2、ゼリーの日々

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2、ゼリーの日々

「ちょっと、ちょっと待って瞬くん」 「何」 「何って、それだけでバイト行くんですか?」 「それだけって……」  四時すぎ、弁当の盛りつけバイトへ向かう瞬を、伸幸が仰天して呼び止めた。  瞬はいつものように、ゼリー飲料をジューッと飲んで、空になった容器をゴミ箱に捨てた。 「こんな朝早くからそんなに食べられないよ。後は帰ってきてから食べるから」  食事のしたく以外の家事は、居候の伸幸がやるようになった。  食費や消耗品も伸幸が金を出す。  ワンルームに男ふたりが少々狭いことをのぞけば、まあまあ瞬の許容範囲に収まっていた。 「ホントですか? 帰ったらお昼ご飯ちゃんと食べます?」 「うん。食べるよ。食べるから」  もう出ないと遅刻してしまう。 「じゃあ、食材買っておきます。何を食べたいですか?」 「ああ、いいよテキトーで。伸幸さんの好きなもの買っといて。俺、食べたいものとか別にないから」 「じゃ、行ってきます」と言って、瞬は外へ出た。  ドアを閉める瞬間、伸幸の顔が心配そうに曇るのが見えた。 (んな心配されても、食えねえもんは食えねえんだよ)  日の長いこの頃は、瞬が弁当屋に出勤するときにはすっかり昼だ。 (それにしても、すっかり居ついちゃったな、あのおっさん)  瞬の属する盛りつけAチームは、午前に四周盛りつけを回す。その四周すべてにシフトが入るわけでもないので、瞬の出勤時間は日によってまちまちだ。  その辺、チーフの長谷川がうまく組んでくれるので、人手が特別足りない日もないし、手が余ってたいくつな日もない。  ここのバイトに入ったときに、金は多少欲しいと言ったので、夕方の仕込みチームのシフトが追加されることもある。誰でもできる簡単な作業だ。  大人数で回していく弁当屋は、システマチックでムダがない。  美しいとさえ言える。  ここまで仕組みを整える間には、いろいろなことがあったのだろうと瞬は思う。 「今日も一日、よろしくお願いいたします」  長谷川のかけ声で、戦闘開始だ。  ベルトに乗って流れてくる弁当箱に、見本のとおりおかずを詰めていく。  ベルトの速さはチーム毎に違う。Aチームの流れはかなり速い。  ベルトの両側に並んだメンバーが、決まった区分へ自分の担当するおかずをリズミカルにはめ込む。もちろん私語は厳禁だ。  ベテランぞろいのAチームが今日の二周目を回し終わって、短い休憩を取っているときのこと。  マスクと手袋を取ったAチームのサブチーフ、武藤華が瞬に声をかけた。 「角倉さん、米シフト入れられて倒れたんだって?」 「はあ……」  瞬は頭をかいた。 「ダメだよう、ハナちゃんたちが気をつけて見ててあげないと」 「もう大丈夫さあ。瞬ちゃんは米ダメだって、ふーちゃんにもよく分かったから。もう米飯チームに貸し出したりしないよ」 「瞬ちゃんも、イヤなら『イヤ』ってはっきり言わなきゃいけないよ。自分の身は自分で守らなきゃ」  ベテランパートのみなさんが口々に言う。 「あはは……気をつけます」  からかっているのか、気づかっているのか、多分両方なところは、ふーちゃんこと長谷川文子チーフと同じだ。  華はほかのメンバーに聞こえないよう声を低めた。 「睡眠はちゃんと取れてる?」 「え? ……ああ、はい。眠れてますよ」 「何か病気があるわけじゃないのね?」  瞬は華の顔を見た。  華は元はここの正社員だったひとだ。  弁当の受注オペレータから始まって、弁当の配達兼営業をバリバリやっていたが、出産を機に一度退社した。その後子育てを優先したくて、パートタイマーで復帰したらしい。  長谷川チーフのサブについているが、実力はみなが認めるところである。 「角倉さん、普通に正社員として働いてたんでしょ? まだ若いのにウチみたいなとこでバイトなんて。ちょっと気になってたんだ」 「はあ……」  メンバーの健康管理(マネジメント)も大事な仕事だ。バイトやパートが「同じ仕事をしているのに」と思っていても、実はこうしたところに社員との業務の差がある。  華は、瞬が前の職場を、メンタル系の不調で辞めたと思っているようだ。 (メンタル系の不調)  まあ、メンタルと言えばメンタルだが。  実際のところは、半分くらい首になったようなものだ。  詳しくは思い出したくもない。 「武藤さん、お気づかいありがとうございます。前職で疲れちゃったのは確かだけど、でも、病気とかじゃないんです。ちょっと、いろいろ考えてみようかなって」  仕事で消耗するとかカンベン。だから職場での要求レベルが厳しくなったらバイトに逃げて、覚悟が定まるまでの数年をのんびり生きたい。  そんな「よくある若者」の見かけにだまされていてくれないだろうか。  知られたくない本当のところは、どうか斬りこまないでスルーして。 「元気ですから、シフトは『米以外』で、普通に入れてください」  瞬は「お願いします」と頭を下げた。 「分かった」  華はうなずいた。 「でも、困ったことがあったら言ってね」  瞬は笑顔の形に唇のはしを上げ、「ありがとうございます」と素直に返した。  部屋の前でカギを取り出すと、ガチャと内側からドアが開く。 「おかえりなさい」  ノブを押す伸幸の、がっちりした上体がぬっと飛びだした。 「……た、ただいま」 (ビ、ビビる……)  午前で盛りつけのシフトを終え、瞬は弁当を二つさげて帰ってきた。  今日は課長の予測が外れ、売れ残りがいつもより出た。瞬たち従業員は社割で、お客さんが買うよりも少し安く買える。  伸幸は瞬の手から弁当を受けとった。 「珍しいですね」 「あ……ああ。今日はいつもより売れ残りが出たから。ちょっと安く買えるんだ、いつもあるわけじゃないけど……」  瞬はまるで言いわけのように、口の中でもぐもぐ言った。 「あ、あんたも、ここんとこヘンなもの持ってこないからさ。片づけなきゃなんない食料もないなら、このくらいいいかなって……」  うつむいた瞬のすぐそばで、言い終わるのを伸幸が待っていた。  笑ってる気配がした。 (あったかい……?)  弁当屋のおばちゃんたちの温かさとは違う感じで。  何だろう。陽だまりのような心地よさ? 「じゃあ、お茶淹れますね」   手慣れた動作で伸幸がやかんを火にかけた。   「いただいといて何ですけど、あんまりおいしくないですね」  伸幸は、瞬の持ち帰った弁当を頬ばってそう評した。 「そうか? 食いもんなんて、どれも同じようなもんじゃ」 「全然違います」  瞬が言い終わるのを待たず、食いぎみに伸幸は断言した。  弁当のフタを開けようとしていた瞬は、手を止めて顔を上げた。 「瞬くんの作るメシの方が、断然うまい」  伸幸の、怒ったような生真面目な顔が目の前にあった。 「あ……」  瞬は伸幸から目をそらした。 「あー、じゃあ、今でもそれなりの味のモンはできてんのかな」  料理の腕を褒められている。  瞬は照れくさくてそっぽを向いた。 「きっと手が覚えてんだな。俺自身はもう、味なんて全然分かんないのに」 「瞬くん……」  瞬は二段になった弁当箱を開いた。 「伸幸さん、俺の分のメシ食ってね。俺こんなに食べられないから」 「瞬くん?」  瞬は米飯の詰まった弁当箱の下段を、伸幸の前に押しつけた。  おかずの上段を開くと、さっきまで目の前をずっと流れつづけていたデザインが現れる。 「確かに、ものすごい美味ってわけじゃないんだろうけどさ。コストも手間も制限の大きい弁当屋の弁当にしちゃ、結構がんばってる方じゃないの」 「それは確かに、そのとおりです」  伸幸はむしゃむしゃと頬ばりながらうなづき、嬉しそうににっこり笑った。 「ダメですね。毎日うまいものばかり食べてると、舌がわがままになっちゃいます。瞬くん、すごく料理上手だから」 「う……」  頬が熱くなる。  (ナンだよこのオッサン。タラシかよ)  伸幸に他意はないのか、どういうつもりなのか。  にこにこと弁当を平らげるその表情から、伸幸の意図は読めなかった。 
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