★、ボーナストラック「ハッピーエンド」

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3、 「なんだよ、コレ……」  銀色のリーチインストッカーにぎっしり詰めこまれた薄手の箱。  あきれている瞬に、伸幸が次々とそれらの箱を取りだして見せる。 「せっかく瞬が来てくれるんだから、初日くらいは瞬の手をわずらわせないで、おいしいものをと思って。でも俺、自分じゃなにもできないから」  伸幸が手にしているのは、冷凍のミールキット。ひと昔前の言葉でいえば、いわゆる「TVディナー」というやつだ。  互いの不在を必死で取りもどそうとするような数時間を過ごし、外がとっぷり暮れたあと、ふたりは手を取りあってクリームと金のバスルームへ向かった。  瞬の狭いアパートはあんなに暑かったのに、今は秋だ。温かなシャワーと極上の泡。瞬は「高級ホテルのようだ」と思った。高級ホテルを体験したことはないが、きっとこんな感じなんだろう。  バスルームを出て、寝室の床に落ちたバスローブを取りにいこうとした瞬を、伸幸は呼びとめた。部屋着がひとそろい、瞬のサイズで用意されていた。 「安物だけど」と申し訳なさそうに伸幸は頭をかいた。  これを安物というなら、瞬の普段着ていたものはいったい何か。  瞬は伸幸の用意したゆったりしたパンツを身につけ、柔らかな生地のシャツをはおった。シャツの中に着たカットソーは緑がかった明るい黄色で、自分はこうした明るい色が似合うと、瞬はうっすら知っていた。  最後の寿司屋に勤めた頃から、無意識に選ばなくなった明るい色。 「なになに? ……『タラのムニエル ヌイユ添え』? 『シーフードコロッケとニンジンラペ』? 『ラザニア』、『欧風カレー』……へえ、こんなのもあるんだ」  瞬は伸幸が取りだす箱をひとつひとつ見ていった。 「ウチの商品だよ。業務用だからパッケージは地味だけど。商売モノで悪いな」 「へえ……」  伸幸は瞬にどれが食べたいかを訊いた。 「あ、これすごいじゃん。『ローストビーフ ヨークシャープディング添え』。 本格的だね」 「OK、じゃこれ行こう」  ゴツい銀色のレンジに、伸幸は同じ種類の箱を二つ突っこんだ。 「いただきまーす!」  ダイニングテーブルを挟んで、ワインのグラスを軽く合わせると、チンと澄んだ音がした。 「あー、結構、うまいんじゃない?」 「瞬にそう言ってもらえて安心した。食品メーカーとしては自信作だけど、瞬の口に合うかドキドキしたよ」 「へえ。あんたんとこで開発したんだ」 「まあウチんとこの、子会社のひとつだけどな」  伸幸はサラダボウルを瞬の方へ押しつけた。 「『あんたんとこ』って。これからは瞬のとこでもあるんだぞ」  瞬は緑の葉っぱを箸で取れるだけ取って、大口を開けた。 「エラそうに言ってんな。さんざっぱら俺を放っておいたくせに。俺、もう」  鼻の奥がつんとした。あわてて瞬は箸を置いた。 「……あんたにはもう会えないと」  瞬は横を向いてグラスをあおった。  うるんだ瞳を見られまいとして。 「待たせてごめん。瞬を呼ぶ部署を作るのに、思ったより時間かかった」  伸幸は軽く腕を伸ばし、瞬のグラスに赤ワインを注いだ。 「銀行へ出す書類に手間どって。あいつら細かいところウルセえんだよ」  瞬は新しく注がれたワインをひと口なめて、言った。 「わざわざ新しい部署を作ったの? ……俺を雇いいれるために?」 「ああ」  瞬はカシャリとグラスを置いた。 「あんた、ばかじゃないのか? 俺がどんだけ働けるか確認もしないで。期待外れだったらどうすんだ。俺、責任取れないぞ」 「いいんだよ、瞬はそんなこと心配しなくて。……大体分かるよ。俺だって、社長になる前はそれなりのとこで経験積んできたんだから」  伸幸はテーブルに肘をついて、嬉しそうに笑っている。 「瞬はシャイだし、ぶっきらぼうなとこあるけど。真面目で真っ直ぐで、仕事にはいいかげんに手を抜かない。それに」 「見てきたようなこと言うな。ってか、何プレイ? これ」 「……器用で手早いし、段取りいいし。立ってる姿がスラッとしてカッコいい」 「もう止めてって」 「いつもわざとムスッとしてるのに、ときどき恥ずかしそうに笑うのがホントもう、カワイくてカワイくて……むぐ」  伸幸が付けあわせにと温めたブロッコリー。瞬はそれをフォークに刺して腕を伸ばし、伸幸の口へ押しこんだ。伸幸はむりやり黙らされて、もぐもぐとブロッコリーを咀嚼するしかない。 「……最後の方、もう仕事カンケーねえじゃんか」  瞬はテーブルに深くうつむいた。そうして顔は隠せても、耳が赤いのは隠せない。  伸幸がワインをひと口コクと飲み、ゆっくりグラスを置いた。  瞬の頭をぽふとなでて、伸幸は「そうでもないさ」と言った。 「瞬には俺を助けて欲しいからな。俺のモチベーションを維持するのも瞬の仕事ってことで」  伸幸のしっかりした指を感じる。胸の奥が、身体の芯が、そわそわと弾みだす。  瞬は上目づかいにテーブルの向こうに座る伸幸の顔を見た。 「あんたのモチベーションって、どうやるんだ」 「そうだな。とりあえず」  伸幸は視線を楽しそうに宙に向けた。 「明日は昼に瞬の荷物が届くんだろ?」 「ああ、午前中だ」 「じゃあ、それを軽く片づけて、必要なものを街に買いに行こう。食材もストックしてるけど、足りないものを買ってこよう」 「仕事は」 「来週からってことになってただろ。だからそれまでは俺とゆっくり過ごして」 「伸幸さん……」 「瞬の作るご飯、食べたい。一緒に」  瞬は赤い顔のまま、「分かった」と答えた。  明日のご飯も、あさってのご飯も。  ずっと一緒に。  一緒に食べよう。 (そのあと俺は、伸幸さんにとんでもなくこき使われることになるんだが) 「くそーっ! こんな山の中、来るんじゃなかったぜ」  瞬は調理道具を投げだして、両手を挙げて叫ぶ。 「ふっふっふ。ホイホイやって来ちまった瞬の負け」  伸幸はスーツの腕を組んでニヤニヤと笑う。 「さ、文句言ってないで、働け働け」 「ムキ――――ッ」 (それはまた、別のお話)  特定の誰かと一緒に食べる夕食。特定の誰かのために作る食事。  あのひとと向かう食卓。  瞬はそれを、手に入れた。  優しくてガッシリして、甘え上手な瞬の熊さん。スパダリで、社長で、この上なく紳士なのに、どんなことがあるとあんな熊に戻るのか、瞬はまだ知らない。  いつか知る日が来るのだろうか――。  こうして瞬と伸幸の暮らしは始まった。  <完>
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