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その晩は、瞬のプランで瞬の選ぶものをふたりで買った。
訳分からん組み合わせの食材でひねり出す限界料理ではなく、瞬の得意な手料理を作る。
今日は鶏の照り焼き。夏らしくインゲンを煮びたしにして合わせた。それと、ナスのみそ汁。昨日漬けておいたキュウリも出した。ポリッと歯ごたえが想像できる手触り。やっぱりキュウリは夏のものだ。
小さなテーブルに夕食の献立が並ぶ。
伸幸は叫んだ。
「うまぁいっ!」
「だろぉ」
伸幸が手放しでほめるので、瞬は得意になって胸を張った。
「もう、食材の選択から俺にやらせてくれればさあ、いっつもこのくらいのもの食えるんだぜ」
伸幸はもふもふと白飯をほおばる。うまいおかずがあるとメシが進むタイプの男だ。
「あ、でも、ホントにうまいわ。照り焼きなんて、久しぶりに作った」
寿司屋では出さないし、火を入れてる間目を離すと焦げるので、従業員のまかないにもあまりしなかった。
伸幸はうまそうにインゲンを頬ばりながら、瞬の手許の皿を見て言った。
「瞬も、前より少し食べられるようになったな」
うんうんと嬉しそうにうなずく伸幸。
「ああ、まあね。前よりはね」
作った料理は、伸幸と自分とで、二対一くらいに分けて盛りつける。しかも最近は米も食べたりする。何となくのどを通りそうと思ったときに、ムリしない範囲で。
職場でおばちゃんたちに見抜かれた通り、体格も少し回復してきたようだ。
服やベルトのゆるさの感じと。
それから。
瞬の頬が熱くなった。
「前は乗っかるのが怖いくらいだったもんなあ、折れそうで」
「の、伸幸さんっ」
組みしかれたとき、ふとんに骨がゴツゴツ当たっていたのが、最近そうでもなくなっていた。ちょうど瞬もその感触を思いだしていた。
「メシ食ってるときに、そういう話題は……」
瞬はもごもごとつぶやいた。
「えー? そんなに照れる?」
伸幸は笑った。
「可愛いなあ、瞬は」
うまいもの食って、好きなヤツと寝て、それで「生きて」いくんじゃないの。
何からそんな話題になったのだったか。
伸幸が洗いものをして、瞬が先にシャワーを使って。
伸幸が風呂場にいるあいだ、瞬はスマホの画面を見るともなしに眺めていた。
求職サイト、転職サイトをいくつか開く。
しばらくやっていようと思っていた、今のラクなバイトだが。
正社員にという話を断ってしまったし、微妙にいづらくなるかもしれない。
「何見てんの?」
伸幸が風呂場から出てきて、髪をワシャワシャ拭きながら瞬に訊いた。
「んー? 別に」
瞬はスマホをテーブルに放りだして、冷蔵庫の麦茶をコップに注いだ。自分の分と、伸幸の分はテーブルに置いた。
「仕事、探すのか?」
伸幸がひょいと瞬のスマホをのぞき込んだ。
「いや……まだそう決めた訳じゃないけど」
瞬は麦茶をコクコクと飲んで、床に転がった。
「『生きる』って、何でこんないちいちメンドーなんだろ」
だらしなく手足を伸ばし、瞬はそう嘆息した。
伸ばした足が伸幸に触れた。伸幸はその場に腰を下ろした。
「面倒なのかい?」
伸幸の声は笑いを含んで甘い。
「そりゃメンドーさ」
瞬はあぐらをかいた伸幸の膝を足でぐいぐい押した。
「生きてくには金が要る。金になる何かをしなくっちゃ。おかしいなあ。子供の頃は、大人になりさえすれば、そういうのは自動でついてくる……くらいに思ってたのに」
伸幸は膝を押す瞬の足をつかみ、裸足にチュッと唇をつけた。
瞬の太ももがふるえた。
伸幸は瞬の足から手を離して立ちあがり、頭を拭いていたバスタオルを物干しにかけた。
「瞬、麦茶もういっぱい飲むか?」
「ううん、もういい」
瞬は開いていた脚を閉じて膝を立てた。
もものふるえが止まるように。
伸幸は自分のコップに麦茶を足して、台所に立ったままそれを飲み、テーブルに置いていた瞬のコップを回収した。
ザーザーと水音を立ててコップを洗う伸幸の背中。
伸幸が何か言った。
「え? 何? 水音で聞こえないよ」
蛇口をキュッと閉じて、伸幸は手を拭きながら戻ってきた。
「うまいもの食って、好きなヤツと寝て、それでひとは『生きて』いくんじゃないの」
伸幸はそう言って、また瞬の足下であぐらをかいた。伸幸は重ねて言った。
「生きていくって、そういうことじゃないの」
「うん。だから。食うには食いもんを買わなきゃならんし。寝る場所も必要だろ」
「そうだね」
伸幸は瞬の膝に唇をよせた。
「まあでも、俺なんか、食うのも寝るのも、マトモにできてなかったんだけど」
「瞬……」
顔を上げた伸幸は、何だか悲しそうな顔をしていた。
瞬は伸幸の頬を両手ではさみこんで、笑った。
「そんな顔しないでよ。そうは言っても、別に俺、そんなに不幸じゃないよ」
味覚は回復してきたし。
伸幸とひとつのふとんに入るのも、悪くない。伸幸がふらりといなくなっている夜には、思いだして身体の芯を熱くしてしまうほどには、ハマッている。
(そうか……今、俺、『生きて』いるんだ……)
瞬はたまらなくなって、伸幸の唇にキスをした。伸幸は応えて舌をからめる。
伸幸の指にTシャツをたくし上げられ、瞬の腹が、乳首が灯りの下に顕わになる。何かされるたび、瞬の身体がけいれんしてしまうのがモロ分かりだ。
「あ……あ……あぁ」
伸幸とするのは、何回目だろう。
専門学校時代、初めて出会ったゲイ友と、身体に触れる練習をした。互いに好みじゃなかったので、好きにもならず、ほんのわずかの接触で終わった。
学校を出てから和食の調理人としての修行をして、三軒目で客として来た「あいつ」と出会った。「あいつ」は情熱的に瞬をくどき、自分が継ぐ店へ瞬を引きぬいた。
初めは優しかったし、瞬を大事にしてくれようとした。店の中に、絶対的な自分の味方が欲しかったのだろう。
だが、手堅い寿司屋の三代目というプレッシャーは彼を変えた。
父である二代目や、父とともに店を守ってきた職人たちの厳しい目が注がれるたび、あいつはできない理由を瞬に押しつけた。次第に瞬に冷たく当たることで、精神の平衡を取ることを覚えてしまった。
そうして。
彼は音を上げた。
「これ以上お前を傷つけたくない」と。そう言って、瞬をお払い箱にした。
あんなヤツでも、瞬のことは愛していたのだ。自分勝手に。
「あいつ」は好きなときに、自分の部屋に瞬を呼んだ。気まぐれで、意地悪で、自分本位な行為だった。三年あいつの許にいたのに。
伸幸は、たった二ヶ月かそこらで、瞬の身体を変えてしまった。
「あ……伸幸さんっ」
あいつのことだって、瞬は好きだったのだ。だから冷たくされてもそばにいた。彼の乱暴な愛撫にだって耐えた。それが嬉しいとは感じなくなっても。
「ああっ……ああっ……あっ」
でも。
伸幸は、的確に、瞬の快楽を呼びおこす。
伸幸の指は、痛みという脇道にそれることなく、瞬を天国へ導いてくれる。
優しくて、甘くて、熱い、伸幸の手は、そのまま伸幸が瞬に向ける感情だ。表情で、声で、瞳の色で、伸幸は瞬を熱く優しく、甘やかしてくれる。
普段何をしているか分からないこの男は、そうして誰のことも大事にしているのだろうか。そういう習性なのだろうか。
瞬が大きく腰を上げた。瞬の秘密を探っていた伸幸の指を、より深く迎えいれる。
「んっ……んん」
腹の筋肉がけいれんした。伸幸の視界に、今自分はどう映っているのだろう。
「カワイイ、瞬。ここに、もっと欲しい?」
欲望で上ずる伸幸の声。
瞬はコクコクとうなずいた。
「じゃあ、瞬、そう言って」
答える代わりに、瞬の腹がまたけいれんする。
「言ってくれたら、何でもしてあげる。瞬のして欲しいこと、何でも」
瞬の脚に伸幸の欲望が当たっている。ふるふるとふるえて。瞬を欲しがっている。
こんなに、訳が分からなくなるほど、欲しくなってしまうなんて。
自分の身体の奥に、こんな秘密があることを。
自分の身体の仕組みを。
瞬は知らなかった。
伸幸が自身の欲望を制御しながら瞬の秘密を時間をかけて愛してくれて。
(これが『生きてる』ってことなんだ)と無意識に感じてしまうあの瞬間。
「いれて」
「うん?」
「ついて」
「うん?」
瞬は伸幸の首にしがみついてその耳にねだった。
「いかせて、なかで」
伸幸は嬉しそうに「分かった」と瞬の耳に吹きこみ、瞬の脚を持ちあげた。
瞬は「ああんっ」と甘い声を上げた。
伸幸は自らを瞬の奥へ深く進めた。
もう、何も考えられない。
伸幸は瞬のねだった通りに努めた。瞬は伸幸の動きにあんあんと叫び続けるしかなかった。
伸幸は荒い呼吸の中で「俺のコト好きか?」と言った。
瞬は叫び声の間に「……分かんない」と返した。
「そういう……あんた……は、どうなん……だよ」
「…………」
伸幸は瞬の片足を高く挙げ、自分はその下をくぐって体勢を変えた。
「あーーーっ」
横向きにされて、伸幸が快楽をコントロールしやすい位置を取る。
それきり、瞬は押しよせる快楽の波にさらわれた。
伸幸は答えなかった。
答えを聞けなかったのは、しかたない。
瞬だって、答えなかったのだから。
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