7、また、堕ちちゃった

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「瞬ちゃん、もうすっかり米飯は大丈夫なのかい?」 「はい、もう大丈夫です。ひと足りないときは、どんどんふってください」  休憩室で、チーフの長谷川が来月のシフトを組んでいた。  家族持ちの多いここの職場では、予め各メンバーの休み希望を集めておく。チーフと、それから責任者の課長とで、曜日や需要予測を見ながら翌月分のシフト表を毎月作る。  瞬は、これまで通りの盛りつけAチームと、午後の仕込みチームに加え、米飯盛りつけチームでの稼働もできるようになった。 「チーフ、角倉さんは器用なので、おかずの盛りつけの方が合ってます。あまり米シフト入れないでくださいね」  サブチーフの武藤華が進言した。長谷川が大きくうなずいた。 「そうなんだよねえ!」  長谷川はエクセルで打ちだした下書き用のシフトメモを、ボールペンでパシパシと叩いた。 「瞬ちゃんは飲みこみがいいというか……弁当容器のくぼみに、狙った通りに食材をピタッとはめこむのが上手いよね。きんぴらごぼうとか、スパゲッティとか、ああいう小さくて細長いものは難易度高いんだけど」  休憩室の中央には長机が向かい合わせに二本ずつ、計四本並んでいる。端には誰でも飲んでいいお茶のポットと湯呑みが用意され、いつも誰かのおみやげ菓子がある。  武藤は個包装のパイまんじゅうをつまみ上げ、瞬に手渡した。瞬が軽く頭を下げて受けとると、菓子の入っていた化粧箱をたたみながら武藤は言った。 「食材の扱いに、よほど慣れてるって感じがするんですよね」  瞬は手渡された菓子をパクリと口に放りこんだ。武藤が顔を上げた。 「詮索するワケじゃないけど……角倉さん、経験者なんじゃない?」 「は……」 「弁当屋じゃないにしても、食べものを扱う業界、長いんじゃないです?」  武藤の瞳はいつも澄んでいて、絶妙な距離感で気づかったり、そっとしておいたりしてくれる。きっと自分にも嘘がないひとなんじゃないかな。瞬はそんな風に思っていた。  長谷川もメモから目を上げ、瞬を見ている。  瞬はモグモグとパイまんじゅうを味わっていたが、こくんと飲みこんで「はい、そうです」と答えた。 「やっぱりねえ。そうじゃないかと思ってたよ」  長谷川はにっこり笑った。 「で? 何やってたんだい?」 「あー」  瞬は少し迷ったが、本当のことを言った。 「和食の調理をやってました」 「うわー!」  その場にいた他のおばちゃんが感心するような声を漏らした。瞬は頭をかいた。 「調理の専門学校を出て、和食の修行をして。春までは寿司屋にいました」 「じゃあ角倉さん、握れるの?」 「いえ、そっちじゃなくて、厨房の方です。吸い物とか茶碗むしとか、寿司職人さんたちの手を止めないよう、寿司以外を回してました」  そう。職人の活躍を補助するアシスタント。主役が輝くための脇役。そういう役割が自分には合っている。そう思っていた。  あの世界で、特定の誰かを輝かせるための、踏み台に、なっていたんだ……。 「んで、失恋して、業界から離れた、と」 「だーかーら! どうしていつもそうなるんです」  瞬はぷくっと頬をふくらませた。 「もう。みなさん超能力者ですか。俺の過去を見てきたんですか」 「でも、合ってるんでしょ?」 「もー。エンリョないなあ、みんな」  おばちゃんたちとの掛けあいにも、もう慣れた。すさまじいほどの洞察力は、みんながかいくぐってきた社会経験の量によるものだろう。  この弁当屋では、自分はまだまだヒヨッコだ。  とくにしがらみのない関係のひとたちに、何でも知られてしまう。これはこれで、ずいぶんとラクなものだ。  悪くない。  瞬は自分がカラカラと笑っていたことに気がついた。  今日も今日とて。 「あのさあ……」 「ん? なに?」  伸幸はなんだか嬉しそうな笑顔で、呆れてものも言えずにいる瞬をのぞきこんでいた。 「『なに?』じゃねえわっ!」  瞬はいつものように、小さなテーブルいっぱいに載せられた食材を指さし、吠えた。 「どーしろってえのよ。この……」  伸幸がニコニコと瞬が指さす卓上を見下ろす。 「北海道産のグラスフェッドビーフ。三週間熟成済みだって」 「だからーーー!」  瞬は伸幸の胸もとをつかみ、ゆすぶった。 「どうしろってんだよ、こんなぶ厚いTボーン。一般家庭でナントカするようなモンじゃねえだろ。ここにはグリルだってオーブンだってねえんだぞ」 「ええー?」  伸幸は変わらずむじゃきに笑っている。まるで、大好きな飼い主にジャレつかれている子犬のように。 (なにが子犬だ。デカイ図体のオヤジじゃねえか) 「もういいわ」  瞬は乱暴に伸幸のポロシャツから手を離した。 「で? ほかには何があんの。このちっちゃいの、何?」 「ああそれ? ハスカップ」 「ハ……何だって?」 「ハスカップだよ。ブルーベリーに似てるけど、香りが全然違うんだ。酸味が強くてお菓子にもするよ」  瞬はさらに目をつり上げた。 「菓子は作らねえよ」 「うん、俺もそこまではリクエストしない」  伸幸は紫の実の詰まったジッパーバッグを手に取った。 「肉のソースに、いいんじゃないかな」 「そーねえ。いいでしょうねえ。赤身肉にはよく合うでしょうね。誰が作んだよ」 「えー? そりゃもちろん……」 「はいはい。俺ね。言っとくけど、俺、和食の板前だから。洋食は専門外だからね」 「ふふふ」  伸幸は一切動じることなく、ニコニコし続けている。 (このオッサン、確信犯だな)  瞬に経験のないメニューでも、こうやって材料を渡してニコニコ期待して見せれば、調理してもらえると信じている。  一緒に出てきたのは、トウモロコシにタマネギに缶入りカマンベールチーズ……。 「今日は『北海道物産展』か」  瞬は軽くためいきをついた。食材そのものは、今回も質がいい。  ブツクサ言っててもしょうがない。  瞬は腰に手を当てて胸をそらした。 「分かった。伸幸さん、ひとっ走り生クリーム買ってきて。あとホウレンソウを一把と、それから……」  伸幸は飛び上がるように反応し、瞬の言いつけた材料を紙片に書きつけた。 「急いでね」 「はぁい」  キビキビと玄関へ向かいつつ、伸幸の口調はのんびりだ。瞬は伸幸が早口になったり、焦ったりするのを、見たことがない。熊のような風貌だったのも初めだけで、綿のパンツにポロシャツといったラフな格好でも、不思議とパリッとカッコいい。 (カッコいい? ……ただのオヤジじゃん!)  瞬はプルプルと首を振った。 「行ってきまぁす」 「あ。ああ、うん。行ってらっしゃい」  伸幸の背が吸いこまれ、部屋のドアがパタリと閉まった。
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