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4、ふたたび、ゼリーの日々
伸幸がいなくなって五日経った。
ゴミの日、瞬は冷蔵庫に残っていたカニの破片と豚バラ薄切り、モロヘイヤを捨てた。
こんなちぐはぐな食材、きっともう二度と処理しなくていい。
午前の盛りつけシフトが終わって帰るとき、配達の車から残った弁当が降りてきた。
何となく、瞬はひとつ買って帰った。
四時間ずっと目の前を流れつづけていた絵面に、箸を入れてみる。
米飯と、メインのハンバーグにつけ合わせのナポリタン、野菜のおかずはきんぴらごぼうとコールスロー。
少しずつ口へ運んでみる。
味はしないが、塩気は弁当らしく少し強め。かんだ感じは悪くない。
弁当屋のワンコイン弁当にしては、きっと上出来の部類だろう。だから都内あちこちから注文が入る。
どんな味がするのだろう。
多分、ビジュアルと塩気とかみごたえから、瞬が想像しているとおりの味だ。だてに長いこと食品とつき合ってない。
だが。
あのひとならどう評価するのか。
そう考えている自分がいた。
(あのひとなら)
おかしな組み合わせの食材を、いつも抱えてやってくる、伸幸。
どこでどのように手に入れているか、説明はなかったし、瞬も訊こうとしなかった。
そして、瞬が手際よくそれらを調理していくのを、楽しげに眺めていた伸幸。
できあがった料理を、美味しそうにモリモリ食べて。
食欲などここ数週間、いや数年満足に感じたことのない瞬が、つられて少し食べられた。弱いながら、空腹に似た感覚を感じられる日もあった。
誰かにうまいと言ってもらう料理。ふたりで囲む食卓。
(きっと、俺が欲しかったのって、そういうのなんだろうな……)
胃の辺りがきゅっとした。
瞬は箸を置いた。
伸幸の置いていった茶を淹れて、ふーふーと吹きながら少しずつ飲んだ。
元の食品の分かる固形物を食べて、自分のために淹れた茶を飲んで。
そんな、ちゃんとした生活を、してみようか。
誰のためでもなく。
自分ひとりで生きていくために。
これからの長い年月を。
手に入らないものばかりが欲しくなる。
そんな、空っぽの人生を。
瞬は米飯と、食べきれなかった残りのおかずを、ゴミ箱に捨てた。
でも、少なくとも、「恋愛」はしなくてすんだ。
もう誰も好きにならない。誰とも深い仲になったりしない。
瞬はそう決心して、この街へ引っ越してきたのだった。
突然その生活に伸幸が現れ、ほんの少し情のようなものが移りはじめたが。
現れたときと同じように、また唐突に彼はいなくなった。
危ないところだったけど、もう大丈夫。
目の前にいなければ、気持ちが育ったりすることもない。
瞬はうっかり、あの日、フライパンでパエリアを作った夜を思いだしてしまった。
魚介の煮える匂い。米の炊けるニオイ。
フライパンを揺すって水分を飛ばしていると、背中に感じた優しい温もり。
「無理じいしない」と少しずつ、瞬の意志を確認しながら触れてくれた唇。
ずいぶん久しぶりなので、ガマンできなくてつい許してしまった。
一度きりなら、ただの事故だ。
瞬だって、しばらくぶりに男の身体に触れて楽しかった。
それでいい。
瞬はまた、弁当屋のバイト帰りに、ゼリー飲料を買ってくる。
ストック用に。
大量に。
「瞬ちゃーん」
「何すか?」
「また逃げられたの?」
「は?」
盛りつけバイトの二周目を終え、休憩時間にそう訊かれた。何のことか分からない。
別のパートさんが、さらなるツッコみを兼ねて解説した。
「ほらあ、バイト終わりに、迎えに来てた彼氏さん。あれ以来すっかり見かけないからさあ」
「そうそう瞬ちゃん、なんかこの頃暗いし」
どう答えたものか。
「別に『彼氏』じゃなかったんで。みなさん俺の話なんて聞かなかったから、よく伝わってなかったでしょうけど」
暗い声にならないよう気をつけながら、瞬は続けた。
「大体『また逃げられた』って何すか。ひとぎきの悪い」
「あら、瞬ちゃん、ここにバイトに来るまえ、別のひととつき合ってたんでしょ? 失恋きっかけでここに引っ越してきたんじゃないかって、みんな言ってたわよ。違うの?」
おばちゃんたちの観察眼恐るべし。どうして毎回毎回、ピッタリ当ててくるんだろうか。
そんなに分かりやすい人間なのか、俺は。
(くやしー!)
口をへの字に曲げて悔しがる瞬を囲み、おばちゃんたちはしばらく笑っていた。
「元気出しなさいよ、まだ若いんだから」
「そうそうそ。またいいひと、見つかるって」
「瞬ちゃん、見た目いいんだから、ステキなひとがいそうなとこに行かないと」
「じゃないと、出会えるものも、出会えないもんねー」
なぐさめてくれてる。
瞬にはおばちゃんたちが励ましてくれてるのが分かる。
(でも……)
自分はもう出会いなんて求めてないんだ。
ひとりだけの静かな暮らしをしていたいんだ。
そんな自分の気持ちを、説明することはできなかった。
帰り際、チーフの長谷川が瞬に来月のシフトを手渡しにきた。
「はい、来月もよろしくお願いしますね」
軽く頭を下げて受けとった瞬に、声を低めて長谷川は言った。
「瞬ちゃん、休憩時間にみんなが言ってたことだけど」
「はあ……」
「またどっか、行っちゃわないでね」
「は?」
「瞬ちゃん、ホント優秀なんだからさ。仕事覚えもよかったし、手早いし確実だし。ずっといてくれとは言わないけど……アンタにも将来があるんだから、でも」
長谷川はそこで言葉を切った。
パートさんたちがすぐわきを通っていった。
「お先でーす」
「はいよ、お疲れ」
彼女たちを見送ってから、長谷川は再び口を開いた。
「もう少しさ……元気が出てからにしなよ。新しいことを始めるのはさ」
「決断」ってのは、体調のいいときにするもんだよ。
長谷川はそう言って気づかわしげに瞬を見上げた。
何と答えてよいか、分からない。
ずっと黙っていたら不審に思われてしまう。
瞬は唇を開きかけた。
そのとき。
「瞬ちゃん!」
表の出入り口から顔を出して、さっき出ていったパートさんが大きな身ぶりで瞬を呼んだ。
「彼氏! あんたの彼氏、来てる。あんたのこと待ってるよ! 早く行ってやんな」
(え)
心臓が一拍飛んだ。
視界がにじむ。
「ほら、早くお行きよ」
長谷川が瞬の背中をバシンと勢いよく叩いた。
「モタモタしてたら幸せが逃げちゃうよ」
長谷川に叩かれて、よろよろと瞬は歩きだした。
夢中で弁当屋の建物を回る。
表通りに、ナップザックをしょって大きな包みをさげて。
伸幸が立っていた。
「瞬」
名を呼ばれても止まれなかった。
瞬の身体はぶつかるように伸幸の胸に当たった。
空いた手で、伸幸は瞬の背中を撫でた。
「心配……させたか?」
瞬はプルプルと首を振った。
「そんなの、するわけ」
瞬はそこで言葉を切った。
瞬ののどはうなり声を上げそうになり、慌てて瞬は拳をかんでそれを止めた。
伸幸は瞬の背中から手を離し、そっと瞬の肩を押した。
「……行こう」
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