3、もう、ムリなんだって

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 盛りつけ四周目が終わって、瞬は弁当屋を出た。  従業員は裏から出入りする決まりだ。表側は弁当積みこみのトラックが出入りして危ない。事故を防ぐ仕組みのひとつだ。  建物の横を回って、配達を終えたトラックが次々戻ってくる表通りに出ると、見覚えのある男が立っていた。 「瞬くん」  男は手を振った。 「伸幸さん!」  瞬は驚いて駈けよった。 「どうしてここが分かったの。俺場所言った? あと俺の上がる時間とか」  サプライズどころか、不審だ。 「ああ、瞬くん『弁当屋でバイトしてる』って言ってたから。この辺で手広くやってるのはここだけだし。いつもの帰宅時間から逆算したらこのくらいだなって」  瞬は首を振った。 「伸幸さん、アタマいいね。ストーカー予備軍だね」 「おほめにあずかりどうも」 「ほめてねえわ。むしろキモいわ」  そんな軽口を叩きながら、瞬はじんわりと嬉しいような気持ちになって下を向いた。  並んで古いアパートへ帰る。 「それ、何買ってきたの?」  下を向いたまま、瞬は訊いた。伸幸がぶら下げている、エコバッグの中身は何だろう。 「あ、これですか? 何がいいか分からなかったので、干ものとワカメと、キャベツ?」 「ふーん」  また取りとめのないチョイスだ。このセンスがあるんだかないんだか分からないところも、不器用っぽくて憎めない。 「あと米ですね」 「げっ」  瞬は立ち止まった。 「何で『米』?」 「何でって……。瞬くん家になかったから」  伸幸は不思議そうに瞬を見ている。瞬の気持ちを見逃すまいとしている、のか? 「いいけど。炊けないよ、ウチ炊飯器ないから」 「炊飯器ないんですか!?」 「ないよ。ウチで見たことないでしょ」 「そう言えば、一回も見たことありませんね」  伸幸はしょんぼりうなだれた。  瞬は少しかわいそうになった。  一般的な日本人は米が大好きで、白い飯をたびたび摂取しないと生きていかれないものらしいから。 「……しょーがないなあ。パエリアとかでよかったら、作ってやるよ」  伸幸はパッと笑顔になった。 「ホントですか? 瞬くん、作れるの?」 「ああ、多分な。ネット見りゃレシピ分かんだろ。材料も」 (サフランとかはアンタが買えよ、高いんだから)  言うまでもなく、伸幸は、また嬉しそうにパエリアの材料を買いそろえるだろう。  瞬も、香辛料の香りにごまかされれば、米を料理できるかもしれない。  長谷川は瞬のこんな症状を「つわり」だと言った。  世の母たちは、こんな苦労をしているのか。 「楽しみだなあ」  伸幸は踊りだしそうに喜んでいる。  その姿が、何だかとっても眩しいもののように見えて、瞬は目をこすった。  「あのさ」 「何ですか?」 「ヤだったら答えなくていいけどさ」 「はい」  瞬は水加減をしたフライパンにフタをした。  隣では伸幸が瞬の手許をのぞいている。どんなおいしいものができるのか、ワクワクしてるのが肩ごしに伝わってくる。 「誠さんってさ、どんなひとだったの?」  狭い台所で、瞬は伸幸を見上げた。体温を感じるほどの距離で。 「どんなって……会社員でしたよ。バラエティ雑貨を扱ってる卸問屋に勤めてるって」 「……やっぱ男?」 「ええ。二十九歳の男性で」 「んじゃあさ」  伸幸の表情を確かめたくて、瞬は半歩退がった。玄関との区切りの壁に背中が当たった。 「そのひととは、恋人だったかもしれない間柄だったんだよね。伸幸さんって男イケるの?」  伸幸はふふっと笑った。 「さあ、どうでしょうね。あまりこだわりはない方かもしれません」 「『こだわり』って……」  瞬は絶句した。 (『こだわり』って! そんな答え方ある? こっちはあんたがゲイかどうかを確認したんだよ。なのに)  こだわりがないということは、対象は男女どちらでもいいということで。ってことは。  瞬が退がった半歩分、伸幸が長い腕を伸ばした。 「じゃあ、瞬くんはどう?」  伸幸の指が瞬の頬に触れた。瞬の身体がピクリとふるえた。 「う……」  かみしめた唇のすきまから不本意な声がもれる。 (ヤバイ……訊くんじゃなかった)  伸幸は指の背でかすかに瞬の頬をなでた。 「瞬くんの対象は男でしょ? 頼りたい、甘やかされたい方だよね」 「そ」  瞬は首を振った。 「そんなことない」  伸幸は瞬の後ろの壁に手をついた。 「俺にまで嘘、つかなくていいよ」  もう片方の手が瞬の顎をそっとつかみ、ほんの少しだけ上向かせた。瞬は首を振って逃げようとしたが、伸幸の手は逃してくれない。 (あ……)  もうイヤなんだって、恋愛なんて。  俺には向いてないんだって。  どうやったらあんなモン、楽しんだりなんてできるんだ。  辛いばっかりで、気が気じゃなくて。  もう二度とごめんだって。  ずっとひとりで生きていくんだって。  カラダだけって割り切ったって、俺はそんな器用な人間じゃなかった。  ほかの男のように、うまく立ち回ったりなんかできなかった。  だから、もう。 「ん……っ」  瞬の膝がくずれた。壁にもたれたままずるずるとへたり込む瞬を伸幸は逃がさなかった。抵抗もできなくなって、瞬は求められるまま口を開いた。  咽が、鳴る。 「んん……ん……」  引き返せない臨界点が、来る。 (流される)  瞬の脳の後ろで、危険信号が明滅した。  ピピピッ、ピピピッ、ピピピッ。  物理音。タイマーだ。  我に返った瞬は、慌てて伸幸の身体を押しのけ立ち上がった。  ピッ。  タイマーを止め、フライパンのフタを開けた。米のニオイよりも先に、魚介の炊き上がる匂いが拡がった。  瞬の身体はニオイに反応する余裕もない。  瞬はフライパンを揺すって水分を飛ばした。ここの火加減がパエリアをパリッとおいしくするのだろう。 「おいしそうだ」  耳許でささやくような声がした。瞬の身体がまたふるえた。  伸幸が後ろから瞬の身体を包みこむようにそっと抱いていた。 「離せよ。焦げる」 「嘘。離して欲しくないくせに」  背中に伝わる伸幸の体温。自分の体温と融合して、熱量は背骨を伝って濃密な上昇気流をかたちづくる。 「ヤ、だ」  瞬がイヤイヤをすると、伸幸は腕を伸ばしてガスの火を止めた。
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