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5、セカンド・バージン
一ヶ月ぶりに戻ってきた伸幸が手にしていたのは、ぶ厚いシイタケと大量のチンゲンサイ、アスパラガスが緑・白・紫、そして。
「また、あいかわらず何だよ、このバラバラな取りあわせ……そしてこれ、まさか」
絶句する瞬の手許をのぞいて、伸幸がにこりと笑った。
「ああ、フカヒレだね。もう解けてきてるから、今日すぐ料理しないと」
伸幸はまた瞬の調理を楽しみに、ワクワクしている。
瞬は流しのへりを握りしめて肩をプルプルふるわせた。
「何が『今日すぐ料理しないと』だよ」
「瞬?」
「あんたなあ!」
瞬は勢いよく後ろを振りかえった。
「俺を便利な持ちこみ料理屋かなんかと思ってないか。ばかにするなよ。どこへ行ってるのか、別にここに来なくたって、行くあてくらいあるんだろ。もう二度と」
瞬をのぞきこんだ伸幸の顔がぼやけた。鼻の奥がつんとした。瞬は下を向いて唇をかんだ。
「二度とここへ来るんじゃねえよ」
伸幸はうつむく瞬に腕を回した。
「離せ」
瞬は肩をゆすり振りほどこうとした。
「瞬」
「懐柔なんてされてやらねえ」
「瞬」
伸幸の声は低くて、耳許でささやかれてるとヘンな気分になる。
「瞬、俺を待っててくれたのか」
「うるせ」
「かわいいな」
「んなわけあるかよ。いいから離せって」
「いやだ」
「は?」
振りほどこうと瞬がもがくのを止めたとき。
伸幸は瞬の顔をのぞきこんだ。瞬の表情を楽しむように笑って、そして言った。
「瞬」
「あ?」
「キスしていいか」
「ダメに決まってんだろ」
「うん」
伸幸は瞬の背に回した腕に力を入れ、引き寄せた瞬にキスをした。
唇が触れあっていると朦朧としてくる。何も考えられなくなる。
「ん……んん」
瞬ののどから切ない声がもれる。
この間、初めて伸幸に触れた日を思いだす。パエリアを炊いたあの日のことを。
伸幸がいなくなる前の日のことを。
瞬はもう恋愛はこりごりだった。
あんな思いをしたくなかった。
だから、伸幸の腕を振りほどかなければならなかったのに。
伸幸の腕を拒めない。
伸幸のキスは、日頃瞬がないことにして生きている欲望を、身体の底から引きずり出す。引きずり出された熱量は、ふつふつと沸騰して、瞬を次の感覚へと駆りたてる。
(欲しい。もっと、その先が欲しい)
瞬の膝が崩れた。伸幸は瞬が痛い思いをしないですむよう、瞬を支えながらゆっくりと床に膝をついた。
唇が離れた。伸幸の瞳は、欲望を宿してキラキラしていた。
「伸幸さんさ……」
「ん」
「俺が欲しいの?」
吸いよせられたように、瞬は伸幸から目を離せない。誘惑者の目。大人の色気だ。
「『欲しい』って言ったらくれるのか?」
「……やらねえよ。そういうのもうやめたんだ」
「そうか」
そう言いながら、伸幸の指は瞬の衣服を緩めていた。
「んっ」
敏感なところを探られて、瞬はピクリと大きくふるえた。
瞬が抵抗しないのを確かめたのか、伸幸は瞬のシャツをまくりあげ、露わになった薄紅の突起を口に含んだ。
「あ……っ」
瞬は伸幸の頭に手をかけ引きはがそうとした。
「『やらねえ』って言ったろ。んっ……やめろ」
伸幸は舌と歯で瞬の感覚を鋭敏にさせていく。
「やだって。……離せよ」
泣き声のような濡れた声で、瞬はそう懇願した。
「離していいの?」
瞬の乳首の上で伸幸は言った。
「やっ……」
「怖がらなくていい」
伸幸は身体を起こした。
「俺は瞬から何も奪わない。俺と何をしても、瞬が失うものは何もないんだ」
「伸幸さん……」
「安心して、瞬」
伸幸は言ったとおり、瞬の全身を指と舌で甘やかに愛した。瞬は自分がとろけそうなソフトクリームになったような気がした。
「もういい。中途半端されておかしくなりそう」
引きだされた欲望をじらされて、これではまるで拷問だ。
瞬は伸幸を押しのけて身体を起こした。
「……準備、してくる。あんたはふとん敷いといて」
瞬は立ち上がってバスタオルを手に取った。
「ここまで好き勝手しといて、今さら『できない』とか言うなよな」
「言わない。嬉しい」
伸幸はユニットバスの手前までついてきて、瞬を背中から抱きしめた。
「瞬としたい」
「ああ、分かったから。離せ」
瞬は邪険に伸幸を振りほどいた。
「ちょっと待ってろ」
バタンと瞬は扉を閉めた。
膝がふるえる。
(くそーーーーーーっ!)
腹が立つ。
腹が立つ。腹が立つ。
まんまと伸幸の策にのっている。
そのくらい瞬にも分かる。
もう誰ともそうならないって決めてたのに。
明日帰ってくるかも分からないような、いい加減な男なのに。
だから束縛されたりしなくてラクかも。そんな風に思う自分までいる。
(怖がらなくていい)
(俺と何をしても、瞬が失うものは何もないんだ)
……そんな風に言われたのは、初めてだ。
思いだしたくもない「前の男」と比べてしまう。
瞬をひどい目に遭わせて捨てたあの男と。
あの男。あいつなら、絶対そんな風に言わなかった。
つき合っていた瞬を自分の所有物、なんなら付属物くらいに思っていいように使った。
瞬は生活のすべてをそいつのために段取り、働き、あいそ笑いをし、メシを作って、食べて寝た。
(伸幸さんは……)
瞬をそんな風に扱わない。
食べたいもののない瞬に食べものの好みを訊き、瞬の作った料理をうまそうに食って礼を言い、バイト終わりの瞬を道ばたに立って待っていたりする。
身体に触れるのだって、瞬の許しを待ってくれて。
ついほだされそうになる。というか、もう半分以上ほだされてる。
(だから!)
瞬は首を振ってシャワーを止めた。
(あいつと比べたら、大抵の男はマシなんだって。アレを基準にしちゃダメなんだって。分かってんだろ)
あんなのに引っかかってた、自分の判断力がおかしかったのだ。
判断力なのか、単なる「好み」の問題か。
だから瞬は、しばらく誰ともつき合ったりしないでおこうと思っていた。
判断力か、好みか、どっちか分からないが、おかしな男を「おかしい」と排除できると自信がつくまで。
なのに。
(ふらっと現れて、またふらっと出ていって、いつ戻ってくるかも分からない。そんな男、どう考えても「おかしい」だろ)
「くそっ」
瞬はバスタオルをつかみ、乱暴にバスルームのドアを開けた。
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