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人生ってなんだろう?
どうしたら満たされるの? SNSでバズったら気持ちが良い?
それとも良い給料でスパに行って、ジョギングとかエクササイズとかして、仕事をこなせばそこそこ値の張るフレンチ? ネイルまでやっちゃって、全身ツルツルピカピカです?
「そんな金あるならやってんだよおおおおお!!」
しがない事務社員がやれるレベルじゃない。でもSNSにはそういう呟きが溢れていて、わーすごいなぁ、どれくらいの給料もらってるんだろう? 会社帰りにジムに通うとか疲れ果ててて無理ーとかさ。そういう世界は夢物語で、自分が見つめるのは現実だけ。
「でもガチで出来ないんだもん! 現実見つめて何が悪い!!」
夢で腹は膨れない。でも流れるように過ぎていく日々に気持ちは落ちていく。安定していると笑った日が切なくて、それなのに非日常に足を突っ込む勇気もない。
「くそったれぇぇぇぇぇえ!」
よくある、海に向かって叫ぶやつ。スッキリするだろうなぁいいなぁ、なんて思っていてごめん。そんないいものじゃなかった。
叫びたくて叫んでるんだけど、叫びたいわけじゃない。叫ばなくちゃやってられないから仕方なく叫んでいる。私だって叫ばなくていいなら叫びたくないわ。
波が寄せて、引いて、潮風が寒い。このままここで叫んでいたら風邪を引いてしまうかもしれない。でも明日は会社も休みだし、もし体調を崩したのなら余っている有給を消化しよう。
「だあああ! こんな時にもどうして会社のことまで気にしなきゃいけないの!」
有給が残っていることも腹立たしい。誰かと旅行とか行くのでお休みしますとかやってみたい。でも勤め始めた時は必死だったから休むことも出来なくて、余裕が出てきたいま親友は結婚。邪魔するわけにもいかないし、事故に遭ったのだから無理な話だ。だからといって他の友達だっていない。
職場とプライベートはしっかり分けよう。そう思った。それは別に良いと思う。間違った判断ではなかったと思えるけれど、四年経って思うことは、プライベートと分けるのはいいけれど、もう少し周りと馴染んでもいいと思うよだってそうしないと昼に話す相手もいないよ四年経っても! である。
あー寒い。寒くて寒くて堪らない。叫びながら震えて、拳握って零れそう涙を拭って、疲れて肩で息をして、そしてまた叫ぶ。
明日これ声が出ないな。でも別に構わないでしょ、仕事でもなければ心配してくれる人なんていない。誰かと会う予定だってないんだから。
「もうっ、もういやだあああああ!」
なにが嫌なのか私にも分からない。叫んでいるくせに、何をどうしたいのか。無難で何が悪いの、安定に勝るものはなんだ。そんなの見つからないけれどもう嫌なんだよ。だから、なにが?
「っ~~~~」
ハクと口が動き、止まる。潮の香りってもっときついものだと小さい頃に海に連れて来てもらった時に思ったのだけれど、今は全然そんなことない。ただほんのりと香るくらい。
あぁ、真っ暗な海よ。どうかこんな私を呑み込んでくれないだろうか。そして生命が海から生まれたように、私も生まれ変わりたい。
花菜は唇を噛み締める。震える拳は寒いからか、もしかしたら空しさからかもしれない。いや、きっと両方だろう。
「もう、なんで、こんな」
こんなことをしてバカみたい。それを誰か笑って欲しい。気が触れてると指を差してくれ。そしたら私もそうだと笑ってみせて、拳を背中に隠してまたヒールの靴で音を立てて歩いてみせるのに。
「いや、もう歩きたく、ないんだってば」
ははは、と花菜は苦笑する。そしてそのままその場にしゃがみ込んで膝を抱えた。
潮風が髪の毛を揺らす。矛盾したこの気持ちはどう片を付けよう。花菜は深呼吸をするように溜息を繰り返す。全身が寒さで震えるけれど、帰る気なんてサラサラなかった。
――――どのくらい時間が経っただろう。
途中寒いのにうとうとした時間があった気がする。凍死すると思ったりもしたけれど特にそういうこともなくて、ほんの少し手足の先がかじかむくらい。
「・・・・・・・・・・・・」
どこかで音が聞こえる。何の音なのか顔を上げてみれば、真っ黒な海の向こうにいくつも光が見えた。きっと漁船だろう。朝早く漁に出るのは知っているけれど、それ以上の知識は無い。だからいまあの船が帰ってくるところなのか、それともこれからなのか。どちらにしても逞しいななんて他人事な感想を持つ。
「あ~~~~、お尻痛い・・・・・・」
花菜は身体を左右に揺らしながら何とか立ち上がる。そして尻をパンパンと払い、はぁーと溜息をついてまた真っ直ぐ海を見た。
そしてやることは、
「あああああっ!」
また叫ぶ。
温かい風呂に入りたい。さっぱりしてご飯食べたい。潮風でベタベタするだろうと思っていたけれどそうでもない。でも湯船に浸かってゆっくりしたい。
こう思えることは、SNSで幸せを呟いている人たちと同じくらい幸せなことなのだろう、きっと。
「だからってこれを幸せだと思えたら、こんなところで叫んでないんだってばぁぁぁぁぁあ!」
人間、正しさの塊なんかじゃない。理不尽なことで怒ったり、逆に理不尽なことをしてしまったりする。では許しましょうなんてこちとら神様ではないもので。
でもどうか許してよ。こんなバカなことをしている私を許して欲しい。神様でも誰でもいいから、どうしようもないことで悩んで、弱っている私を――――
「――――――――」
不意に聞こえたのは歌声だった。
「え?」と振り返る。だんだん明るくなってきていた辺りに、もう電灯なんていらない。でもまるでその灯りのように輝く金髪。耳に髪の毛を掛けているため、銀色のピアスがハッキリ見えた。
白いスウェットは生地が厚いものなのか、少しモコモコしている。その下は黒いジャージで、こんな寒いのにサンダルだ。
ジャージのポケットに手を入れたまま彼は花菜と視線を交わすと、また口を開く。ゆっくりと閉じられた瞼は静けさを纏っていて、とても綺麗な仕草に見えた。
「――――――――」
動く唇から紡がれる歌。どこかで聞いたことのある英語のなにか。日本語訳を見たこともなければ、しっかり聞いたわけでもないため、それがどういう歌なのか全然知らない。
防波堤の下にいる彼を花菜は上から見下ろす。突然のことに驚いても当たり前な出来事なのに、その歌声があまりに美しかったからだろう。花菜は動くことも出来ず、しばらく彼を見つめて同じように瞼を閉じた。
真っ直ぐに伸びる声。中学、高校と合唱部に所属していたけれどそこで青春なんてしてこなかったから、ボーイソプラノなのかテノールなのかよく分からないけれど、そういう細かいことはどうでもいいくらい、その声は花菜を包み込むように響き渡る。きっと先程の叫び声よりも遠くまで聞こえているに違いない。
高らかに、けれど海よりもどこか柔らかくて、息を吸う瞬間は砂浜を呑み込むのではなく、逆に一緒においでと誘うように引いていく。
まるでお湯に包み込まれているかのように温かくていた心に染み込むような感覚が広がって、いつの間にかゆっくりと深呼吸を繰り返していた。
「――――、――――・・・・・・」
静かにそっと歌が消えていく。
しばらく余韻に浸るように目を閉じたまま、だが聞こえる波の音をバックにゆっくり瞼を持ち上げれば、こちらを見ている彼の瞳と再び交わった。
どこか幼い印象がある彼と言葉無く見つめ合う。何回か瞬きをすれば、フンと彼は鼻で小さく笑い、そのまま花菜を通り過ぎるように歩いて行ってしまう。ザリ、ザリと聞こえる足音はサンダル特有のもの。
「あ、あの!」
花菜は防波堤に立ったまま、その背中を視線で追った。
「ありがとう!」
痛む喉。でもそんなことどうでも良かった。
「歌、嬉しかった!」
どういう意図があったのか全然分からないし、何の歌なのか覚えてもいないけれど、それでも嬉しかったから。
「すごく、嬉しかった! ありがとう!」
綺麗だったとかそういうことじゃなくて、感謝を伝えたい。だってきっといま歌ってくれたそれが下手だったとしても、きっと私は救われた。
単純かもしれないけれど、こんな叫んでいた私に歌をうたってくれる人がいるなんて、世の中捨てたものじゃないななんて思ってしまえるくらい。
「・・・・・・・・・・・・」
サンダルの音が止む。するとゆっくりと彼は顔だけで振り返って――――その表情はどこか驚いたようなもの。瞬間、海の向こうが明るくなった。朝陽が登ったのだと分かったのは、防波堤の影で彼の姿が暗くなったからだ。
視界の隅で輝く水面。あれだけ黒かった海が元の色を教えてくれる。しかしそれらに視線を向けず、そのまま驚いた様子の彼を見ていれば、また小さく笑って言った。
「朝メシ、食いに来る?」
出会いなんて突然で、降って湧いてきた偶然。でもよく偶然は必然とか聞くから、あの電車に乗ったのも、ここで叫んでいたのもきっと意味があったのだと思ってもいい気がする。
どちらも端から見れば不審者なのに、それを担っている私は全くそんなことを思わずに頷いた。
「行く、食べに行くっ」
「そうかよ」
小さく言い、そしてまた背中を向けて歩き出す。こちらを待つつもりはないようだ。
このまま防波堤を歩いてついて行くことも出来るけれど、花菜は止まらない背中から視線を逸らし、灰色のそれに腰を掛ける。そしてパンツが傷むことを気にせず滑り降りれば、同じ高さからその背中を見た。
サンダルの音が少しだけ遅い気がするのは私の気のせいかもしれないけれど、それでもまた嬉しくて歩き出す。少しだけ距離を保って。
これが人生の分岐点だったとか言ったら大げさかもしれない。でもきっと誰かに話したら運命的な出会いだと笑ってくれるだろう。
――――全てから逃げ出したくて、何も考えずに電車に乗った。
その先にあったのは真っ黒な海と、朝陽と、
貴方との出会いだった。
夜明けのアメイジング・グレイス
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