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樹貴さんと知り合ったのは二か月ぐらい前。そのきっかけになったのも、映画だった。その日は午後の講義が休講になり、バイトまでの空いた時間に思い立ってミニシアターへ行くことにした。木之下がしつこく勧めてきた映画が上映されていることは知っていたし、映画館のある繁華街からバイト先のお弁当屋さんまでは自転車で十分も走れば着く。木之下からは「一緒に観に行ける機会があったら声かけてくれよ」と言われていたけど、あいつは休講じゃなかったし、だいいち観終わった後に「どうだった? おれはさあ……」と始まったらいったい何時間付き合わされるのか。木之下と出会っていなければ、時間ができたらミニシアターへ行くなんて発想にはならなかった。けれど、たまに映画を観に行くようになって実感したのは、映画はひとりで観たいなということ。
木之下に勧められていたのは、美術の教科書にも載っていた画家、エゴン・シーレの二十八年の短く濃密な人生を描いた映画。まあ面白くないわけじゃなかった。彼の筆致はとても特徴的で、ひと目でシーレの絵だとわかる。とはい、え彼の代表作は? と聞かれて明確に答えられるほどの知見は持ち合わせていない。それに、彼の死が約百年前に世界中を襲ったパンデミックによるものだということもこれまで知らなかった。
そんなことよりも。シーレを演じていた俳優の黒みの強い瞳と、美貌という言葉がぴったりの顔立ち。一見無造作なようで、触れたら指に柔らかく絡みそうな黒髪に約二時間僕の目と意識は完全に持っていかれた。
シーレの絵のモデルになった女性たちや実の妹、その他にも彼の周りには常に幾人もの女性がいた。
男と女。感情の糸は複雑に絡まり合ってほどけないし、肉体は飽くことなくもつれ合う。
ミニシアターを出て信号待ちをしながら、観終わったばかりの映画のあるシーンを思い出していた。そのとき、僕の前にいた女の人が、隣に立つ男の腕に自分の腕を絡ませ笑いかけた。周りを見ると、ふたり連れでいるのはたいてい男と女。男と女が腕を組むのも、並んで歩くのも、ひとつのベッドで眠るのも、なんでもないこと。
じゃあさ、たとえば僕の隣に、僕よりちょっと大人の男性がいて──身長差も、目の前にいるふたりと同じぐらいの頭ひとつ分ほどの身長差で──僕がその男性に腕を絡ませ、甘えるような仕草で微笑みかけ、信号待ちをしていたら? きっと周りの視線が痛くて痛くて仕方がないんだろうな。そんなものを気にしないでいられるほどタフなメンタルは持ち合わせていない。
信号が青に変わって歩き出したとき、近くにいた同世代っぽい男の声が耳に入った。最近リリースされた新しいSNSのことを数人で話していて、その中のひとりの「アカウント名? テキトーテキトー。だからいいんじゃん、なんか秘密基地みたいで」という声にハジかれたように僕はスマホを取り出しそのSNSを特定した。ふだん物事を決めたり行動したりするときってわりと慎重になるタイプで(僕の場合、それはときに臆病であることととても距離が近い)、脊髄反射みたいなことには縁遠い人間だと思っていたから、自分でも意外だった。
映画のストーリーにうんざりしているのか、この世に男と女の感情のもつれが存在することにイラついているのか、それらがうまく咀嚼できなくてただモヤモヤしているだけなのか。自分でもよくわからないまま、画面の指示に従い性別や生年月日を打ち込んだ。宮澤雅彦。苗字も名前もイニシャルはM。だからこのSNSの世界にいるときの僕の名前はエム。プロフィールには「料理が趣味の男子大学生」とだけ書き、「今日『エゴン・シーレ』を観に行った」と、殴り書きのような投稿をしてアプリを閉じた。
数時間後、そのたった一行にリアクションをくれたのが、樹貴さんだった。
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