5、セカンド・バージン

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 フカヒレはスープ仕立ての煮物にした。チンゲンサイを茹でてそこへ添えた。 「ホントは紹興酒なんてあれば、もっとそれっぽい味になったんだけどな」  伸幸が買った日本酒がまだあった。瞬はそれで和風の味つけにした。 「ま、胡麻油もないし、こっちの方がいいかもね」  さすがにフカヒレは味つけの濃さがイメージしにくい。  うまく作れなくても、ここへ持ちこんだヤツの責任だと、内心瞬は開き直った。 「いただきまーす!」  小さなテーブルで向かいあうと、額が当たりそうになる。 「どう……かな」 「伸幸の責任」と思いながらも、瞬は気になって自信なさげにそう尋ねた。  伸幸は瞳を輝かせて顔を上げた。 「うまい! うまいよ、瞬」 「そう? ならよかった」  瞬はホッとした。何とか食べられるものになったようだ。  伸幸は瞬の手もとの皿を指さした。 「瞬も食べなよ。おいしいよ」 「え……。ああ、うん」  瞬は箸でフカヒレに筋を入れ、端をくずしてそっと口に入れた。  じんわりと、口の中でほぐれるゼラチン質。その濃厚さがあっさりした味付けとうまくからんでとろける。  飲みこむと、胸から腹部へ、そして身体中へ、優しいとろみが拡がる感覚。 「う……」 「ん?」 「うまい……かも……?」  伸幸は相好を崩した。 「だろぉ!?」  瞬はふたくち目を口に入れた。  海のものが、まだ新鮮なうちに調理されたときの、軽い塩気。  味を、感じる。  記憶の引きだしと照らしあわせて、瞬は答え合わせをした。  まだ醤油や磯の香りはよく分からないが、心地よい塩気は多分これだ。  伸幸は旺盛な食欲で、瞬の作った料理をもりもり食べ進める。 「瞬はホント、料理うまいよな。普通のひとはフカヒレなんてもらっても、調理の仕方分かんなくて、途方に暮れると思うよ」  手放しで伸幸は瞬をそうほめる。 「あ。伸幸さん、俺を試したんだな」  瞬はわざとむっとして見せた。 「ごめんごめん。そんな意味じゃないんだけど。あのフカヒレさ」 「うん」 「知り合いが養殖にチャレンジしようとしてて、その研究でいろいろ仕入れてみたらしくって」 「ふーん」 「食い切れないから持ってけって」 「そうなんだ」  伸幸が自分のことを話すのは初めてだった。  瞬ももぐもぐと食べながら言った。 「サメなんて、ヒレ以外は大した値段つかないんだから。コストに見合わないんじゃないの?」 「そうみたいだな。そいつも『やっぱ商売にはならないな』って」 「そうだろね」  伸幸は箸を止め、見とれるような目を瞬に向けた。 「よく知ってるね」  その視線の甘さに、瞬はポッとなる。 「……別に。常識の範疇じゃねえ?」 「そうかな」  伸幸は妙に嬉しそうだ。 「あんたさあ。そんなんだから愛想つかされたんじゃねーの?」 「え?」 「だから……誠さん、だよ」  何でこの流れできょとんとしてられるんだ。瞬はイラッとした。 「……ああ」  伸幸はスポンジを持ったまま肩をすくめた。 「『そんなん』って?」 「連絡くらいしろってこと。驚くじゃんか、予定も何もあったもんじゃないし」  メシが終わって伸幸がそれを片づけて。  その横で、瞬は湯を沸かした。  こうかいがいしくされちゃ、茶でも淹れないと落ちつかない。 「連絡な。俺の苦手なヤツ」  伸幸は洗った食器をふきんで拭きあげながらニヤリと笑った。  その横顔はまた瞬をイラッとさせる。 「だろーね」  やかんがピーと鳴った。  瞬は茶葉を入れた急須に湯を注いだ。伸幸の腕にはねないよう、ゆっくりと。 「俺の番号教えたろ? ショートメッセージでもいいんだからさ」  無精にもほどがある。  瞬はむっとしたままカップに茶を淹れ、台所を離れた。  背後で伸幸が小さな食器棚に皿をしまう音がする。  かちゃかちゃ。ことり。からから。  懐かしいような、小さな頃を思いだすような。  生活の、音だ。  この部屋にいるときは、瞬の手料理を食べるために、伸幸はいそいそと買いものをしたり、食器を片づけたりする。  瞬にも優しい。  なぜだか瞬の顔を見ると、いつもにこにこと笑っている。  なのに、一旦部屋を出ると、次にいつ戻ってくるのか分からない。予定も知らされないし連絡もない。 「ごめんな。俺、ひとつのことに集中すると、ほか全部忘れちゃうから」  伸幸は瞬の淹れた茶のカップを持って、しゅんとしおれた。 「まあ、どうせそうなんだろうね」  瞬はカップを持ってない方の肘をテーブルについて、そっぽを向いた。  瞬の背中が温かくなった。  伸幸が瞬の背に寄りかかっていた。 (抱けば何とかなると思ってんのか)  瞬はまた何か毒づいてやろうと思って口を開いた。  なのに。 「あんたは……優しいのか、ひどいヤツなのか、どっちだよ」  カップをテーブルに置いて、伸幸は瞬の身体に腕を回した。  瞬の指から瞬のカップを取り上げて。 「さあ……どっちかな」  伸幸は「俺にもよく分からないよ」と呟いて瞬の首筋にキスをした。
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