を切り裂き胎盤と胎児を取り出すので、指先にメスのような鋭い刃が仕込まれているのかもしれないが、それでヒグマを殺せるのか? 分からない、何も分からない!  それでも私は妻が黄色い手袋を外して入浴中の、この好機を逃す気はなかった。私の決断が遅ければ遅いほど、世界は悪くなるのだ。魔女は焼き殺すべし。  世界的な食糧危機と飢餓の常態化は人々の意識を大きく変えた。辛い現世ではなく来世に望みを託そうという思考が一般的になったのだ。それを促したのが、私のような異世界からの転移者あるいは妻のような異世界からの転生者の存在である。この現実世界から離れ、ファンタジー小説みたいな異世界へ旅立とうとするバックパッカー型自殺者の急増を、賢い人たちは見逃さない。その屍肉を食べ弱った日本を応援しよう! というプロジェクトが大手広告代理店から打ち出された。具体的には自殺しやすい低所得者層に向けた輪廻転生思想の普及から始まった。良い身分に生まれ変わりたいのなら、下層民は自分や自分の子供の肉を上流階級に差し出しなさいと学校や職場そして地域で啓蒙する運動は頭の弱い一般大衆に広く受け入れられた。上級国民には特に何もせずとも受容された。彼らは元々、貧乏人の肉を食っているようなものだからだろう。国内の上下ともに高い意識でまとまったので、国会も裁判所も高級官僚も反対することなく憲法が改正され、日本は人肉常食を認めた世界最初の近代国家となったのである。しかし内心では反対する者はいた。異を唱える者はサタンとして処刑されるので沈黙を守っているが……例えば私がそうだ。異世界からの転移者として言わせてもらおう。上流階級に食べられたら来世では上流国民になれるだって? そんなわけがないだろう! ファンタジーの世界を馬鹿にするな、と言いたい。本当の異世界は、そんなに甘くないのだ。妻の胃袋から吐き出された胎児だって、そんなに甘くて美味しいものではない。食用に適さないものを無理して食べるから吐いてしまうのだ。  何より、子供たちには大切な未来がある。  私は日本の将来を担う子供たちに言いたい。  男の子なら、大きくなって結婚して、妻を焼き殺しなさい。  女の子なら結婚後、夫に焼き殺されるのです。  そんな素敵やんな未来、人類にとって、とても大事な将来があるのに、どうしてここで妻に食べられなければならないのか? 納得できない。酷すぎる。  子供たちのために、妻を焼き殺さねばならない。  こういうことがあろうかと、妻が使っているバスルームには細工を施してある。こちらの操作で換気扇が逆転し浴室内に無味無臭の可燃性ガスが充満され、そこにシャワーノズルから火炎が放射されるのだ。  シャワーが火炎放射器になるだけで十分じゃねえのか? と思った、おい、そこのお前。お前は考えが甘い、甘すぎる。私の妻の反射神経は獣以上だ。シャワーの炎から瞬間的に飛び退く。しかし、浴室内に充満した可燃性ガスの業火から逃れることはできない。炎が妻の体を包むのだ。  勿論そんなことをして、ただで済むはずがない。私は女房殺しの罪に問われるだろう。だが、もう、それで構わない。妻や、妻の実家の顔色を窺って生きるのは、もうたくさんだ。死刑になりたい。どうか早く死刑にしてほしい。そして新たなる異世界へ転移する。そこは妻を焼き殺しても罪に問われない世界だ。元いた世界に戻るのも悪くない。やり直す。人生を、やり直す。やり直すのだ。生焼けの人生を焼き直してやる。 § § § § § § § § § § § § § § § § § § § § § § §  吐いたら気分は落ち着いた。熱いシャワーを浴びて火照った私の体から汗が水滴となって滑り落ちる。溜息も零れ落ちていく。年齢の割に皮膚の張りはあるのだが、それでも衰えを感じない日はない。どれだけ転生を繰り返したら、永遠の美と若さを保てるようになれるのか? 曇ったガラスを手で拭く。見た目は若い。まるで少女のようだ。私は濡れた赤い髪を指で梳いた。滑りが悪い。駄目だ……と肩を落とす。キューティクルの一つ一つが老いている。どれほど美容に気を遣っても、エクササイズを頑張っても、加齢を食い止めることはできない。  気にしすぎだとか、そんな風に考え込むから老化してしまうのだ、なんて説教は聴きたくない。私は異世界からの転生者だ。その辺の一般人と一緒にするな。私の人生は特別なのだ。考えてから物を言えバカ。  そう、この世界での私の人生は特別なものだと思う。日本を影から支配する巨大宗教組織の顔役が両親だなんて、今までの転生生活と比べても恵まれている方だ。美容と健康のための人肉食も元悪役令嬢の私にあっている。それでも今の美と若さを保てなくなりつつある。ここが限界なのだ。後は衰える一方だろう。つまり、今の世界は最早(もはや)、私の期待に添うことができないということ。自殺して新しい異世界へ向かう時が来たのだ。  先程、私は夫に別れを告げようとした。大嫌いな人間だが、それでも夫であり、何も言わないのは良くないと思ったのだ。夫の事業への援助は続けるよう、両親への遺書には書いておいた。一人ぼっちが寂しそうなら、良い相手を見つけてあげてほしい、とも綴った。その人が私より彼を愛してくれる人ならいいな、と願わずにいられない。その人と一緒に結婚生活をやり直して欲しい、とも。  ふと、思った――あれほど嫌いな人間の幸せを祈るなんて、おかしい、と。  それはきっと、私が希望の未来へ向けて踏み出そうとしているからだ。私が幸せになるのだから、夫にも幸せになってもらいたい。  二人が初めて肌を合わせた夜を思い出した。肌寒さを感じた私は、優しい温もりを求めてシャワーのコックをひねる。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!