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「瞬ちゃーん、昨日のあれって『彼氏』?」
「は?」
とぼけてはみたが、きっとムダだと知っていた。
Aチームの一周目からのシフト。更衣室で白衣を着こんでいた瞬は、同じAチームのメンバーに囲まれた。
「仕事終わりに迎えにきてくれるなんて、優しい~」
「瞬ちゃんなんて通勤時間何分でもないんでしょ? よほど早く会いたかったのね」
「えー、ヤだあ。ラブラブじゃん」
「瞬ちゃんカワイイから、彼氏さんもぞっこんなんじゃない?」
「瞬ちゃんよりちょっと歳上? いつからつき合ってんの」
矢継ぎ早に質問されて、瞬はその場に固まるしかなかった。
(どうしよう。ごまかせる? それとも『別に彼氏じゃない』ってホントのことを説明する?)
別に彼氏じゃない。本当のことだ。
伸幸は、ただの居候。
昨日一度くらい身体を触らせたからって。
「やだカワイイ! 瞬ちゃん顔真っ赤」
(え? え? 嘘!)
瞬は拳で頬をこすった。
「キャー!」
三十代から六十代の女性が一斉に叫ぶ。
トントントン。
武藤華が開いたドアを拳で叩いていた。
「時間ですよ。そろそろみなさん、出ましょうか」
瞬を囲んでキャーキャー言っていたメンバーは、「はーい」と返事してぞろぞろと更衣室を出ていった。
「うるさくして、すみませんでした」
別に瞬が謝るところじゃないが、この辺は社会で覚えた処世術だ。
「別に」
華はくるりときびすを返した。
スタスタと廊下を進む華に続き、瞬も作業場へ移動する。
「で?」
唐突に、華は足を止めた。
「彼氏なの?」
「ええ……?」
まさか追求されるとは。
(助けてくれたんじゃなかったのー!?)
瞬はどう答えようか迷った。
この弁当屋はただの腰かけだ。住むのに金が要るので、近所でバイトしてみただけだ。
一生この仕事をするわけじゃないし、もっと何かやりたいことが見つかったら出ていく、この街から。
じゃあ、誤解されても、別にいい。
面倒が少ない方がラクだ。
そう思ったはずなのに。
「はあ……まあ……。まだ『つき合ってる』とは言えないんですけど、大体そんなもんかもしれません」
口をついて出た言葉は、どんな嘘より瞬の気持ちに合っていた。
「そう」
華は瞬を見上げた。
「上手くいくといいわね」
優しいキレイな笑顔だった。
「ありがとうございます」
つられて、瞬も素直にそう答えてしまった。
(彼氏なの?)
(まだ「つき合ってる」とは言えないんですけど)
瞬は朝の華との会話を、その日一日脳内で繰りかえした。
そのたびに、恥ずかしさで頬が熱くなる。
その熱さを感じるたびに、恥ずかしさを打ち消した。
職場で男とつき合ってるなんて思われたら、どんな扱いをされるか分からない。困ったことになった。
大体、「まだつき合ってるとは言えない」って何だ。
まるでこれからつき合って恋人になるのを楽しみにしてるみたいじゃないか。
盛りつけの三周目を回し終わって休憩のとき。
瞬は男子トイレに駈けこんだ。
個室で声を殺して泣いた。
(もうムリだ)
伸幸には出てってもらおう。
これ以上、自分の心を乱されないうちに。
部屋のカギも、置いてってもらう。
瞬は決心して弁当屋を出た。
表通りにも、途中のスーパーにも、伸幸はいなかった。
瞬はストック用のゼリー飲料を買って部屋へ帰った。
伸幸は部屋にもいなかった。
またどこかへ出かけているのだろう。
瞬は肩すかしを食ったような気分になった。
心を決めた今日すぐに「出てってくれ」と言いたかったが、言いにくいことを言わずにすんでホッとしてもいる。
今日すぐに言わなくても、伸幸が戻ってきたらどうせ言うんだから。
(なら、とっととすませたかったのにな)
夜になって、瞬はひとりのふとんに潜りこんだ。
寝つけなくて何度も寝返りを打つうちに、いつの間にか眠りに落ちた。
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