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「瞬ちゃん、もうすっかり米飯は大丈夫なのかい?」
「はい、もう大丈夫です。ひと足りないときは、どんどんふってください」
休憩室で、チーフの長谷川が来月のシフトを組んでいた。
家族持ちの多いここの職場では、予め各メンバーの休み希望を集めておく。チーフと、それから責任者の課長とで、曜日や需要予測を見ながら翌月分のシフト表を毎月作る。
瞬は、これまで通りの盛りつけAチームと、午後の仕込みチームに加え、米飯盛りつけチームでの稼働もできるようになった。
「チーフ、角倉さんは器用なので、おかずの盛りつけの方が合ってます。あまり米シフト入れないでくださいね」
サブチーフの武藤華が進言した。長谷川が大きくうなずいた。
「そうなんだよねえ!」
長谷川はエクセルで打ちだした下書き用のシフトメモを、ボールペンでパシパシと叩いた。
「瞬ちゃんは飲みこみがいいというか……弁当容器のくぼみに、狙った通りに食材をピタッとはめこむのが上手いよね。きんぴらごぼうとか、スパゲッティとか、ああいう小さくて細長いものは難易度高いんだけど」
休憩室の中央には長机が向かい合わせに二本ずつ、計四本並んでいる。端には誰でも飲んでいいお茶のポットと湯呑みが用意され、いつも誰かのおみやげ菓子がある。
武藤は個包装のパイまんじゅうをつまみ上げ、瞬に手渡した。瞬が軽く頭を下げて受けとると、菓子の入っていた化粧箱をたたみながら武藤は言った。
「食材の扱いに、よほど慣れてるって感じがするんですよね」
瞬は手渡された菓子をパクリと口に放りこんだ。武藤が顔を上げた。
「詮索するワケじゃないけど……角倉さん、経験者なんじゃない?」
「は……」
「弁当屋じゃないにしても、食べものを扱う業界、長いんじゃないです?」
武藤の瞳はいつも澄んでいて、絶妙な距離感で気づかったり、そっとしておいたりしてくれる。きっと自分にも嘘がないひとなんじゃないかな。瞬はそんな風に思っていた。
長谷川もメモから目を上げ、瞬を見ている。
瞬はモグモグとパイまんじゅうを味わっていたが、こくんと飲みこんで「はい、そうです」と答えた。
「やっぱりねえ。そうじゃないかと思ってたよ」
長谷川はにっこり笑った。
「で? 何やってたんだい?」
「あー」
瞬は少し迷ったが、本当のことを言った。
「和食の調理をやってました」
「うわー!」
その場にいた他のおばちゃんが感心するような声を漏らした。瞬は頭をかいた。
「調理の専門学校を出て、和食の修行をして。春までは寿司屋にいました」
「じゃあ角倉さん、握れるの?」
「いえ、そっちじゃなくて、厨房の方です。吸い物とか茶碗むしとか、寿司職人さんたちの手を止めないよう、寿司以外を回してました」
そう。職人の活躍を補助するアシスタント。主役が輝くための脇役。そういう役割が自分には合っている。そう思っていた。
あの世界で、特定の誰かを輝かせるための、踏み台に、なっていたんだ……。
「んで、失恋して、業界から離れた、と」
「だーかーら! どうしていつもそうなるんです」
瞬はぷくっと頬をふくらませた。
「もう。みなさん超能力者ですか。俺の過去を見てきたんですか」
「でも、合ってるんでしょ?」
「もー。エンリョないなあ、みんな」
おばちゃんたちとの掛けあいにも、もう慣れた。すさまじいほどの洞察力は、みんながかいくぐってきた社会経験の量によるものだろう。
この弁当屋では、自分はまだまだヒヨッコだ。
とくにしがらみのない関係のひとたちに、何でも知られてしまう。これはこれで、ずいぶんとラクなものだ。
悪くない。
瞬は自分がカラカラと笑っていたことに気がついた。
今日も今日とて。
「あのさあ……」
「ん? なに?」
伸幸はなんだか嬉しそうな笑顔で、呆れてものも言えずにいる瞬をのぞきこんでいた。
「『なに?』じゃねえわっ!」
瞬はいつものように、小さなテーブルいっぱいに載せられた食材を指さし、吠えた。
「どーしろってえのよ。この……」
伸幸がニコニコと瞬が指さす卓上を見下ろす。
「北海道産のグラスフェッドビーフ。三週間熟成済みだって」
「だからーーー!」
瞬は伸幸の胸もとをつかみ、ゆすぶった。
「どうしろってんだよ、こんなぶ厚いTボーン。一般家庭でナントカするようなモンじゃねえだろ。ここにはグリルだってオーブンだってねえんだぞ」
「ええー?」
伸幸は変わらずむじゃきに笑っている。まるで、大好きな飼い主にジャレつかれている子犬のように。
(なにが子犬だ。デカイ図体のオヤジじゃねえか)
「もういいわ」
瞬は乱暴に伸幸のポロシャツから手を離した。
「で? ほかには何があんの。このちっちゃいの、何?」
「ああそれ? ハスカップ」
「ハ……何だって?」
「ハスカップだよ。ブルーベリーに似てるけど、香りが全然違うんだ。酸味が強くてお菓子にもするよ」
瞬はさらに目をつり上げた。
「菓子は作らねえよ」
「うん、俺もそこまではリクエストしない」
伸幸は紫の実の詰まったジッパーバッグを手に取った。
「肉のソースに、いいんじゃないかな」
「そーねえ。いいでしょうねえ。赤身肉にはよく合うでしょうね。誰が作んだよ」
「えー? そりゃもちろん……」
「はいはい。俺ね。言っとくけど、俺、和食の板前だから。洋食は専門外だからね」
「ふふふ」
伸幸は一切動じることなく、ニコニコし続けている。
(このオッサン、確信犯だな)
瞬に経験のないメニューでも、こうやって材料を渡してニコニコ期待して見せれば、調理してもらえると信じている。
一緒に出てきたのは、トウモロコシにタマネギに缶入りカマンベールチーズ……。
「今日は『北海道物産展』か」
瞬は軽くためいきをついた。食材そのものは、今回も質がいい。
ブツクサ言っててもしょうがない。
瞬は腰に手を当てて胸をそらした。
「分かった。伸幸さん、ひとっ走り生クリーム買ってきて。あとホウレンソウを一把と、それから……」
伸幸は飛び上がるように反応し、瞬の言いつけた材料を紙片に書きつけた。
「急いでね」
「はぁい」
キビキビと玄関へ向かいつつ、伸幸の口調はのんびりだ。瞬は伸幸が早口になったり、焦ったりするのを、見たことがない。熊のような風貌だったのも初めだけで、綿のパンツにポロシャツといったラフな格好でも、不思議とパリッとカッコいい。
(カッコいい? ……ただのオヤジじゃん!)
瞬はプルプルと首を振った。
「行ってきまぁす」
「あ。ああ、うん。行ってらっしゃい」
伸幸の背が吸いこまれ、部屋のドアがパタリと閉まった。
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