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今の時刻は夕方の4時を回ったところで、涼の店に行くまで一時間近くあった。
店に行ったのはシェアハウスに戻りたいと、話しに行った一回だけで、あの時のドキドキとはまた全然違うドキドキで、匠は心ここに在らずになる。
恋に落ちている自分を認める匠。
相手はそう、涼に。
涼の休みの日は全部把握して急いで帰る。休みが重なった日は極力リビングに居て、涼と顔を合わせる機会を増やしたり、髪を切るのは床屋ではなく美容院へ変えたり、行動も変わった匠。
こんな気持ちは生まれて初めてで、涼の言動ひとつひとつに一喜一憂する自分に戸惑う。
本屋に寄り、何か教材でも探そうかと思い棚の前に立つが、集中できない。それでも一冊の本に目が奪われる。
『戦国武将の男色』
え?そんな事… 腐る程歴史を勉強して研究してきた筈なのに、今になって知る自分の勉強不足に落ち込む匠。手に取り、購入するか迷う。えいっ!と本を持ってレジに向かうが、これから涼の店に行く事を思い出し、何の本か訊かれたら大変だ、そう思って棚にそっと戻した。
今度買いに来よう。
そうして本屋を後にした時には、もうすぐ店の開店時間で、ドキドキしてワクワクしてキュンキュンしている、激しい騒つきに匠は胸を押さえる。
カランコロン。
ベルの音をさせて扉を開けると、入り口に目を寄越した涼といきなり目が合ってドックン!と胸が揺れた。
「「「いらっしゃいませ」」」
開店一番乗りだった匠は、店のスタッフ全員に声を掛けられ少し及び腰になる。
仕事の時の涼は、普段とはまた違う格好良さが凄過ぎて目のやり場に困る。関係ない所に視線を流しながら、涼の近くでも遠くでもないカウンター席に座った。
「いらっしゃい、ご注文は?」
涼からおしぼりを差し出され、何を注文しようかと目が泳いだ。涼に作って貰ったカクテルしか分からない匠、もっと勉強しておけば良かったと後悔する。
「任せる?」
「はいっ!」
助かった!大きな声で食いつくように答えてしまい、恥ずかしさで顔が紅潮した。涼にも恥をかかせてしまう、変な汗が脇の下を流れる。
ふっと涼が笑ってくれたので、匠はすこぶる安心して、はにかんで俯いた。
「カルーア・リッキー、コーヒーリキュールにソーダとライム」
そう言って、ミックスナッツと一緒に匠の前に置いた。
「コーヒー?」
お酒に詳しくない匠は、コーヒーのお酒がある事を知らず、目を見開いて、目の前の綺麗なグラスに見入った。
一口飲んで「美味しい!」と思ったが、家の様には声を出せず、目を真ん丸にして涼を見て満面の笑みを浮かべる。
目元をクシャッとした笑顔を見せた涼に、またまたドキッとなりニヤけた顔がおさまらない。
暫くすると何組かの客が来店して、以前とは違う人だが涼目当ての客が、二つ開けて匠の左側のカウンター席に座った。
「いらっしゃい」
見た事もないような優しい笑顔を女性客に送り、激しい嫉妬を感じた匠。全神経が身体の左側に移動して様子を伺う。お客さんには、いつもあんな笑顔をしているのだろうかと、不満に思う。「あはは、うふふ」と笑い声まで聞こえて不愉快極まりない。店に来たのが間違いだったかと、悄気かけた時にマスターの声がした。
「いらっしゃいませ、涼の、お知り合いさんですよね?」
笑顔で訊かれて、覚えていてくれた嬉しさで少し気持ちが回復した匠。
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