3、もう、ムリなんだって

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 しばらく誰にも触れられていなかった。  二度と誰にも触らせたりしないつもりだった。  だから――。  流しと壁にさえぎられ、逃げ場のない台所で、瞬は伸幸に欲望をさぐり当てられていた。 「隠さなくていい。安心して」 「ヤダ……離して……頼むから」 「どうして」  伸幸は瞬の身体の上で手を止めた。 「君が本当に嫌なら止める。でも……」  瞬は半ば下ろされた衣服を引き上げることもせず、されるがままになっていた。 「欲しいんでしょ。腰、動いてる」  動きの止まった伸幸の手。伸幸の言ったとおりだった。  瞬の頬を涙がつたった。またあんな思いをするのは、もう。 「なら、そう言って。俺、無理じいはしないから」  身体を愛されると、心もそちらへ流れてしまう。繰り返したくない。誰も好きになんかなりたくない。 「……欲しい」  瞬は上体をひねって、もう一度今度は自分から深いキスをねだった。伸幸は先ほどよりも熱く返してくれた。瞬は自分の身体が伸幸の指を求めてうごめくのを感じていた。  もう、止められない。  唇が離れて、瞬は自分の意識を手ばなした。 「伸幸さん。続き、して」    夏至が近い。  まだ外は明るく昼間だ。  ぐぐ~っと伸幸の腹が鳴った。 「はは。お腹空いたでしょ。食べよっか」  瞬は自分の身体に巻きついた伸幸の腕をほどいて、立ち上がろうとした。伸幸は瞬の手首をつかまえて止めた。 「瞬」  伸幸の目。じっと瞬の顔を見ている。 「何」  何を言おうとしたのか。瞬はそれを知りたいと思った。  聞きたくないと思った。ひとの心の中は知りたくない。  どっちが自分の本心なんだろう。 (聞かせてよ、あなたが俺をどう思ってるのか)  その質問を瞬は飲みこんだ。  瞬は伸幸の手をポンポンと軽く叩いて振りほどいた。  部屋には食べもののニオイが充満していた。  魚とアサリが煮えたニオイ。  サフランと玉ネギのニオイ。  そして炊けた米のニオイ。  つけ合わせに瞬はキャベツを茹でた。午後ふたりでパエリアの材料を買いに出たとき、一緒にアンチョビも買ってきた。それでキャベツを合えて、パエリアに合う野菜のおかず、「茹でキャベツのアンチョビ和え」を作った。 「相変わらず手早いな。味見もしないんだな」  伸幸が感心して言った。 「意味ないもん。俺、味分かんないから」  いただきまーすとテーブルに向かって唱和する。誰かと囲む食卓の雰囲気。それはこんな感じだったのだろうか。 「ホントに味分かんないの? どれもすごくうまいよ。味オンチのひとの作る料理じゃないなあ」  伸幸は貝をむきながらそう訊いた。瞬は箸でキャベツをつまみ、しばらくながめたあと、意を決して口に入れた。 「元から分かんなかったわけじゃないからな。手が覚えてるんじゃない?」  魚の発酵したニオイは難しいと思ったが、案外イケた。ニオイに反応さえしなければ、味が分からないのはかえって抵抗がなくて、食えた。米料理よりは箸が進む。  もっといろいろ訊かれるかと思ったが、伸幸はそれ以上何も訊かなかった。
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